朴大統領はボールを握って離さないだけだ。 | 日本のお姉さん

朴大統領はボールを握って離さないだけだ。

頂門の一針の読 者 の 声
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1)東京大学名誉教授・平川?弘氏は「外国語による自己主張の訓練 を」と言う:前田
正晶

件名に挙げたのは、2日の産経の「正論」に平川名誉教授が「危惧の念抱 く教養主義の衰退」と題して論じられた中の小見出しの一つで、私の興味 を惹いた点だった。

論文としては誠に立派ご尤もな ことばかりで、流石に 平川名誉教授と恐れ入って読んでいた。

中でも掲題の項目で「私が学際的につきあった人は理系社会系を問わず詩 文の教養があり外国語が達者な人が多かった。

外国人との食卓で豊かな会 話をできぬような専門家では寂しいではない か」と言われた辺りは極めて 印象的で同感だった。

平川名誉教授はそれだけというかそこまでの地位に 達しておられたので、そういう教養と共に外国語の熟達の必要性を痛感 さ れたのだろうが、我が国の人でそこまでの領域に至る例がどれほどあるだ ろうか。

そこで、自分自身の例を振り返ってみた。

何度か述べてきたように、私は 自分が望んでアメリカの会社に39歳で転身したわけではなく、アメリカの 大手の企業の文化があのように我が国のそれとはあ れほど異なっていると 事前に承知していたら、転身などしなかっただろうと今になって考えてい るのだ。

そして幸か不幸かの判断には迷うが、転身先でアメリカの上位 数 %に入るだろう人たちと仕事をして、彼らの家庭にも招かれることに なっていったのだった。

そこで彼等と毎日のように朝か晩まで行動をともにして、当然のように食 事も共にした。
また彼らの奥方や家族との食事も当たり前のように行って きた。

馴れない間はその場の話題についていくも の容易ではなかったし、 こちらから持ち出す話題の選び方すら解らずに苦しめられたものだった。

そこで知り得て事は話題には西洋文化史に属するもの、クラシカル音楽、 美術から時にはスポーツ等の多岐にわたる知識を求められるものが多い点 だった。

そうと知った当初は苦しめられた。
簡単に言えば「えらいところに来てし まった」という嘆きだった。

だが、幾らかの時を経て解ったことは「それ は彼等の文化であって我々のものではない。
故に
知らないと言って、話題 の輪に入っていけないと思って恥だと思う必要などない」という悟りだっ た。

即ち、「そこでは、彼らが知らない、乃至は正しい知識が無い日本固 有の文化等を語れば良いのであって、臆することはない」のだった。

そこから先の問題点があれば、そういう話題を如何にして英語(私はアメ リカの会社の日本駐在員とでも言えば良い身分だったから)で彼らに理解 させるように表現するかではないか。

自慢話と採 られても結構だが、私は 幸運にも我が国独特の「科学としての英語教育」に毒されていなかったの で、比較的容易に自分が表現したいことが言えたので、遂には「貴方がそ れほど”conversational entertainer”とは期待していなかった」と言わ れるまでにはなれた。

言いたいことは、平川名誉教授のお説には賛成であっても我が国の外国語 教育の水準の低さでは、学校教育だけでその水準に到達するのは至難の業 だし、ましてや私のように自ら選んだ運命であっ ても、アメリカのそうい う会社に入って社会の上位に属する層の人たちとの深い交流の機会を得る のは簡単ではないと懸念するものだ。

私はそのような機会は海外駐在や留 学でも容易に巡っては来ないと思っている。
意味が違うのだ。

ではどうするべきかは平川名誉教授のような優れた方にお考え願うか、小 学校から英語を必須科目にしようなどと誤った(愚かな?)ことを企画す る文科省が、本当の意味で海外に出てそういう経 験をした人たちの経験か らの意見を承って外国語(語学ではない、私は学問では無いと思うが)教 育をそういう水準に達する必要がある職業や学業を目指す人たちの為に改 革すべきだと思う。

決して万人に施すべき教育ではないと思うのだが。

3823号の貝塚さんの投稿で上西さんが危篤状態だと知って愕然としており ました。

実は、上西さんとは誌上を通じてのみならずEmailでの英語や ローマ字等に関する意見交換や、私からお尋ねするなど の交流もありまし た。

だが、遂にお目にかかる機会がなく終わったのは残念だと思います。

一度は「何とか言う有名な焼酎を入手したので」とのお誘いまで頂きまし た が、私が飲めないと知って見送りになったことまでありました。

更にご自身が編集された「表音小英和」を贈って戴き、今でも重宝に使っ ている数少ない「紙の辞書」になっております。しかし、私からは何度も 上西さんに「私の英語と上西さんのそれとはよっ て来たるところが余りに も違い過ぎるので議論にはならない」と申し上げてありましたが、何度も 難しい理論を送ってこられて私の意見を求められていたのも、今となっ て は思い出でしょうか。

