メルケル首相が難民を受け入れる気持ちになったのは、このニュースのせい? | 日本のお姉さん

メルケル首相が難民を受け入れる気持ちになったのは、このニュースのせい?

海岸に打ち上げられた移民男児の遺体、欧州各国で波紋呼ぶ
2015年09月03日 08:04 発信地:イスタンブール/トルコ
トルコ南部ボドルムの砂浜に打ち上げられた移民の子どもの遺体のそばに立つ警官(2015年9月2日撮影)。(c)AFP/DOGAN NEWS AGENCY

【9月3日 AFP】トルコ沖で移民らを乗せた船が転覆した後、海岸に打ち上げられた男児の遺体を写した写真が、大きな反響を巻き起こしている。

トルコの通信社ドーガン(Dogan)が撮影した写真には、トルコ・ボドルム(Bodrum)近くの砂浜にうつぶせに横たわる男児の遺体が写っている。遺体はその後、警官によって拾い上げられた。

写真はインターネット上で広く共有され、ツイッター(Twitter)上ではハッシュタグ「#KiyiyaVuranInsanlik(海岸に打ち上げられた人間性)」が世界のトレンド上位に入った。

英紙デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)は「難民危機の真の悲劇を示す恐ろしい画像」との見出しを掲載。英紙ガーディアン(Guardian)は、この写真が悲惨な現状を「国内に持ち帰った」と報じた。

英紙インディペンデント(Independent)は、「もし、シリア人の子どもの遺体を写したこの非常に力強い写真をもってしても、欧州の難民に対する姿勢が変わらないとしたら、いったいどうやったら変わるというのか」と報じた。

また、ハフィントン・ポスト(Huffington Post)英国版は、「何とかしろよ、デービッド」と、同国に到着する移民に対し強硬策をとるデービッド・キャメロン(David Cameron)英首相に迫った。

スペインでは、エルパイス(El Pais)、エルムンド(El Mundo)、エルペリオディコ(El Periodico)の各紙のウェブサイトも写真を掲載。エルペリオディコ紙は「欧州
の水死」とのタイトルを写真につけた。

男児は、ギリシャのコス(Kos)島に向かう途中の2日朝にトルコ海域で沈没した移民船2隻に乗っていて死亡したシリア人のうちの一人とみられている。

死亡したのは少なくとも12人で、うち5人が子ども、1人が女性だった。他に15人が救出され、救命胴衣を着け海岸にたどり着いて助かった人もいた。(c)AFP

http://www.afpbb.com/articles/-/3059247?pid=16406551
子供たちは私の手を滑り抜けた」 水死したシリア男児の父が述懐
2015年09月04日 09:49 発信地:ボドルム/トルコ

トルコ南部ムーラ県の遺体安置所の外で待つ、水死したアイラン君の父親のアブドラ・クルディさん(右、2015年9月3日撮影)。(c)AFP/OZAN KOSE

【9月4日 AFP】トルコの浜辺に遺体となって打ち上げられ、その写真が世界中に衝撃を与えている3歳のシリア人男児の父親が3日、ギリシャを目指していたボートが沈没した際の様子を述懐し、「子どもたちは私の両手の間を滑り抜けていった」と語った。

男児の父親の名は、トルコメディアではアブドラ・クルディ(Abdullah Kurdi)さんと報じられているが、シリアの情報筋はアブドラさんの姓をシェヌ(Shenu)だとしている。アブドラさんは、写真に写っていたアイラン(Aylan Kurdi)君に加え、4歳のガレブ(Ghaleb Kurdi)君と妻のリアナ(Rihana Kurdi)さんを一度に失った。

アブドラさんはトルコの通信社ドーガン(Dogan)に対し、乗っていたボートが沈み始めた時の様子を語った。「私は妻の手を握っていました。子どもたちは私の両手の間を滑り抜けていった。暗くて、みんな叫んでいました」「小さなボートにしがみつこうとしましたが、空気が抜け始めていました」

2日に起きた事故では、ギリシャのコス(Kos)島に向かっていた2隻の船がトルコ海域で沈没し、シリア人12人が水死した。エーゲ海(Aegean Sea)では移民が犠牲となる同様の事故が相次いでいる。

だが世界の注目は、遺体となってトルコのリゾート地ボドルム(Bodrum)の浜辺に打ち上げられたアイラン君に向けられた。その写真は瞬く間に世界中に拡散し、難民が直面している悲劇のシンボルとして受け止められた。

現地のAFPカメラマンによると、ボドルムの遺体安置所の前では3日、うつろな表情で座って携帯電話を見つめながら、家族の遺体を納めたひつぎが自治体の車両にのせられるために出てくるのを待つ、悲しみに満ちたアブドラさんの姿が見られた。

トルコメディアによると、アブドラさんは家族と他のシリア人3人と共に、昨年にクルド人部隊とイスラム過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が1か月にわたって戦闘を繰り広げたシリアのアインアルアラブ(Ain al-Arab、クルド名:コバニ、Kobane)からの脱出を試みていた。
■「岸まで泳ごうとした」

 アブドラさんによると、深夜乗り込んだボートは岸から500メートルほど離れたところで浸水し始め、乗っていた移民らはパニックに陥った。転覆したボートにしがみつきながら、子どもたちと妻を離すまいとしていたが、家族はたちまち流されていってしまったという。

「光を頼りに、岸まで泳いで渡ろうと思った。渡り切った時には、妻と子どもたちを見つけることができなかった。3人は怖くなり逃げているのだと思った」「(ボドルム)市内でいつもの待ち合わせ場所に行ったが、3人が見つからなかったので病院へ行ってみた。そこで訃報を聞いた」

 アブドラさんは、一家でカナダを目指していたと語ったが、今はただ家族を埋葬するためコバニに帰りたいと話している。

 コバニのクルド人活動家、ムステファ・エブディ(Mustefa Ebdi)氏によると、一家は2012年までシリアの首都ダマスカス(Damascus)で暮らしていたが、内戦による情勢不安のため、複数回にわたり避難を強いられた。避難を繰り返すうち、6月にはコバニでイスラム過激派が人質を取って2日間にわたり籠城し200人以上の民間人が死亡する事態となったことを受け、一家はトルコから欧州へと渡ることを決意した。

 一家はボドルムに1か月滞在し、資金を蓄えたり、親族から借り受けたりして、欧州入りの準備をしていた。「彼らはよりよい生活を求めて(シリアを)去った」(エブディ氏)
■「三度目の正直」を願った一家

 ドーガンはアブドラさんの話として、コス島を目指していた一家は密入国仲介業者に過去2度渡航料を払っていたと伝えている。

「最初は沿岸警備隊に捕まり、後に釈放された」とアブドラさん。2度目は「業者が約束を破って姿を現さず、船も来なかった」という。

 過去の苦い経験から、アブドラさんたちは自力で海を渡ろうと決心。同郷の人たちと一緒に、「自分たちでボートを手に入れ、向こう岸に渡ろうとした」と語っている。(c)AFP/Ozan KOSE, Dilay GUNDOGAN in Istanbul
http://www.afpbb.com/articles/-/3059391?pid=0