日本人ほど、清く正しく美しい民族は無いと思います。 | 日本のお姉さん

日本人ほど、清く正しく美しい民族は無いと思います。

日本人ほど、清く正しく美しい民族は無いと思います。


悪さをしているのは、在日韓国・朝鮮人が多い。そして、チュウゴク人やブラジル人、ペルー人。まあ、在日の人数が多い方が悪人も多いです。在日韓国朝鮮人は、50万人しかいないのに、日本人よりももっと高い確率で犯罪を犯している。


チュウゴク人は一年間で150人もの日本人を殺している。しかも、殺す人数は毎年増加中。


外国人は、ウソつきが多い。日本人がウソをつかな過ぎる民族なのだと思う。


外国に行くと、スリ、置き引き、ぼったくりにやられる。


日本では、そんなに心配しなくても大丈夫。


そんな日本人だけども、神さまの前には、どんないい人でも罪があると見なされる。心に生まれつき罪の種があるから、人は罪を犯すし、子供だって教えなくてもウソをついたり人を憎んだり悪さをしたりする。


神さまの基準は、心の中で「あんな人いなければいいのに」と思っただけで殺人と一緒なのだ。


その罪を神さまが赦すと言われている。その方法とは、罪の無い者が人類の身代りに罪の罰を受けて死ぬこと、そして三日目によみがえることだった。


罪が無い人間なんていないし、死んでそのままだったら、意味が無い。


神さまの仕事であったと信じることができない。


罪のある人間は他の人間の罪の罰を身代りに受けて救うことができない。


天使は、人間を神さまのように愛していないから、罪は無いけれども身代りには死ねない。そうなると、神さまのひとり子のもう一人の神さまが、人間を救うためにこの世に来るしかない。


そんなことをしてまで、人間を救う義理など神さまには無いのだが、神さまは人間を愛しておられるので、誰でもどんな罪があっても、神さまを信じるだけで罪が赦されて死後に神さまの国、天国に行けるようにしてくださった。


ひとり子のイエス・キリストが聖書に書かれた預言のとおりに、この世に来られて十字架にかかって死に、三日目によみがえって40日後に40人以上の人たちの見ている前で天に戻っていかれたのは、「罪のあるわたし」を救うためだったと信じるだけで罪が赦されます。


カーター大統領の妹のルースさんは、罪の意識に苦しむ人にイエス・キリストの赦しを教えたのだと思うけれども、ヒーリング効果だけもらっても仕方が無い。イエス・キリストは「わたしのために」十字架にかかったのだと信じなければ、天国に行くことはできません。


清く正しく美しい生活を送っている人も、神さまの前ではひとりの罪のある人間です。救われないと死後に本来悪魔の行く場所である地獄に行くことになります。神さまを信じないで、自分を神とし、偶像を神とし、お金や物を神とし、悪の霊やオカルトや占いにまみれて生きていたら、完全に悪魔の陣地の子でしょう。当然、悪魔と同じ場所に行きます。生きている間こそ、チャンスが与えられているのです。死ぬ前に、神さまに呼びかけて神さまに罪を赦してもらってもいいでしょう。でも、神さまが罪を認めて戻ってきなさいと呼びかけてくれている間に神さまを信じて救われてください。自分のいのちは、いつまでかなんて、自分で決められないのです。神さまが決める「終わりの時」があるのです。だったら、神さまがチャンスを与えておられるうちに、神さまを信じてください。「罪を赦してください。新しく生まれ変わった人生が欲しい。死後に天国に入れてください」と直接神さまに向かって語りかけてください。どんな語りかけでもいいです。


神さまは願う者に応えてくださいます。





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日本人よ、清く正しく美しくあれ


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加瀬 英明





福田赳夫内閣が、昭和51(1976)年に発足した。





私は首相から対米折衝を手伝うよう頼まれ、首相特別顧問という肩書を与えられて、ワシントンをしばしば訪問した。40歳だった。





当時のアメリカは、カーター政権だった。





私はホワイトハウスを訪れるうちに、カーター大統領の妹のルース・ステイプルトン夫人と、親しくなった。 ルースはなかなかの美人だった。





背の高い獣医と結婚して、ジョージア州のカーター家の郷里に住んでいたが、ホワイトハウスにしばしば遊びにきて、泊っていた。





兄の大統領がルースを溺愛していた。





カーター大統領はキリスト教の信仰心が、きわめて篤いことで知られるが、ルースも奉仕活動として、神霊治療の仕事に打ち込んでいた。





神霊治療師はアメリカで「スピリチュアル・ヒーラー」と呼ばれるが、精神が病んでいる人や、過去に過ちを犯した人に、聖書を教え、ともに祈ることによって立ち直らせることをする。





私は首相に進言して、ルースを日本に招待して貰った。





私がルースと親しくなって、感動したのは、過ちを犯した人に、「目を閉じて、そのときのことを、一瞬一瞬、思い出して下さい。そして、あなたのすぐわきに、イエス様がいたと想像して下さい。あなたは階段をあがって、ドアをあけた? あなたは何を考えていましたか?」といって、「その時に、イエス様がどう思われたことでしようか? きっと、深くお悲しみになったことでしよう」と、話しかけるということだった。





そして、ともに祈ったうえで、「これからも、イエス様がいつもあなたのわきにいらっしゃいますから、イエス様を悲しませないで下さい」というのだった。





ルースは、しばらく前に他界した。





いま、この原稿を書きながら、ルースをホワイトハウスまで迎えにいって、市内のイタリア・レストランに案内したことや、東京にきた時に、わが家で亡妻が手伝って和服を着せて、料亭の歓迎パーティに連れていったことを、思い出す。





ルースは神霊治療を、「内なる救い」と呼んだ。





人は誰でも、みな、救いを求めている。





これは太古の昔から、東西を問うことなく、人類に共通している心の渇きあった。





イエスは人類を救うために、神の子として降臨した。





釈尊は瞑想することを通じて、心を無にすることによって、心身をわずらわせる煩悩(ぼんのう)を断つことができると、説いた。





自らを救うためには、神や、仏に縋(すが)るだけではなく、自分の持てる力を振り絞らなければならない。





そういっても、人は非力である。





ルースが説くように外から大きな力を、借りるとよいだろう。





私は「宗教は何ですか」とたずねられたら、とまどいながら、神道と答えるだろう。





仏教諸派の教えはすばらしいと思うものの、外来宗教であるから、なじまない。





神道は教典も、戒律もなく、宝塚歌劇団のモットーと変わらないが、「清く正しく美しく」あれということを旨として、生きてきた。





今年は終戦70年に当たる。





日本は経済繁栄のなかで、日本人として多くの美点を失ってしまった。





日本を取り戻さねばならない。





そこで、私は日本人として英霊に恥じないように、毎日を英霊とともに歩んでゆこうと思う。