クリスチャン関係のキリシタン研究の本で読みました。
スペイン人のコエリヨは、何度もスペインに手紙を書いて、「軍艦をよこして日本を攻めてほしい」とお願いしている。てっとり早く日本を征服したかったのでしょうが、そのたびに、マカオにいる別の宣教師や、マニラの宣教師らに反対されている。スペインも日本にかまっていられない事情もあって、日本は植民地にされませんでした。スペインは、南米でインカ帝国を潰したことを少しは反省していたようで、日本も同じように潰そうとは、思っていなかったようです。
寺を破壊したのが悪いと言いますが、その地方の王様だから、それぐらいの権力は使っていいと思って宣教師がやらせた可能性があります。悪いと思っていないのだから、日本人が文句を言ってもしょうがない。高槻のキリシタン大名高山右近も、寺を粗末にしたそうですが、庶民が、自分たちの領主がキリシタンになったら、自分たちも一緒に!と気を使って自らキリシタンになった結果、寺がさびれただけなのではないかとわたしは思っています。
寺の住職が集まって、高山右近の悪口を触れて回ったそうです。でも、高山右近は、立派に仕事をして、民の世話をし、税もきちんと収めて、どこよりもしっかりやっていたそうです。
結局は最後には迫害されてマカオに島流しになりました。
キリスト教関連ハードのみの世界文化遺産登録は、ちょっと調べると日本がキリスト教徒(スペイン・ポルトガルのイエスズ会ですが)を迫害したという黒歴史を世界の人々に広めることになるので、クリスチャンのわたしとしても、それはやめておいたほうがいいのではないかと思います。
キリシタンを生きたまま、肥溜めの中に顔だけ出して埋めて、自然に腐っていくままに任せて殺すという残虐な事を九州の大名たちはやったのですよ。元キリシタン大名のくせに、お上に狙われたとたんにキリシタン迫害に回っているのだから、元々大名たちは、神様を信じてはいなかったのです。
宣教師や宣教師についてきた悪い商人たちから火薬を買うために奴隷を渡していたのは、日本の大名たちです。
金で払わずに、奴隷で払いたいと自ら商人たちに願い出たのですよ。
宣教師たちは、驚愕して、奴隷売買は、宣教がやりにくくなるから辞めさせてくれとスペインに手紙を書いています。
商人は、儲かればそれでいいので、宣教師たちには奴隷売買は止められなかったのです。
とにかく、日本の大名たちは火薬欲しさに自ら申し出て奴隷を渡して物々交換をしたのです。(奴隷と交換だから物者交換かな)
宣教師だけが悪いようには、広めないでもらいたいですね。
宣教師の中には、コエリヨのように力で日本を思い通りにしようとする政治家みたいなのがいたのです。コエリヨは、「なぜ奴隷売買をするのだ?」と聞いた秀吉に「売りたい者がいるから買う者もいるのです。奴隷を売らないようにあなたが命令したらいいです」と言って秀吉の気を損ねたのです。
その時の通訳が気の利かない人で、外国人の単刀直入な不躾な言い方をそのまま訳したのです。高山右近は、その時、そばにいて経験豊かな通訳を使わせようとしたのに、コエリヨは連れてきた通訳を使うと押し通したそうです。高山右近も右近の父親も、秀吉が怒ったのは、コエリヨのせいだと言っています。クリスチャン関係のキリシタン研究の本で読みました。
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3)世界遺産登録に疑問 : 九州男
貴誌3795-2号の「キリスト教関連ハードのみの世界文化遺産登録は日本国家を冒涜するもの!」を読みました。危惧を抱いている聡明な方達がまだいらっしゃることに安どの思いです。
相変わらず反安倍、反日、反自衛隊、反原発、反米、反イスラエル、護憲、親韓、媚中、諂(てん)露、Sealds応援、IS同情、高遠菜緒子支援、小林節頑張れ、日教組負けるな、朝日万歳、沖縄独立の記事に埋め尽くされている地方(痴呆)新聞ですが、過日掲載された貴重な寄稿を紹介します。
この方が投稿なされなければ、全国一無知蒙昧な県民はこれまでの状況を当たり前のこととして受け入れているでしょう。
(引用開始)世界遺産登録に疑問(歴史上の事実にも触れて) 東彼川棚町 常在寺住職 合川 天心
