米国で広がる「シリア難民拒否」、大戦時の日系人隔離と同じ構図? 声を上げる日系人 | 日本のお姉さん

米国で広がる「シリア難民拒否」、大戦時の日系人隔離と同じ構図? 声を上げる日系人

米国で広がる「シリア難民拒否」、大戦時の日系人隔離と同じ構図? 声を上げる日系人
更新日:2015年12月2日

米バージニア州、ロアノーク市の市長が、シリア難民受け入れ拒否の姿勢を示した際に、第二次大戦中の日系人強制収容政策に理解を示す発言をし、大きな批判を浴びた。市長は謝罪したが、テロの脅威からその寛容さを失う「移民の国」アメリカに、日系人社会やメディアが警鐘を鳴らしている。

◆パリのテロと真珠湾攻撃、シリア難民と日系人は同列?
オバマ政権は、今年度約1万人のシリア難民受け入れを計画。しかし、パリのテロ事件後は、安全保障上の懸念から全米の半数以上の州知事が難民受け入れ拒否を表明し、ロアノーク市のデビッド・バウアーズ市長も、地元政府と非営利団体に対し、これらの自治体首長に賛同することを求める書簡を送っていた(ロサンゼルス・タイムズ紙、以下LAT)。

書簡の中には「フランクリン・D・ルーズベルト大統領が、真珠湾攻撃の後、日系人隔離を強いられたことが思い出され、今日の米国を害するためのイスラム国からの脅威は、当時の敵からのものと同様に現実であり、また深刻だ」という一文があり、これがすぐさま全米で問題視された。数日後、市長は発言を「あさはかで不適切だった」とし、謝罪している(LAT)。

◆収容所政策はアメリカの恥ずべき闇
米ウェブ誌『デイリー・ビースト』に記事を寄せた作家のパメラ・ロットナー・サカモト氏は、第二次大戦中に日系人を収容所に隔離した事実は、米国の歴史上もっとも恥ずべき事件の一つとして見られてきたと述べる。

日米開戦後、大統領令により、約1万2000人の日系人が強制的に遠方の収容所に送られた。そのほとんどが米国生まれだったにも関わらず、鉄条網に囲まれ、武装した守衛が常駐する厳しい環境での生活を強いられたという。最後の収容所は1946年に閉鎖されたが、市民権をはく奪されたまま、農地や家など、財産のほぼすべてを失った多くの家族には帰る場所はなく、戦後も苦しい生活が続いた。米政府は、1988年になってようやく、収容所生活を経験した日系人生存者に謝罪し、1人当たり2万ドル(約240万円)の賠償金を支払っている(ニューヨーク・タイムズ紙、以下NYT)。

◆「移民の国」の価値観は変わるのか?
現在では、二次大戦中の日系人強制収容は、安全保障上の理由ではなく、「人種差別、戦時のヒステリア、政治的リーダーシップの失敗」から行われたものだと米政府は認めている。NYTは、当時はメディアが、「日系農民は特定のやり方で農地に跡を付け、敵国日本にメッセージを送っている」などの日系人陰謀説を報じ、恐怖をあおっていたと説明。カリフォルニア在住で93才の日系人、ジョージ・イケダさんは、「そのような露骨な嘘が、潮目を変え始めた」と回想する(NYT)。

オレゴン州で生まれた日系人のユカ・ヤスイ・フジワラさんは、真珠湾攻撃の翌日を鮮明に記憶している。中学生だった当時、いつも一緒に学校に行く友達が誘いに来なかったため1人で登校したところ、突然自分がみんなから無視されていることに気付いたという。「当時の間違いは、人種や宗教で人を判断したこと。それは今でも間違いだ」というフジワラさんは、まるでシリア難民全員がテロリストだというかのような考えが、戦時の日系人に対するものと同じであることを指摘した(NYT)。

サカモト氏は、米国への忠誠を示すため、収容所内から志願して米軍の諜報員や兵士となった日系人の大戦中の貢献と活躍に言及。日系移民やその子供達を敵だと考えたことは、全くの間違いであったと述べ、「シリア難民を拒否することは、我々の価値観を傷つけ、自らを犠牲にした我が国の移民やその子孫を否定し、我々の高潔な志を汚すことだ」と断じた(デイリー・ビースト)。

シリア難民受け入れで揺れるアメリカ。「移民の国」、「自由の国」の力量が、今試されるときに来ている。
(山川真智子)

http://newsphere.jp/world-report/20151202-1/

>>>NEXT:難民で割れる欧州 「歓迎ムード」の裏で暴力・弾圧も
ヨーロッパが、押し寄せる難民の処遇を巡って揺れている。いち早く大量に受け入れる方針を決めたドイツには、先週末から続々と南部のミュンヘン中央駅などに難民が到着。多くのドイツ市民が食料などの援助物資を用意して歓迎した。一方、西部のドルトムントでは極右グループが抗議デモを行い、警官隊・左翼グループと衝突した。同市街では、難民が収容されている建物で不審火も出ている。

シリアなどからの難民が滞留しているハンガリーでは、ドイツに向けた移動がスムーズに進んでいるという報道がある一方、南部のセルビアとの国境地帯では、難民キャンプ内での警官による暴行や、国境地帯での賄賂の要求などが報告されている。バチカンでは、フランシスコ・ローマ法王が6日、ヨーロッパ全土のカトリック教会に難民の保護に動くことを求める異例の声明を発表した。

