インドネシア高速鉄道、なぜ日本は敗れたのか?・前編 知日派閣僚の更迭 | 日本のお姉さん

インドネシア高速鉄道、なぜ日本は敗れたのか?・前編 知日派閣僚の更迭

インドネシア高速鉄道、なぜ日本は敗れたのか?・前編 知日派閣僚の更迭
更新日:2015年10月2日

 インドネシア高速鉄道計画は、まさに二転三転という言葉に相応しい展開を見せた。現在のジョコ・ウィドド大統領が率いる政権は、端的に言えば「弱い集団」である。ジョコ氏は闘争民主党所属の政治家だが、そもそもジョコ氏はその党首ではないし、闘争民主党自体も去年の選挙で大きな議席を獲得できなかった。一応は第一党であるが、いつ野党連合に巻き返しを食らうか分からない状況だ。

◆高速鉄道計画の発端
 ジョコ内閣は、度々その意見がすれ違うことで知られている。例えば今年初めにはハニフ・ダキリ労働大臣が「外国人就労者にインドネシア語試験を課す」と公言した。日常生活の場ではともかく、ビジネスシーンではほぼ100パーセント英語で会話が行われているのにもかかわらずだ。そしてこの宣言は労働省以外の各省庁から非難を浴び、結局は撤回された。

 このように現政権は、誰一人として強権を発揮することができない構図なのだ。これが和をもって尊しとなす日本なら上手くいくが、インドネシアはそうではない。ロシアや中国と同じで、強権的なリーダーがいないと物事が進まないという傾向がある。

 高速鉄道計画の顛末も、まさにそれだ。すべての始まりは2014年1月からだった。インドネシアの邦字紙じゃかるた新聞が、ジャカルタ~バンドゥン間の新幹線建設について報道した。それによると、JICAを中心とした日尼合同のチームが同区間への建設計画、その採算性についてのリサーチを開始したという。

 この記事は現地邦人の間で話題となった。ジャカルタ在住の日本人駐在員にとって、インドネシア新幹線は密かな夢だったからだ。

 だが、今振り返るとこの記事の配信時点でのインドネシア大統領はスシロ・バンバン・ユドヨノ氏だった。ジョコ氏が大統領選挙で当選したのは、この年の7月のことだ。政権が変われば方針も変わる。だからこそ安倍首相は、ジョコ氏の当選が確定した直後に国際電話をかけたのだ。

 それでも2014年1月からちょうど1年の間、日系財界人は「インドネシア高速鉄道は新幹線でほぼ確定だろう」と胸の内で思っていた。もちろんこの間にも中国の鉄道関係者がインドネシアに自国車両をアピールし続けていたが、少なくともインドネシア国内の世論は「高速鉄道=日本の新幹線」だった。この国での日本のイメージは「サブカル天国」か「技術立国」である。

 ところが、2015年1月にイグナシウス・ジョナン運輸大臣が驚くべき声明を発表した。「高速鉄道計画は凍結する」と。

◆ジャワ偏重主義のはざまで
 2015年1月21日付けのCNNインドネシアの記事によると、ジョナン氏は「高速鉄道が実現した場合の想定運賃が高過ぎる」とした上で、「ジャワ島外にも多くのインドネシア国民が暮らしている。そして彼らの中には、鉄道そのものを見たことがないという者もいる。彼らに慈悲を向けるべきだ」と述べた。

 これは確かに正論である。インドネシアでは昨今「ジャワ偏重主義」が問題視されている。ジャワ島には高速道路も鉄道も国際空港もダムもあるのに、例えば東ヌサ・トゥンガラ州のフローレス島にはそうしたものがまったく整備されていない。しかしインドネシアはロヒンギャ族を迫害し続けるミャンマーなどとは違い、いかなる民族や宗教集団にも平等の政治的権利を与えている。ジャカルタ市民だろうとパプアのダニ族だろうと、持っている一票の重さは同じだ。

