日本人の原爆投下論はこのままでよいのか―原爆投下をめぐる日米の初めての対話ハリー レイ・杉原 | 日本のお姉さん

日本人の原爆投下論はこのままでよいのか―原爆投下をめぐる日米の初めての対話ハリー レイ・杉原

日本人の原爆投下論はこのままでよいのか―原爆投下をめぐる日米の初めての対話 単行本 – 2015/12
ハリー レイ (著), 杉原 誠四郎 (著), Harry Wray (原著),

カスタマーレビュー

5つ星のうち 5.0日本国内だけなく世界に向けて発信されるべき本です!
投稿者 Tak 投稿日 2016/1/8

本書は、日本人の原爆投下論について、米国人・近現代史歴史学者のハリー・レイ氏が「主論」を担当し、「新しい歴史教科書をつくる会」前会長の杉原誠四郎氏が「解題」としてこれに論評を加えるという体裁で議論を展開する、画期的な書籍である。

レイ氏は日本に27年間滞在し、日本人女性と結婚した親日家ではあるが、レイ氏の主張は基本的にはアメリカの公式見解に沿ったものであり、日本における原爆投下論を厳しく批判している。

レイ氏の主張は第九章の次の記述に集約される。

すなわちレイ氏は、原爆投下の背景として、「第一は、日本が間違った錯覚によって戦争終結の仲介を、直接連合国か、あるいは間接的に中立国に依頼するのではなく、ソ連に依頼したこと。

第二に、アメリカは、九州侵攻が実行されると一七万五千人から二〇万人と予想される海兵隊や陸軍の犠牲をなくするために戦争終結を急いだこと。

第三に、日本の内閣、六首脳の最高戦争指導会議、天皇、木戸による一九四五年六月八日の『今後採ルベキ戦争指導ノ基本大綱』、すなわち無条件降伏方式に譲歩を強要するための九州での本土決戦の実行を決定したこと。

一九四五年七月二十六日のポツダム宣言受諾を日本が愚かにも拒否したことである。」と、主に日本の指導者の問題として捉え、冷戦においてソ連に対して優位に立つために、アメリカは投下の必要がないにも拘わらず投下したとする「原爆外交説」を批判している。

さらに、原爆投下によって「ソ連が日本北部の領土を占領し、アメリカと同等の日本占領行政を分担し、日本の天皇制を廃止する可能性があったが、これを免れた」ことを日本人は正しく理解していないとして、広島平和記念資料館、歴史教科書などにおける原爆投下に関する記述を批判している。

つまり、原爆投下を避けることが可能であったにも拘らず、日本政府の愚かな対応によって原爆が投下され、しかもそのことによって、日本がより苛酷な犠牲を避けることができたのだと主張しているのである。

レイ氏の主張は、詳細な根拠を積み上げ、一見精緻な論理を展開しているように見え、その姿勢に歴史学者としての一定の良識は感じるが、大東亜戦争開戦の経緯から終戦に至までの大局的な視点や日本の統治機構に対する理解が不十分であり、その視野の狭さが故に、導き出された結論に違和感を覚えざるを得ない。

その点、杉原氏はレイ氏の個別の認識に対しては一定の理解を示しつつも、重要な二つの視点を提示している。

一つ目は、日本政府の対応の問題と同様に、アメリカ側にも日本を原爆投下以前に降伏させることが十分可能であったが、それを妨げたのは、ルーズベルトによる無条件降伏方式であったことであり、二つ目は、日米開戦時において、日米間でこれほど激しい戦争をしなければならない深刻な対立がなかったにも拘らず、ルーズベルトが日本を挑発して戦争に追い込んだばかりか、無条件降伏を最大限に拡大して日本を最大限に痛めつけたことである。

さらに杉原氏は、日本側の問題として、アメリカ国民を憎悪に掻き立てた真珠湾の「騙まし討ち」の責任者であった外交官が後に外務省の最高官職に就き、外務省の責任を問われていないことを痛烈に批判している。

杉原氏は、第十章の解題の末尾に、「原爆投下は、すくなくともアメリカの公式見解では日米戦争を終わらせるためになされたものである。

しかし、だとしたら日米戦争はどのようにして始まったのか、そのことも認識の範囲に含めておかなければならない。」と記し、末尾の解題付録において、日米開戦に至るまでの経緯や日本の終戦工作について論じている。