◆「歓迎ムード」の背後に広がる難民キャンプの「殺伐とした風景」
ドイツは今年だけで80万人の難民を受け入れる方針を決めた。これを受け、先週末だけでハンガリーから列車や徒歩で約2万人がドイツ国内に移動した。ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)の現地報道よれば、ハンガリー・オーストリア国境の駅、へジェシュハロムには、ハンガリーの首都ブダペストから難民を満載した列車が次々と到着。難民たちは向かいのホームで待機するオーストリアの列車に乗り換え、ウィーンを経由してさらにドイツに向かっている。ウィーンの駅でも、市民が難民に食料や日用品を手渡し、それに涙を流して感謝する人々の姿が見られたという。

しかし、国際人権NGO、アムネスティ・インターナショナルによれば、ドイツやオーストリアで見られるこうした「幸福な様子」とは裏腹に、ハンガリー南部の国境地帯は殺伐とした様相を呈しているようだ。SNSに上げられた写真などによれば、同地の難民キャンプは鉄条網と高いフェンスで囲まれ、まるで捕虜収容所のような厳重な警備下に置かれている。大勢の人たちが狭いエリアに押し込まれ、地面に直に寝泊まりしている人が多いという報告もある。南部のキャンプからブダペストに移ってきたシリア難民の1人はNYTに対し、「ハンガリー警察が突然キャンプにやってきて、警棒で殴られた」と訴えている。

ドイツのメルケル首相は7日、来年の予算に従来の約4倍の計60億ユーロ(約8000億円)の難民支援費を組み込むと発表した。ドイツメディア『ドイチェ・ヴェレ』(DW)によれば、決定に際しては、連立与党内で現金支給と物品援助のどちらを優先すべきかといった議論が夜遅くまで繰り広げられたという。社民党幹部のオッペルマン議員は難民支援の拡大について、「良い結果だ。人は誰しも寒空の下で寝るべきではない。そして、苦難を受けている人々を拒否してはならない」とツイートした。ドイツは予算増額により、一時受け入れ施設を15万人分増設し、出入国管理にあたる警察官を増員するほか、難民向けのドイツ語講座や公共住宅も増やす予定だ。

◆極右デモ、不審火……ドイツでも反発の声
ドイツなどを目指す難民の中継地点と化しているハンガリーの現政府は、「反移民派」とされている。同国では首都ブダペストからドイツなどへの難民の移送を急ピッチで進める一方で、流入元の南部国境地帯では厳しい弾圧を始めたと報じられている。ハンガリー政府は、南部国境近くに新たに1000人収容の難民キャンプを開いたが、鉄条網で囲まれ、厳重な警備下に置かれたその様子は、「非人道的」だと人権団体の非難を浴びている(NYT)。また、セルビアとの国境に約170kmに渡るフェンスの設置が進んでいる。一部の列車もハンガリーへの入国を止められている模様だ。警官が国境を越えようとする難民から袖の下を要求しているという複数の報道もある。

6日には難民問題を話し合う欧州各国の外相会談がルクセンブルクで開かれたが、NYTによれば、「意見の相違をさらに深めた」だけだったようだ。ドイツが各国に難民の受け入れを増やすよう求めたが、東欧諸国を中心に強い反発を受けたという。人権団体などの試算では、現在、シリアだけでも内戦によって住居を失った難民が1100万人おり、そのうちの700万人が国内に、400万人がレバノン、トルコなどの国外にいるという。こうした人々が今後、さらにヨーロッパに押し寄せると見られる。

ドイツでも、難民受け入れに反発する声は小さくない。DWは、メルケル首相は与党内の反発に「火だるま」になりながら、支援拡大の方針を強行したと記す。また、ネオナチ系の極右グループなどが抗議活動を繰り広げており、西部ドルトムントでは5日夜、26人の極右のデモ隊が、難民が到着する駅に侵入を図った。これを警官隊が阻止し、さらに待ち受けていた約30人の左翼グループとももみ合いになり、双方に負傷者と逮捕者が出たという。また、同市内では、難民受け入れ施設になっている学校の建物で不審火が発生、警察が捜査している。ドルトムント市は先週末だけで約1400人の難民を受け入れた(DW)。

◆ローマ法王が全ての教会に支援要請
一方、フランシスコ・ローマ法王は6日、バチカンのサン・ピエトロ広場で演説を行い、ヨーロッパ全土のカトリック教会に難民の一時避難先を提供するよう呼びかけた。英フィナンシャル・タイムズ紙(FT)は、「大陸を揺るがしている移民危機に対するこれ以上ない強い介入だ」と記す。

法王は「戦争と飢餓により死を感じ、希望を求めて歩き続けている何万人もの難民の悲劇に直面し、神のみ言葉は、最も小さき見放された者たちの傍らにいることを求めている」と語った。そして、「全ての教区、全ての宗教コミュニティ、全ての修道院、全ての寺院」に「具体的な動き」を求めた。その要求とは、各教会、教区などで最低1家族の難民を受け入れることだ、とFTは記す。

イタリアのバグナスコ枢機卿は、これに従う準備ができているとバチカン・ラジオに語った。しかし、ブダペストのエルド大司教は「教会は難民を受け入れる立場にはない」と地元メディアに語ったという(FT)。フランシスコ法王の難民に融和的な姿勢に、これまでも批判的な立場を取ってきたイタリアの野党政治家らは、今のところ沈黙を保っているようだ。一方、フランスの極右政党、国民戦線のル・ペン党首は、溺死したシリア難民の子供の遺体の写真が多くの欧州の人々に衝撃を与え、ドイツなどの政策にも影響を与えたとされることについて、「(その写真は)ヨーロッパ人に『罪の意識』を植え付けるために利用された」と批判した。

(内村浩介)
http://newsphere.jp/world-report/20150908-2/