「ジャワ島に高速鉄道を作るくらいなら、少数民族の保護に資金を投じろ」このような声が出るのは当然だ。だからこそ、高速鉄道計画は一度凍結されたのだ。

 とはいっても、閣僚内には高速鉄道を熱望する意見もあることは事実だ。まずジョコ氏自身が、日中訪問の際にそういう節を見せていた。今年3月の訪日の際、当初は予定になかった東京~名古屋間の新幹線乗車はジョコ氏の希望によるものだ。

 また、日本の新幹線導入に積極的な姿勢を見せていた閣僚も当時は存在した。中央大学卒業生の「知日派」ラフマット・ゴーベル前貿易大臣である。

◆三者会談がもたらしたもの
 バンドゥンは西ジャワ州の州都である。もしここに高速鉄道の停車駅を作るなら、西ジャワ州知事とバンドゥン市長の意向も当然重要だ。

 7月21日、ゴーベル氏は西ジャワ州知事アフマッド・ヘルヤワン氏とバンドゥン市長リドワン・カミル氏との三者会談に臨んだ。このことはじゃかるた新聞が詳しく伝えている。
結論から言えば、この会談は「三者で新幹線を推す」ということでまとまった。ゴーベル氏の働きかけに、地方自治体の首長が応じた形だ。

 ここで注目すべきは、リドワン・カミル氏である。この人物もゴーベル氏に劣らない親日姿勢を明確にしていて、日系ビジネスマンとの強固なつながりも持っている。とある日本人が企画した『バンドゥン・ジャパンフェスティバル』という催しにゴーサインを出し、さらにそのイベントにはアタリア夫人も参加した。

 愛妻家として知られるこの市長は、日本が携わる大型プロジェクトにおいて重大な鍵を握っていた。

 ところが、この三者会談が日本側にとっての墓穴となってしまった。翌8月の内閣改造で、ゴーベル氏が更迭されたのである。
http://newsphere.jp/business/20151002-4/

インドネシア高速鉄道、なぜ日本は敗れたのか?・後編 なりふり構わない中国
更新日:2015年10月2日

一時は確実視されていた新幹線のインドネシア導入計画。閣僚に中央大学卒業生のラフマット・ゴーベル氏が入ったことで、この事業は進展するかと思われた。だが、そのゴーベル氏は地方首長との会談を取りまとめた直後、内閣改造の網をかぶり辞任してしまう。日本側は大きなパイプを失った。そこに何があったのだろうか?

◆中国の一手
中国側の本格的な動きは、今年3月から始まった。

ジョコ・ウィドド大統領の中国訪問は、日本訪問スケジュールに続いて行われたものだ。そこで、習近平国家主席と高速鉄道建設に関する覚書を交わしたのだ。もっともこれをもって、中国側の受注が決定したわけではない。1月にインドネシア政府が発表した計画凍結は、この時点で正式に覆ってはいなかった。

それにアドバンテージの点で言えば、なおも日本側に傾いていた。日系財界は中国側のそれよりも、インドネシアとのパイプが強固である。ゴーベル氏や前編で紹介したバンドゥン市長リドワン・カミル氏もそうだし、インドネシア経営者協会の前会長ソフヤン・ワナンディ氏も新幹線を推していた。

現地紙コンパスに、ワナンディ氏のコメントがある。「日本の新幹線は半世紀の間に事故がなく、しかも円借款の金利が安く設定されている」
ざっくり総括すると、ワナンディ氏はこう言ったのだ。ちなみにこの記事が配信されたあと、日本側は金利をさらに安く設定し直している。

だがその代わりとして、日本側はインドネシア政府の債務保証を要求した。これが最大の争点となったのだ。さらにこの時、ゴーベル氏は高速鉄道とはまったく関係のない分野で取り返しのつかない失策を繰り返してしまった。

◆失策の続くゴーベル
今年4月から、インドネシアでは飲食店を除く小規模店舗での酒類販売が禁止になった。その目的は「青少年の健全育成」で、宗教は関係ないと貿易省はコメントしていた。

ここで言う小規模店舗とは、主にコンビニエンスストアである。全国のコンビニからビールが消え、それに伴い国内の酒造メーカーは大打撃を被った。その一方で全国津々浦々にある個人商店は、そもそも小売店なのか飲食店なのかを区分けすることが難しい店が殆どだ。早い話が、いくらでも抜け道のある規制なのだ。

