世界はこれで委員会? | 日本のお姉さん

世界はこれで委員会?

昨日観たTV番組で関西しか放映していない「そこまで言って委員会」では、
タレントのラブリが出ていて、チュウゴクが領有権を主張して南シナ海で勝手に占領した岩礁の埋め立てをして軍港を作っている件で「そんなことどうでもいいことじゃないですか。わたしたち、死んじゃったらそんなこと、どうでもいいことですよ。」と言っていた。
でも、明治天皇の玄孫(やしゃご)が「わたしたちは、死んだら終わりだけど、わたしたちの子供や孫が大変な目に遭うから子供や孫のために、頑張らないといけないんです」と反論していた。

戦争の時に、敵の船に突っ込んでいった特攻隊だって、きっと日本の女、子供のために、日本の子供や孫のために自分の犠牲も無駄にはならないのだと信じて死んでいったのだと思う。
天皇陛下のためと言うより、未来の日本の立場がもっと良くなるため、死んでいったのだと思う。本で読んだのだけれど、そんなことを遺書に書いて死んでいった特攻隊員がいた。

なぜ、国際社会の規則を守らず、勝手に自分の領土を広げて、軍事力で他国を脅かし、強い立場に立とうとするチュウゴクに対抗しないといけないのか?

未来の日本の子供と孫が酷い目に遭わないためです。

ラブリは、チュウゴクと話し合いで解決しなかればならないとしきりに言っていたが、チュウゴクがフィリピンと領土問題でにらみ合いになって、フィリピンが抵抗した時、フィリピンの40%の貿易額を稼ぐバナナの輸入を止めたのだと隣の席の人が教えたら、急にラブリは我に返ったように憤慨しだし、

「それはダメ!それは卑怯!!フィリピンのバナナをとっちゃダメ!!」と叫んでいた。
やっとチュウゴクの汚さに気が付いてくれたようだ。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成27年(2015)11月日(25水曜日)
通算第4738号

中国海軍の基本戦略は不変
しかし2040年に太平洋を米国と分割統治できるか?
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トウ小平時代に劉華清によって立案された中国海軍戦略は、着々と進行 し、その全貌を露わにしてきた。

第一列島線突破は間近に迫り、南シナ海の人口島埋立による九等線の確保 も道半ば、2020年にグアム・サイパンから小笠原諸島をつなぐ第二列島線 確保のため、グアムキラー、空母キラーというミサ
イル軍も備わった。

静かに着実に、私たちが気がつけば「サラミ戦略」は半ば近く達成されて いることが分かる。すでに米空母は台湾海峡から東シナ海へ入りにくく なっており、海兵隊はグアム以東へ主力を移転させ
る。

川村純彦・元海将の分析によれば、中国のやり方には5つの段階があると いう。

第1段階は国際法では認められないことを「国内法」で宣言する(92年海 洋法が典型である)

第2段階は「避難」などを名目に漁船群を目標海域に進出させ、乗組員は 「海上民兵」といって、軍事訓練を積んでいる(典型は昨年小笠原に現れ 赤珊瑚を盗んでいった漁船団)

第3段階は相手国のクレームに備え海警がでてくるが、強力な放水装置 と、体当たり戦術などをとって既成事実を積み上げる。これも尖閣諸島で は日常茶飯となっている。

第4段階は相手国の威嚇行動があれば海軍が出てくる(ベトナムなど、実 際に海軍の軍艦がでてきた)

第5段階では「平和的話し合い」などと言って外交交渉にうつり、既成事 実を背景に交渉を有利にすすめてしまう。

尖閣も台湾も南シナ海も、全ては、この段階設計に基づいて行われてお り、日本は米国との同盟関係を強め、防衛力を一段と、急速に高めなけれ ばならないと川村氏らは言う。

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◆書評 ◎しょひょう

外交と秘密工作を請け負ったのはふたりの兄弟
アメリカはいかに間違えた外交を展開したのか


スティーブン・キンザー、渡邊惣樹訳『ダレス兄弟』(草思社)
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戦後アメリカの外交と諜報工作を采配したのはダレス兄弟である。

副題は「国務長官とCIA長官の秘密の戦争」とある。いまではダレス空 港の名前しか残らず、あらかたの国民はその名も忘れてしまったかのよう だが、アイゼンハワー政権で六年間、国務長官と
してアメリカ外交を牛 耳ったのは兄のジョンであり、CIAを指揮し、いくたの秘密工作を指導 したのは弟のアレンだった。

しかも2人は阿吽の呼吸で共同歩調を取ったので、外交と諜報はセットと なり、アメリカの国家としての威厳をかけて、凄まじい裏工作に熱中し た。コミンテルンの暗躍に平行しアメリカの陰謀も
進んでいたのである。

