南京事件はドイツの工作宣伝 より: | 日本のお姉さん

南京事件はドイツの工作宣伝 より:

南京事件はドイツの工作宣伝 より:
2015年7月11日 5:45 PM

日本もアメリカも実は騙されています
実は武器を売りたかった 中独合作時代のドイツ側が大宣伝したものです
全部ドイツの記者からの報告だったのですよ
そんなドイツと同盟結んで騙されて、、

そのドイツがなぜユダヤ人を敵視したか。
買収されやすいアメリカの政治をどう牛耳ったか。
いまも牛耳られまんまと罠にはまってるアメリカもそうだけど
肝心のこの日本
マスコミをいいように動かし、近隣諸国とは仲たがいするよう工作し
戦争の火種を作り続ける人たち
お金を自由に刷り渡し国家に貸し付ける人たち
根は深いです。

今はグローバル企業と国家との戦いでもあります。
アメリカ韓国はもはや手中に収め
北朝鮮でさえグローバル企業の餌食に落ち
グローバル企業を育成し逆に世界を乗っ取ろうというのが中国であり
グローバル企業を閉ざしてるのがイラン。
ナショナリズムで自国企業防衛したいのが日本とロシア。
もうTPPで風穴開いてしまいますが
もう遅い、先延ばしはもう無理。
世界の株価の時価総額が 世界の国内総生産総額を超えてしまう異常事態。
その株価以上に実体のない先物取引とデリバリティブ取引とインチキ仕組債のファンド 。

それをみんな騙されて、世界の最終処理が全部日本と言う事実。
悲しいです。
世界中の国家が破たんするでしょう。
戦争やプロパガンダ合戦もあり日本は悪者にされ むしりとられ 技術もただ漏れパクられるでしょう。
生き残るのはグローバル企業と世界通貨発行権を持ちマスメディアを支配する一部の人たち。
世界中の一般人は東インド株式会社のような企業に統治されることでしょう。
日本株式会社はその実験の場だったのです。
http://www.endanji.com/?p=713

真実が一部あると思う。
でも、世界中の国家が破たんした時に、ヨーロッパ10各国連合(EUの次の集合体)の

ローマから出てくる独裁者が力を握ったらいよいよ世界の終りのはじまりです。
今のところ、まだ、時間がありそう。イスラエルが、まだ「神殿」を建てていませんからね。
聖書の預言では、イスラエルがすごい速さで神殿を建てるんです。
聖書では、イスラエルはいちじくの木にたとえられています。
いちじくの葉が出てきたら、世界の終りが近いと知りなさいと書いてあります。
聖書の預言では、終わりの時には、イスラエル国家ができあがります。
なんと、1948年5月14日にイスラエル国家が国連で承認されてできました。
いちじくの葉が出てきたと言う意味です。

シオンとの架け橋
http://www.zion-jpn.or.jp/israel_history03.html
イスラエルの歴史
建国とその後の歩み

ナチスのユダヤ人迫害を生き延びた多くのユダヤ人たちは「自分たちの国を持つしか無い」と考え、パレスチナの地を目指すようになりました。 そして、当時イギリスの管理下だったパレスチナで は、ユダヤ人とアラブ人の争いが激化してきました。

こうした状況に対処するため、1947年に国連でパレスチナをユダヤ国家、アラブ国家、国連関連管理地区の3つに分ける分割案が採択されました。 その決定をユダヤ側は受け入れたのですが、アラ ブ側は拒否しました。

翌1948年5月14日、イギリスによる委任統治期間が終了後、テルアビブで初代首相ベングリオンによる独立宣言が行われます。

しかしその翌日、周辺のアラブ諸国がこれを認めず、武力攻撃を開始しました。 周囲をアラブに囲まれ、イスラエルの小さな軍隊ではまったく勝ち目がないと思われていたのに、この戦争にイスラエルは勝利します。

これ以後、イス ラエル軍とアラブ軍との間で何度も戦争が行なわれています。

1948~49年 独立戦争(第一次中東戦争)
独立宣言直後に始まったこの戦争は、国連の停戦勧告を受けて終了しますが、結果はイスラエルが国連分割案より多くの領土を獲得し、エルサレムは旧市街地を含む東地区がヨルダン領に、西地区がイスラエル領になりました。
またこのと き、戦争を逃れるために、65万人というパレスチナ難民が発生しました。