さらに貿易省は、オーストラリアからの食肉牛の輸入制限枠を厳格化した。もともとインドネシアとオーストラリアは、外交的には険悪というべき間柄だ。しかし同時にインドネシアは農業大国オーストラリアに食料を依存している。それを覆したことにより、インドネシア国内の牛肉価格が30~40パーセントほど高騰したまま止まってしまったのだ。地域によっては50パーセント高という所も出始め、闇市まで立つ始末だった。

これらに関する大臣令を発したのは、ゴーベル氏である。結局、ゴーベル氏は事実上の引責辞任に追い込まれ、涙を流しながら貿易省を後にした。

日本側関係者の積み上げてきたブロックが、一気に崩壊した瞬間である。

◆「技術立国」が負けた日
9月に入ると、インドネシア政府は高速鉄道計画の白紙化を宣言した。現地メディアのデティック・ドットコムが、その理由を伝えている。「ジャカルタ~バンドゥン間は高速鉄道がその性能を発揮できるほどの距離ではなく、実際には中速鉄道で充分だ」。

だがこれは政府見解である。敢えて悪い表現を使えば「大本営発表」だ。その水面下では、中国側が動いていた。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのは孫子の一節だが、今回の中国側はそれを実行した。

インドネシアの現政権は、ジャワ島のインフラ整備に国庫を使いたくないのだ。実はこの辺りに、日本の財界人とインドネシア政府との温度差がある。中規模都市のスラム街で生まれ育ったジョコ氏は、「全ての国民に富を行き渡らせる」と公言して大統領選挙に当選した。これは治安維持の面でも非常に重要だ。かつては熾烈な独立闘争を繰り広げていたアチェ地方の住民は、中央政府によるインフラ整備の優先度を前押しさせていることで平静を保っている。だからインドネシア最西端の都市バンダアチェは、全国でも早い段階でLTE回線が通った。

インドネシアは広大である。この国の最西端から最東端までの距離は、スウェーデンのストックホルムからロシアのヤクーツクまでの直線距離よりもまだ長いのだ。本来はその一片に過ぎないジャワ島のためだけに、限りある国家予算を削ぐわけにはいかない。円借款も、ジャワ島とバリ島を除いた地域のインフラ整備に使わなければという思惑がある。

中国側はそんなインドネシア政府の心理を巧みに操ってみせた。そして計画の白紙化宣言から僅か20日後、インドネシア政府は計画継続を唱えた。「白紙化の白紙化」である。最終的にその受注は、中国側に行ったのだった。

インドネシアの現地市民から見れば、この出来事はかなりの衝撃だったようだ。各メディアの記事の見出しを見ても、「中国が高速鉄道を受注」というものより「日本が負けた」というニュアンスのものが多い気がする。それは「世界一の技術立国が受注合戦でまさかの敗北」という意味合いも大いにある。以上が今回の高速鉄道合戦の経緯である。

(澤田真一)

>>>NEXT:インドネシア、相次ぐ日本の大型PJ凍結の理由とは

今年に入ってからインドネシアの大型インフラ計画が、再検討されている。1月14日に、インドネシア政府が突如新幹線計画の中止を発表した。世界有数の親日国家である同国の高速鉄道プロジェクトは「日本有利」と言われていた中での中止発表。その衝撃はまさに津波となって日本経済界を襲った。

 そして、計画見直しは高速鉄道だけではない。今、インドネシア政府は前政権時代に進められていたプロジェクトの数々を凍結する作業を行っている。それらには日本からの投資が予定されていたものも多く、日本の財界人は大きな失望を受けた。日本側メディアの大半はこのことについて、「ODA資金を使い惜しむインドネシア側の一方的な通知」、「日本に冷たくなったインドネシア」というニュアンスで報じているようだ。