465年前の天文18(1545)年、イエズス会の宣教師ザビエルによって日本に初めてキリスト教が伝えられました。以来、多くの宣教師たちにより九州地方を中心として、西日本一帯にキリスト教が広まることになりました。
特に大村藩においては、領主大村純忠がキリスト教に入信したことにより、藩内ほとんどの寺社、仏像、墓石などがキリシタンによって破壊され、領内には80を超えるキリスト教会が建てられ、全領民はキリスト教への入信を強いられました。
宣教師フロイスが記した「日本史」には「殿がデウスに感謝の奉仕を示し得るには、殿の所領からあらゆる偶像礼拝と崇拝を根絶するに優るものはない。領内にはもはや一人の異教徒もいなくなるよう全力を傾けるべきである。
(中略)殿は早速家臣団挙げての改宗運動を開始すべきである」とあります。フロイスはこうした寺社破壊を1582年の書翰(しょかん)に「今まで日本にいた間のもっとも大いなる楽しみを味わった」とさえ記しています。(琴湖の日月大村史)
また長崎、茂木の地を大村純忠がイエズス会に寄進したことにより、岬の教会(現在の県庁)は大砲などで武装され、要塞となりました。イエズス会の巡察師バリニャーノは「海に囲まれた長崎のこの高い岬を充分堅固にし、弾薬、武器、大砲その他必要なものを配備せよ。ポルトガル人を要塞に住まわせ、そこの住人全員に武器を持たせよ」と指令しています。(第一回長崎学県民講座・松田毅一京都外国語大学教授講演)
当時の日本布教の責任者・日本準管区長ガスパール・コエリョは有馬から発信した1585年3月3日付書翰で、フィリピンからスペイン艦隊を差し向けてほしいと斡旋を求めた後、中国征服に触れて次のように述べています。
「もしも国王陛下の援助で日本66カ国全てが改宗するに至れば、フェリペ国王は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊をえて、一層容易に中国を征服することが出来るであろう」(キリシタン時代の研究)
この書翰発信の2年後、天正15(1587)年に豊臣秀吉は「伴天連追放令」を出しました。このことについて、平成元(1989)年の第一回長崎学県民講座で松田毅一京都外国語大学教授は「秀吉の行動は為政者として当然すぎることである」と述べられています。
「従来の南蛮学はキリスト教の立場に偏って書かれていたものが多かったと思われるので訂正されなければならない」とも言われています。その松田先生の警鐘をまるで無視してしまったかのような昨今の状況はいかがなものでしょう。
イエズス会などのキリスト教布教は、日本仏教文化の徹底的破壊活動の上に成り立ったものであり、その裏側には日本植民地化の政策があったことは疑いありません。
以上のような歴史の事実に全く触れないでキリシタン迫害史だけを強調することは、歴史の隠蔽・改竄に加担することにはならないのでしょうか。
長崎県世界遺産登録推進課制作パンフレット「世界遺産候補・長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、「天下統一を進めていた豊臣秀吉は、1587年に突如「伴天連追放令を発し、宣教師たちの追放を命じました」とあり、また「日本で活躍した主な宣教師」5人の中に、日本準管区長ガスパール・コエリョの名前が無いことなどは只々(ただただ)驚きのほかはありません。
加えて、政教分離や信教の自由をも脅かすような公共機関による啓蒙活動や多額の公金の使い方に対しても大変憂慮しています。世界遺産登録自体には、特に異議を唱えるものではありませんが、現在進行中の登録推進活動には大いに疑問があります。
今こそ日本人の矜持が問われているのではないでしょうか。(引用終了)
書名は失念しましたが、故山本七平氏の書にもキリスト教の欺瞞性を時の将軍に進講した新井白石の話がありました。キリスト教も結構ですが、現状のわが県は、47都道府県中県民所得46位という惨状と、反日国に最も近い距離と相まって、貧すれば鈍す、何か特殊な力が加わって、熱病にうなされている感がします。
常在寺ご住職のお話だけでは到底足りないでしょう。原爆祈念公園にはそれでなくとも怪しげな諸国の慰霊碑ばかりが林立しており、そこに加えて最近は従軍慰安婦像の建立話が持ち上がっており、おちおち枕を高くして眠れません。