この背景には「イスラエル攻撃の巻き添えにならないように、一時アラブ側に避難せよ」とアラブ諸国がパレスチナ住民に呼びかけたこともあります。

また、この戦争の後で、アラブ諸国から数十万人のユダヤ人が追放され、財産を奪われてイスラエルに逃れて来ました。

イスラエルはユダヤ人の難民を全て国民として受け入れました が、アラブ諸国はパレスチナ難民の同化を拒否しました。

そして、現在に至るまで「難民」の地位のままにしているため、難民の人口は大幅に増加しており、中東問題の解決をますます難しくする要因となっています。

1956年 スエズ戦争(第二時中東戦争)
エジプトのナセル大統領のスエズ運河国営化宣言により、イギリスとフランスがイスラエルを巻き込んで、エジプトを攻撃しました。

この戦争を契機にイギリス・フランスの中東への影響力は 後退し、米・ソ両国が中東における主導権を強めてきました。

1964年5月にPLO(パレスチナ解放機構)が結成され、武装勢力ファタハによる対イスラエルゲリラ闘争が拡大しました。

1967年 六日間戦争(第三次中東戦争)
エジプト軍がシナイ半島に大軍を展開し、国連軍の撤退を求め、イスラエルに対してチラン海峡の封鎖を行ったのを受け、イスラエル軍はエジプト、シリア、ヨルダンなどのアラブ諸国の空軍を電撃攻撃しました。

イスラエル軍は、わずか6日間のうちにシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原など広範囲を占領しました。

またイスラエルはエルサレムの旧市街全域を制圧し、東エルサ レムと西エルサレムとの再統一の宣言をしました。

この戦争は、記録的な勝利として知られています。

イスラエル軍の教育課程では、様々な戦争について詳しく学ぶのですが、この戦争だけは題材としてほとんど取り上げません。

それは「明らかな奇跡なので、学んでも仕方が無い」からだそうです。

しかし、この戦争の大勝利は、占領地の支配権という複雑な問題をも引き起こしました。

イスラエルはエルサレムなどの地域を自国領土として併合しましたが、それ以外の土地は管理しているだけだという立場を取っています。

当初、西岸地区はヨルダン領、ガザ地区はエジプト領だったのですが、後に両国がその領有権を放棄したため、現在は「誰のものでもない土地」という、国際法上の奇妙な扱いになっているのです。

また、西岸地区とガザ地区には、右派のユダヤ人たちが政府の支援を受けて入植地を建設するようになりました。 こ

れも、中東問題の解決を困難にする要因の一つです。

1973年 ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)
エジプトとシリア軍がイスラエル占領地に攻撃をしかけたのをきっかけに、戦争が始まりました。

この日がユダヤ教徒にとってヨム・キプール(贖罪日)という一年の中でも 最大の祭日であったため、イスラエル側ではヨム・キプール戦争とも呼ばれています。

この戦争によるイスラエル軍、アラブ軍の犠牲は大きく、またアラブ諸国が石油価格を武器に欧米などに圧力をかけてオイルショックを引き起こし、世界経済にも大きな影響を与えました。

戦争後、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相との間で、米国のキャンプデービッドで合意が成立します。

しかしシナイ半島はエジプトに返還されたものの、パレスチナ問 題やエルサレムについての明確な合意はなく、またサダト大統領は裏切り者としてアラブ過激派によって暗殺されてしまいました。

1987年 ガザ地区でイスラエル軍によってパレスチナ人が殺されたことを発端に、パレスチナ人の抵抗運動インティファーダが始ました。

1991年 湾岸戦争勃発
イラク軍のクウェート侵攻を機に、アメリカを中心とする西側諸国が多国籍軍を結成し、イラクに対して開戦しました。

イスラエルは参戦していないにもかかわらず、イラクよりスカッ ドミサイルによる攻撃を受けます。
http://www.zion-jpn.or.jp/israel_history03.html

「イスラエルはユダヤ人の難民を全て国民として受け入れました が、アラブ諸国はパレスチナ難民の同化を拒否しました。 」

シリア人やヨルダン人がアラブ諸国に難民といて行っても、きっと冷たくあしらわれると分かっているから、みんなEUを目指すんだろうね。

同じアラブ人で、同じイスラム教徒でも、温かく受け入れてくれるワケ無いとみんな知っているのだろう。

結局は、民主主義で一応キリスト教徒が多いとされる国が一番栄えているし、難民に優しいんだよね。

EUは、過去にアフリカやアラブの国々やアジアの国々で植民地政策をとっていたから、アフリカやアラブの国々にとっては嘗ての宗主国ってことで、なじみが深いし近いから、どうしてもEUに行きたいんだろう。

それにEUは、地理的にシリアに近いにも関わらず、「イスラム国」の連中が、シリアで人々を殺したり性奴隷にしているのに、特に何もしてこなかった。

「イスラム国」を野放しにしていたら、難民が出るのはあ・た・り・ま・え。

誰だって、自分の恋人や妻や娘が「イスラム国」の連中の性奴隷にされるのは、嫌でしょ。