いま思い出しても謎に満ちた不思議な政治出来事や、謎の事件の嚆矢は、 イランのモサデク政権崩壊、資源王国コンゴのルムンバ首相暗殺、そして キューバ侵攻の失敗、グアテマラ、インドネシア
に於ける陰謀等々である。

CIAの秘密工作は、当時から噂はされていたが、誰も詳しくは知らな かったし、知りたいとも思わなかった。きわめつけはホーチーミンを憎 み、ベトナムの泥沼に足をつっこむ切っ掛けをつ
くったのも、ふたりの兄 弟だった。

その最大の動機はアメリカは神から与えられた使命があり、悪魔の共産主 義と闘っているのであり、CIA工作と、これを支援したアメリカ外交の 裏工作とは崇高な任務と考えられたからだ。

アレンは8年間、CIA長官として、その工作はJFK政権も受け継が れ、やがてピッグス湾の大失態へと繋がり、その後のJFK暗殺へと発展 した。

ダレス家は名家であり、祖父も叔父も国務長官や大使を務め、いつも政財 界の大物が出入りした。ふたりはこういう家庭環境で育ったため、国際情 報にはやくから通暁したのも自然だった。

ジョンの社会的出発はS&C(サリバン&クロムウェル)という法律事務 所だった。ここでの活動が、以後の彼の人生の基軸となった。同社は1879 年の創設で、「投資家と企業を結びつけて巨大企業
を生み出す」目的が あった。「大金持ちの極悪人」といわれたハリマンも顧客だった。


「S&Cは金融界にもメディアにも強い影響力を行使できた。政界の意思 決定を左右できるほどの影響力だった」というから、司法事務所兼ロビィ スト、政界のフィクサーの機能があったと考えら
れる。

じつはこのポイントこそ、ダレス兄弟を考える際に重要な事実である。つ まり二人はウォール街とワシントンを繋げる位置にいたし、ものごとの判 断はウォール街の投資家という視点だったこと
だ。

1926年にジョンはS&Cのシニア・パートナーとなった。以後半世紀に亘 りジョンは「アメリカの運命に深く関わることになる」(75p)のである。

同じく1926年に弟のアレンもSC社にはいってきた。「アレンが世界的な 人物と知己であったことが(採用条件に)大いに役立った」。

S&CはUSスチールという巨大企業を産む法的なエンジンとなった。外 国の顧客も夥しく、当該国へ進出したアメリカ企業の代理人でもあった。

ふたりはドイツ、仏蘭西などへ頻繁に出かけ、政治がらみの大型案件を まとめた。

当時のアメリカは「孤立主義」の立場をとっていたが、ジョンとアレンは 外交政策のシンクタンクとして強大な影響力を発揮し始めた「フォーリン アフェアーズ」とも密接な関係を築いた。

ジョンはドイツ贔屓であり、厳格で狷介な性格だった。アレンは社交的で あり、女性の出入りが激しく、社交的でもあった。
2人の性格は180度異なった。


▼手始めはイランのモサデク政権転覆だった

時は流れ、FDRは急死し、トルーマンが大統領となって、日本に原爆を 落とした。


「トルーマンはCIAを利用したが、外国の指導者に対する転覆工作まで はさせていない。しかしアイゼンハワーは違った。指針作りは(国務長官 となっていた)ジョンが担当した。実行役は(C
IA長官となっていた) アレンだった」(205p)。

「アイゼンハワーは諜報工作の価値をしっかりと理解していた」。

ドイツの暗合解析をはじめとした諜報活動については長い間秘密であった」

そして連合国は第2次世界大戦に勝利こそしたが、アメリカが支援したソ 連は共産主義独裁国家としてアメリカと対峙し、やはりアメリカが支援し た中国は毛沢東によって横取りされ、「誰がチャ
イナを失ったか」という 議論となる。

「1940年代後半から1950年代初めのアメリカ国民は、あの大戦の敵国だっ た国々とソビエトは同質であると見なした。ナチスの大量虐殺のイメージ をソビエト共産主義に投影した。ソビエトの指導
者は世界の支配者になろ うと企んでいると教えられ、それを信じた」

最初の大規模な秘密工作はイランである。

石油国有化宣言をなした民族主義指導者のモサデクをアレン兄弟は「共産 主義の陰謀であり、背後にソ連がいる」とあおった。

「テヘランでならず者連中に金を渡してテヘラン市内を騒乱状態に陥れ、 反体制派の軍人の指揮に当たった。(中略)暴徒化した群衆がモサデクの 私邸に向かった。夜が明けるころには反モサデク
派が勝利した。」