これまでトップギアで新聞投稿を行っておりましたが、有効打率1割未満の完全アウェイ状態。また過日、産経新聞自らが「新聞に公平公正を求めるな」と書く有様なので、少し脱力気味。精々こちらで頑張りたく思っています。(九州男)
寺を破壊したのが悪いと言いますが、その地方の王様だから、それぐらいの権力は使っていいと思って宣教師がやらせた可能性があります。悪いと思っていないのだから、日本人が文句を言ってもしょうがない。高槻のキリシタン大名高山右近も、寺を粗末にしたそうですが、庶民が、自分たちの領主がキリシタンになったら、自分たちも一緒に!と気を使って自らキリシタンになった結果、寺がさびれただけなのではないかとわたしは思っています。
寺の住職が集まって、高山右近の悪口を触れて回ったそうです。でも、高山右近は、立派に仕事をして、民の世話をし、税もきちんと収めて、どこよりもしっかりやっていたそうです。
結局は最後には迫害されてマカオに島流しになりました。
キリスト教関連ハードのみの世界文化遺産登録は、ちょっと調べると日本がキリスト教徒(スペイン・ポルトガルのイエスズ会ですが)を迫害したという黒歴史を世界の人々に広めることになるので、クリスチャンのわたしとしても、それはやめておいたほうがいいのではないかと思います。
キリシタンを生きたまま、肥溜めの中に顔だけ出して埋めて、自然に腐っていくままに任せて殺すという残虐な事を九州の大名たちはやったのですよ。元キリシタン大名のくせに、お上に狙われたとたんにキリシタン迫害に回っているのだから、元々大名たちは、神様を信じてはいなかったのです。
宣教師や宣教師についてきた悪い商人たちから火薬を買うために奴隷を渡していたのは、日本の大名たちです。
金で払わずに、奴隷で払いたいと自ら商人たちに願い出たのですよ。
宣教師たちは、驚愕して、奴隷売買は、宣教がやりにくくなるから辞めさせてくれとスペインに手紙を書いています。
商人は、儲かればそれでいいので、宣教師たちには奴隷売買は止められなかったのです。
とにかく、日本の大名たちは火薬欲しさに自ら申し出て奴隷を渡して物々交換をしたのです。(奴隷と交換だから物者交換かな)
宣教師だけが悪いようには、広めないでもらいたいですね。
宣教師の中には、コエリヨのように力で日本を思い通りにしようとする政治家みたいなのがいたのです。コエリヨは、「なぜ奴隷売買をするのだ?」と聞いた秀吉に「売りたい者がいるから買う者もいるのです。奴隷を売らないようにあなたが命令したらいいです」と言って秀吉の気を損ねたのです。
その時の通訳が気の利かない人で、外国人の単刀直入な不躾な言い方をそのまま訳したのです。高山右近は、その時、そばにいて経験豊かな通訳を使わせようとしたのに、コエリヨは連れてきた通訳を使うと押し通したそうです。高山右近も右近の父親も、秀吉が怒ったのは、コエリヨのせいだと言っています。クリスチャン関係のキリシタン研究の本で読みました。
~~~~~~~
3)世界遺産登録に疑問 : 九州男
貴誌3795-2号の「キリスト教関連ハードのみの世界文化遺産登録は日本国家を冒涜するもの!」を読みました。危惧を抱いている聡明な方達がまだいらっしゃることに安どの思いです。
相変わらず反安倍、反日、反自衛隊、反原発、反米、反イスラエル、護憲、親韓、媚中、諂(てん)露、Sealds応援、IS同情、高遠菜緒子支援、小林節頑張れ、日教組負けるな、朝日万歳、沖縄独立の記事に埋め尽くされている地方(痴呆)新聞ですが、過日掲載された貴重な寄稿を紹介します。
この方が投稿なされなければ、全国一無知蒙昧な県民はこれまでの状況を当たり前のこととして受け入れているでしょう。
(引用開始)世界遺産登録に疑問(歴史上の事実にも触れて) 東彼川棚町 常在寺住職 合川 天心
465年前の天文18(1545)年、イエズス会の宣教師ザビエルによって日本に初めてキリスト教が伝えられました。以来、多くの宣教師たちにより九州地方を中心として、西日本一帯にキリスト教が広まることになりました。