原爆投下をどのように捉えるかは、日米間の歴史認識の根底を為すテーマである。

国際社会における情報戦の一種としての歴史戦は、政治的プロパガンダとして、それぞれの主張を一方的に行うだけで、そこに建設的な議論は皆無であるが、本書は日米の歴史学者が学問的良心と歴史的事実に基づいてそれぞれの主張を展開している点で大変意義深いものである。

アメリカ人やアメリカの創った東京裁判史観を信じる日本人に対して反論していくためには、まず彼らの論拠を知らなければならない。

その点でレイ氏の「主論」は、アメリカの公式見解の背景と論拠を理解する上で大変有益であろう。

一方、これに対する杉原氏の「解題」は、認めるべき点は認めつつも、日米間の認識の差異がどこにあるかを明確にした上で、日本の立場を主張している点で、説得力のあるものである。

多くのアメリカ人は、日米開戦の経緯について十分な情報を与えられていない。

アメリカにおいても中国や韓国のロビー活動が活発に行われ、日本が貶められている。

中国や韓国が仕掛ける歴史戦に日本が打ち勝つためにも、国際社会に向けて日本の主張を発信し、理解してもらう必要がある。

そのためにも、本書が英訳され、世界に向けて杉原氏の主張が発信されることが望まれる。

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原爆投下の是非という日米間の最大のタブーに挑戦する勇気ある論考
投稿者 Piper 投稿日 2015/12/13

広島と長崎への原爆投下を巡って、アメリカ人と日本人の識者が正面から向き合って対等な立場で冷静に話し合ったことは、戦後70年間一度も無かった。

あまりにもデリケートで政治的にセンシティヴな問題であり、話せば話すほど感情が拗れてしまい、日米同盟関係に非生産的な結果を齎すことは見に見えているからである。

「真正面から論じないこと」が、日米双方の責任ある立場の政治家や影響力がある識者の「大人の智慧」になっているのである。

その意味で、本書は敢えてタブーに挑戦する勇気ある論考である。

ハリー・レイ氏は日本在住歴が27年に及ぶ歴史家であり、伴侶も日本人だという。

親日アメリカ人の一人と考えてよいだろう。

この本の主張で判断する限り、ハリー・レイ氏の政治的な立場は、アメリカの左派系の良心的知識人であり、無辜の人々も無差別に殺傷する非人道兵器である原爆の投下に心の奥底のどこかで痛みを感じていることが窺える。

ハリー・レイ氏が本書で主張する「原爆投下は、やむを得なかった」論は、普通の良心的アメリカ人の原爆投下論である。

それに対して杉原誠四郎氏は、日本側からみた事情を突きつけ、通常のアメリカ人の抱いている原爆投下論の欺瞞や盲点を指摘している。

あたかも教師が、間違った考えに固執する生徒を辛抱強く教え諭すという印象を与える。

「日本側に原爆投下を避ける機会はたくさんあった筈だ」という普通のアメリカ人が抱く見解に対して、「アメリカ側は原爆投下をしなくても、日本を降伏させ終戦に導く機会はもっとたくさんあった筈だ」ということを、戦後70年を経て日米双方で確認し合うだけでも、意義は大きい。

それにしてもこの本を読んで痛感するのは、日米関係を巡るアメリカの歴史学のその不勉強ぶり。

まさにため息が出る。

日本の左翼系の歴史学者の学問水準の低さと同等といえば分かりやすいだろう。

ハリー・レイ氏の主張の論拠には、日本に対する戦時プロパガンダの盲信や牽強付会の解釈、事実誤認がてんこ盛りである。

「日米関係が専門のアメリカの普通の歴史家の水準」が、果たしていかなるものかがよく理解できる。

日本の左翼学者のような自らの硬直したイデオロギーによる思考停止とは違って、アメリカ人歴史家の場合は、どうも日本語習得の困難さが、不勉強に直結して彼らの対日理解の障碍になっているようである。

アメリカの歴史家の不勉強ぶりをあざ笑うのは簡単だ。

しかしそうした不勉強な彼らによって、原爆投下についてのアメリカの輿論が形成されていることを日本人は知らなくてはならない。

しかもこうした不勉強な歴史家の言動が、今後もアメリカ政府の対日政策を左右し、アメリカ国民に大きな影響を与えているのである。

怖いと思う。

本書はそれを克服するための、地味ではあるが初めての試みとして極めて重要な意義がある。

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