 だが、現地メディアの報道を見ると決して相手国の気まぐれとは言えない事情も見えてくる。

◆新幹線は高価な乗り物
 新幹線計画の中止について、CNNインドネシアは、イグナシウス・ジョナン運輸大臣のコメント内容を報じている。それによればジョナン氏は、現状の計画即ちジャワ島横断高速鉄道を具現化した場合、その運賃はジャカルタ-スラバヤ間で100~150米ドル相当になるという。

 「この運賃はガルーダ・インドネシア航空のエコノミークラスよりも高い」。ジョナン氏のその言葉は正しい。これがLCC(格安航空会社)のエアチケットなら、前日予約でも30~40ドルで済んでしまう。そして当然ながら、飛行機は鉄道よりも移動速度が速い。さすがにこれでは集客など見込めないと思うのは、誰しも同じだ。

 さらにジョナン氏は、「ジャワ島外にも大勢の市民がいる。そして鉄道そのものを見たことがないという人々も珍しくない。彼らを思いやるべきだ」と、コメントした。どうやらこの言葉が、大型プロジェクト見直しの一番の理由を指し示しているようだ。

◆高速鉄道より吊り橋を
 インドネシアの現政権は、ODAをジャワ島以外の地域で活用したいという姿勢をはっきり見せている。

 一つ例を挙げれば、現地で時折話題になる「橋を渡る小学生」である。農村部では子どもたちが小学校へ行くのに途中で川を越えなければいけないということがよくあるのだが、そのための吊り橋が壊れたままいつまでも修復されていない地域も珍しくないのだ。

 ここでは現地大手紙テンポが2013年11月に配信した記事を紹介するが、そこにある写真を見ると吊り橋はただの骨組みも同然で、しかも途中で不自然に捻れている。そのような危険極まりない橋を、現地の子どもたちは毎日渡らなければならない。さらにこの記事の吊り橋は、ジャカルタからそう遠くはないバンテン州チマルガにあるというから驚きだ。

 ジャワ島内ですら未だにこの状態なのだから、その他の島嶼部はさらに悲惨である。外国からのODA資金はジャワ島内の大都市ではなく、基礎インフラすらないジャワ島外に投入するべき…という主張は存在して当然である。

 インドネシアで活動する日本の財界人の殆どは、ジャカルタかスラバヤに拠点を置いている。その視点から今のインドネシアを見つめれば、都市インフラの不備は大きな問題だ。だが現地の執政者たちはインドネシアという国全体について考えなければいけない。となるとODA資金を振り向ける先は新幹線ではなく、やはり吊り橋という結論になる。

◆ジャワ島以外の地域への投資
 高速鉄道計画の他に、日本側が積極的に準備を重ねてきた西ジャワ州チラマヤ港建設計画も中止の憂き目にあおうとしている。これも先述の通り、インドネシア政府が新港建設のためのODA資金注入に対して消極的だからだ。

 現地経済紙ビジネス・インドネシアの記事によると、インドネシア国家開発企画庁のアンドリノフ・チャニアゴ長官は、チラマヤ港建設計画の変更が日尼間の今後の投資に悪影響はもたらさないとコメントしている。「日本側との間で相互連絡はすでに行った。我々と先方は互いに尊敬し合う間柄だ」。

 チャニアゴ氏はそう発言しつつ、「我々は同時に、カリマンタン島での開発計画について話し合った。これからジャワ島外での投資と、それによる工業地区建設が活発になるだろう」と、続けた。チャニアゴ氏のこの発言内容を日本側が了承しているのかは不明だが、ともかくここでも「ジャワ島外での投資」という言葉が出てきている。そもそもインドネシアは約三百の民族を抱える広大な国家で、それをジャワ島出身の執政者が統治してきた歴史を持つ。「ジャワ偏重主義」に不満を覚える国民も少なくなく、特に東ティモールでは「ジャワへの反抗」が独立国家建設という形で現れた。

 だがジャワ偏重主義は、何も中央政府だけではない。インドネシアを目指す外国人ビジネスマンも、大都市への投資ばかりが現地の市民に望まれているものではないという現実をそろそろ知るべきかもしれない。逆に考えれば、これは千載一遇のビジネスチャンスともなり得るのだ。

(Newsphere編集部)
http://newsphere.jp/business/20151002-5/