特に大村藩においては、領主大村純忠がキリスト教に入信したことにより、藩内ほとんどの寺社、仏像、墓石などがキリシタンによって破壊され、領内には80を超えるキリスト教会が建てられ、全領民はキリスト教への入信を強いられました。
宣教師フロイスが記した「日本史」には「殿がデウスに感謝の奉仕を示し得るには、殿の所領からあらゆる偶像礼拝と崇拝を根絶するに優るものはない。領内にはもはや一人の異教徒もいなくなるよう全力を傾けるべきである。
(中略)殿は早速家臣団挙げての改宗運動を開始すべきである」とあります。フロイスはこうした寺社破壊を1582年の書翰(しょかん)に「今まで日本にいた間のもっとも大いなる楽しみを味わった」とさえ記しています。(琴湖の日月大村史)
また長崎、茂木の地を大村純忠がイエズス会に寄進したことにより、岬の教会(現在の県庁)は大砲などで武装され、要塞となりました。イエズス会の巡察師バリニャーノは「海に囲まれた長崎のこの高い岬を充分堅固にし、弾薬、武器、大砲その他必要なものを配備せよ。ポルトガル人を要塞に住まわせ、そこの住人全員に武器を持たせよ」と指令しています。(第一回長崎学県民講座・松田毅一京都外国語大学教授講演)
当時の日本布教の責任者・日本準管区長ガスパール・コエリョは有馬から発信した1585年3月3日付書翰で、フィリピンからスペイン艦隊を差し向けてほしいと斡旋を求めた後、中国征服に触れて次のように述べています。
「もしも国王陛下の援助で日本66カ国全てが改宗するに至れば、フェリペ国王は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊をえて、一層容易に中国を征服することが出来るであろう」(キリシタン時代の研究)
この書翰発信の2年後、天正15(1587)年に豊臣秀吉は「伴天連追放令」を出しました。このことについて、平成元(1989)年の第一回長崎学県民講座で松田毅一京都外国語大学教授は「秀吉の行動は為政者として当然すぎることである」と述べられています。
「従来の南蛮学はキリスト教の立場に偏って書かれていたものが多かったと思われるので訂正されなければならない」とも言われています。その松田先生の警鐘をまるで無視してしまったかのような昨今の状況はいかがなものでしょう。
イエズス会などのキリスト教布教は、日本仏教文化の徹底的破壊活動の上に成り立ったものであり、その裏側には日本植民地化の政策があったことは疑いありません。
以上のような歴史の事実に全く触れないでキリシタン迫害史だけを強調することは、歴史の隠蔽・改竄に加担することにはならないのでしょうか。
長崎県世界遺産登録推進課制作パンフレット「世界遺産候補・長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、「天下統一を進めていた豊臣秀吉は、1587年に突如「伴天連追放令を発し、宣教師たちの追放を命じました」とあり、また「日本で活躍した主な宣教師」5人の中に、日本準管区長ガスパール・コエリョの名前が無いことなどは只々(ただただ)驚きのほかはありません。
加えて、政教分離や信教の自由をも脅かすような公共機関による啓蒙活動や多額の公金の使い方に対しても大変憂慮しています。世界遺産登録自体には、特に異議を唱えるものではありませんが、現在進行中の登録推進活動には大いに疑問があります。
今こそ日本人の矜持が問われているのではないでしょうか。(引用終了)
書名は失念しましたが、故山本七平氏の書にもキリスト教の欺瞞性を時の将軍に進講した新井白石の話がありました。キリスト教も結構ですが、現状のわが県は、47都道府県中県民所得46位という惨状と、反日国に最も近い距離と相まって、貧すれば鈍す、何か特殊な力が加わって、熱病にうなされている感がします。
常在寺ご住職のお話だけでは到底足りないでしょう。原爆祈念公園にはそれでなくとも怪しげな諸国の慰霊碑ばかりが林立しており、そこに加えて最近は従軍慰安婦像の建立話が持ち上がっており、おちおち枕を高くして眠れません。
これまでトップギアで新聞投稿を行っておりましたが、有効打率1割未満の完全アウェイ状態。また過日、産経新聞自らが「新聞に公平公正を求めるな」と書く有様なので、少し脱力気味。精々こちらで頑張りたく思っています。(九州男)