人工乳房制作の「ブレストケア・アーティスト」心の傷も“修復” | 日本のお姉さん

人工乳房制作の「ブレストケア・アーティスト」心の傷も“修復”

人工乳房制作の「ブレストケア・アーティスト」心の傷も“修復”
スポニチアネックス 2015/11/9 07:00

タレントの北斗晶(48)が乳がんで乳房の摘出手術を受けたことが大きな関心を集めた。会見では、がんそのものへの恐怖だけでなく、乳房を失ったことへのショックを語った。そんな乳がん患者に向き合い、人工乳房を制作する「ブレストケア・アーティスト」という仕事がある。手術痕だけでなく、心の傷の修復にも手を貸していた。

名古屋市内にある工房で貝谷文(34)は、シリコーン製の人工乳房に色づけをしていた。乳房は本物のように重量感があり、柔らかい。依頼者の乳首や肌の色に合わせて着色するだけではなく、血管やシミまでを筆で描いていく。

「できるだけ生命感を出すように仕上げています」と語る。手掛ける人工乳房は、専用の接着剤で体に貼り付ける。自分で付け外しが可能。触っても違和感はなく、普通のブラジャーも着けられる。一見して人工物とは分からない。そのまま入浴もできるので、乳がん患者らからは「温泉にも気兼ねなく行ける」と喜びの声が届く。

人工乳房の制作は、石こうで上半身の型を取り、それを基に粘土型を作製、シリコーンでの乳房形成という工程がある。その中でブレストケア・アーティストは、型取り、粘土型の微調整、最終的な肌との色合わせと、少なくとも3回、顧客の体と対面する。

乳房を切除した患者は心因的なショックが大きく、自分でなかなか傷を見ることができず、人に見られることにも苦痛を感じる。北斗も術後「傷を見ることができない」と吐露していた。

最初の型取りで、家族以外に初めて傷を見せたという人も少なくない。それだけに緊張し、体にも力が入っている。「それが、最後にシリコーンの乳房を接着して色を合わせると、表情が変化するのが分かります。“なくしたおっぱいが戻ってきたわ”と言われると、作って良かったと思います」と語る。

貝谷は、乳房をなくした女性の胸の傷だけでなく、心の傷も修復しているのだ。

幼いころから手先が器用で、工作や理科の実験が好きだった。武蔵野美大に進学し彫刻を学んだ。美術関連の仕事が少なかったため、卒業後は、会社事務を経て歯科助手として働いた。「やはりもの作りがしたい」と感じていた28歳の時、新聞で人工乳房を作る「池山メディカルジャパン」(名古屋市)を知り、会社が運営するスクールに飛び込む。彫刻の下地は粘土型の作製などに役立ち、1年半で同社のブレストケア・アーティストとして働き始めた。

美術と医療関連という、一見、遠い分野。しかし、そこに違和感はなかったという。

「作って終わりじゃない。使っていただく中で、本人や周囲の人にも喜んでもらえる。自分の作品が、自分の手を離れ“生きている”ことが喜び」と話す。

乳房を失った依頼者とどう向き合うか困惑もあった。依頼者の要望を聞きアドバイスをする「アドバイザー」と2人1組で仕事を進める仕組みだったことが、心配をやわらげた。1つの人工乳房の制作には、2~3カ月かかる。依頼を受ければ、全国へ出向く。

「私は制作者に徹し、自分がいいと思うものではなく、依頼者が満足するものを作ることを心がけている」という。北斗のニュースに「あんなに強い人でも乳房を失うショックは大きいんだ」と感じ、自身の仕事の重要性を再認識した。

乳房は医療的な処置で再建する方法もある。ただ、手術後、さらに体にメスを入れることを負担に思い、諦める人もいる。貝谷は「人工乳房が一つの選択肢になれば、それでいい」と静かに語った。=敬称略=
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