CIAの陰謀は成功し、つぎのようにアイゼンハワー大統領は日記に書いた

「ソビエトにとって手痛い敗戦だ」(252p)

大統領もダレス兄弟も、こうした工作はひきつづき成功し続けると誤信 した。

対日工作については次のような記述がある。

「アレンは自由民主党を味方に引き入れた。アレンは当時頭角を現してき た岸信介を支援した。岸は後の首相となり、他党のリーダーにカネを配 り、野党社会党を腐敗させた。CIA工作は十年以
上にわたって続き、冷 戦期の間、日本をアメリカの同盟国に留めておくことが出来た」324p)

しかし驕慢は愚策を産む。最悪の失敗はベトナムだった。共産主義の脅威 とドミノ理論が、そういえば当時の国際環境の空気だった。


▼統治の真空を埋めるのは神意だというアメリカの錯覚

「ジョンは、植民地から宗主国が撤退した後に出現する『権力の空白を埋 める』のはアメリカであるべきで、『緊急時に行動する能力のみならず、 終始存在感を』示すべきであると確信していた。

そこでアメリカは南ベトナムの傀儡にカソリック教徒のゴ・ジン・ジェム を撰んでしまった。

「これが仏教徒が90%の国の指導者」となるのだ。

「彼と働いたことのある者は、彼が優れた政治指導者になれるなどとは考 えてもいなかった」(337p)

失敗はさらに連続した。

つぎの蹉跌の舞台となるのはインドネシアだった。

「ホーチーミンを狙ったのは、彼が生粋の共産主義者だったから」だ が、スカルノは違った。しかしダレス兄弟はアジアの理解がまるでなかった。
「(ソビエト脅威に対する)パニックと無知と頑迷さから、アメリカに とって何の脅威でもなかったスカルノを結果的に失脚させてしまった。ス カルノは、インドネシアを西欧的な視点で見ないよ
うにと警告を発してい た」(428p)


▼中立、非同盟という国家は敵に陥る前に、と過剰介入

つまり非同盟諸国という、中途半端な国々はダレス兄弟からみれば許せ ない存在であり、アメリカの味方か、さもなければ敵という二元法でしか 世の中を見ていなかったのだ。ダレス兄弟は、この
文脈からインドも味方 にはできなかった。

その後も、カストロと対峙しJFK政権でのピッグス湾侵攻作戦は見事に 失敗した。転覆工作における軍事作戦は杜撰で、カストロのスパイが反政 府組織に紛れ込んで上陸地点まで正確に読まれて
いたのに、気がつかない という間抜けぶりだった。

結局、戦後アメリカ外交の主役はダレス兄弟だったが、『東西冷戦は過 去のものとなった。あの時代のソ連に対する(アメリカの)恐怖心を理解 することはもはや不可能かも知れない。ダレス兄弟
の活動によって人々の 中に恐怖が染みこみ、増幅した(中略)。アメリカが世界の中で果たすべ き役割は神意(プロビデンス)によって定められている』というキリスト 教
の考えにどっぷりと染まった兄弟は「この世は、善と悪の絶え間ない闘 いに満ちていると考えた」(545p)

そのうえ、2人に共通した特徴とは冒頭にのべたS&Cである。

つまり2人は「ウォールストリートの投資家の視点で世界情勢を見た」 のだ。

結論はこうである。

「ダレス兄弟の経歴はアメリカの歴史そのものである」

「その後の歴史は、2人の外交に大きな間違いがあった異を示してい る。しかしその責任は二人だけが負うものではない。ダレス兄弟の世界観 はアメリカ国民の世界観の『鏡』なのである」(567
P)

本書は592ページの浩瀚、読み終えるのに三日を要したが、通俗の推 理小説など色を失うほどに面白く、また渡邊氏の訳文はじつにこなれていた。


(読者の声1)「チャンネルくらら」で先生と宮脇さんとの対談集『中国 壊死』(ビジネス社)の番組が12分ほどです。
ユーチューブで流れています。面白いので、ご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=G1qod5B99sw
(一読者)




(読者の声2)12月5日(東京)6日(大阪)北朝鮮人権侵害啓発週間 イベントのお知らせです。

北朝鮮人権侵害啓発週間イベント、デモンストレーション。収容所の独 房体験を語る!懲罰房の体感イベントも!

東京集会 :12月5日(土)14:00 -16:00
会場:文京シビックセンター26Fスカイホール

大阪集会 :12月6日(日)16:15 -18:15
会場:大阪市立青少年センター KOKO Plaza
講演者: 元政治犯収容所囚人(現「No Chain」北朝鮮政治犯収容所被 害者家族会代表)邸光日(チョン・グァンイル)氏 インタビュアー:勝 谷 誠彦氏
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01165

(三浦生)