また私は2~3ヶ月前だったでしょうか、ご入院中途は知らず質問のメール を送ったところ、「入院中だが折角のお問い合わせだから」と何時もの旧 漢字と旧仮名遣いの文章で答えて戴いたことがあ り、とんだご迷惑をかけ したとお詫びしたものでした。

まさか、それほどの重症でご入院とは、入 退院を繰り返していた私には想像が出来なかったのです。

終わりに謹んで理論派の碩学としてご尊敬申し上げてきた上西俊雄さんの ご冥福を重ねてお祈りする次第です。(前田 正晶)


3)総理は実質的に何も語られなかった:前田正晶

昨2日にソウルから帰国された安倍総理がBSフジのPrime Newsに出演され た。

ある程度の期待を持って「具体的な会談の内容を語られることはない だろう」と思って見てしまった。

総理が感情を抑制 された感じで実際に語 られた内容は、3日の産経の一面に田北真樹子(外信部記者)と阿比留瑠 比の解説の方が余程説得力があったと感じさせたほど淡々としたものだっ
た。

朴槿恵大統領と少人数(3人だった模様だ)で先に懇談された話題はおよ そ私でも想像がつくようなものだったから、産経は多くのページを使って 詳細に記載していた。

私には「XX婦問題について は挺対協が実権を握って おり、大統領は・・・」という辺りが全てだと思わせてくれたし、総理が 「解決済み」と突っぱねられたとしても不思議はなかったと思う。

テレビ各局が記者会見も昼食会もないような予定であると解ったように報 じたが、朴大統領と韓国側にはそのような非礼な態度をとらざるを得ない 国内事情があるとの解説も私は採りたくない。そ
れそのものが韓国の姿勢 であり対日感情であり、そこまで持って行かせた陰には朝日の誤報(虚偽 の報道)と河野談話があったので、そこに我が国につけ込み、我が国に国 際的に汚名を着せる機会を与えてしまったことがあったのだと思っている。

それにしても私はテレビ局たちが「3年半も首脳会談を行うことが出来な かった」という伝え方をし続けていたのは不快だった。

あれでは「我が国 が要請しても韓国に応じて貰えなかった」と言いた いように聞こえるのだ から。総理は「何時でもドアを開けて待っている」と言っておられたし、 現実にアメリカからの圧力(要望?)もあって会談を開かざるを得ない時 期 に来ていたのは韓国側ではなかったか。反日的であって気に入らない。

事の序でに英語の講釈をすれば、マスコミ報道は”Japanese government kept on trying to have the top-level (summit) meeting only to fail. または Korean government never agreed.”と言っているのと同じ だ。

要するに、「非は我が方にあり」とどうしても言いたいのが偏向した テレビ局の姿勢ではないのか。

私は会談が開催されたことを例によって”Better late than never.”と評 価したいのだ。我が国が如何なる議題でも譲歩する理由も必然性も根拠も ない。

産経は韓国側が我が国にボールを投げ込ん だという意味のことを 言っていたが、私は朴大統領はボールを握って離さないだけだと思っている。

4)3日は「文化の日」でした。
日本の歴史上、文化政策で偉大な功績 を残した人と言えば、聖徳太子、菅原道真と大江匡房(おおえのまさふ さ)が挙げられると思います。(まこと)

5)1月3日第3824号で、坂元誠さんが、4人の日本人が、中国各地で スパイ活動をしたとして、中国当局に拘束されたことについて「4人はいずれも素人の民間人」だと、スパイの可能性はないとされています。

しかし、元外務省国際情報局長だった孫崎亨氏は、ラジオで「スパイに間違いない」と言っていました。

南京事件についても、NHK朝6時前の土曜コラムか日曜コラムで、評論家が「南京事件はあったことは間違いない、ただ、人数には問題がある が」と言っていましたし、民報でも同じようなこと を言う人がいました。

外務省の怠慢を非難する人が多いのですが、マスコミが中国の応援団ですと、どうしようもないと思います。

話は変わりますが、NHK朝5時のニュースで「シールズが渋谷駅前で、 安保法制反対の集会を行いますので、多くの方々の参加を呼び掛けていま す」と言っていましたが、こんなのはニュースで しょうか?

NHKは朝6時にニュースから夜9時のニュースまで、おおむね公平、中 立だと思いますが、深夜早朝になると左傾したニュースや意見、解説が多 くなるような気がしております。(剛)