日中関係が悪化した3年ほど前から、「日本に居づらくなった」ともこぼしていた中国人の話 | 日本のお姉さん

日中関係が悪化した3年ほど前から、「日本に居づらくなった」ともこぼしていた中国人の話

「反中ムード」に押し潰される在日中国人の知られざる傷心
ダイヤモンド・オンライン 7月23日(木)11時0分配信
やや上向き加減で落ち着いてきたかに見える日中関係。しかし、日本で暮らしている中国人の中には、「反中ムード」の重圧をひしひしと感じている人もいる。彼らの「傷心」に迫る

● 外国人で溢れ返る銀座のユニクロ 素朴で微笑ましい中国人夫婦の姿

やや上向き加減で落ち着いてきたかに見える日中関係。「爆買い」報道も一段落したが、筆者は先日訪れた長崎で、やはり中国人の団体観光客を大勢見かけた。偶然同じ土産物店にいたため気がついたのだが、筆者から見て、特に彼らのマナーが悪いという印象はなかった。ただ、買い物を終えた数人が、道路の路肩にどっかりと腰を下ろし、座り込んでいる姿は目に飛び込んできた。

路肩に座り込むといえば、東京・銀座で頻繁に見かける中国人も同様だ。銀座によく行く人は目撃していると思うが、とにかく中国人団体観光客の数が多い。個人客もいるとは思うが、集団で歩いているので目につきやすいのだ。

大きな買い物袋を提げて、歩行者天国に設置されたパラソルの下を陣取ったり、数人で横に並んで路肩に座ったりしている。特に週末は、まるで上海の繁華街・南京路を歩いているのではないか、と錯覚するほどの光景で、日本人はあの中国人の数とパワーに圧倒されてしまうのではないかと思った。

6月中旬、筆者は銀座6丁目のユニクロで買い物をしていて、ある中国人夫婦から声をかけられた。そのときのやりとりがとても印象的で新鮮だったので、後日、一連の出来事をSNSに書いた。内容は次の通りだ。

実は、この書き込みがきっかけで、筆者にとってはとても深刻で、かつ残念な騒動に巻き込まれてしまったのだが……。まずはそのときの内容を、正直にここで“告白”することにしよう。

「銀座のユニクロは70%が中国人、15%がその他の外国人、15%が日本人というほど中国人が多い。4階のレジに並んでいたら、後ろに並んだ中国人夫婦に、普通に中国語で話しかけられた。免税のことを聞きたかったらしいので、6階の外国人専用カウンターに行くように教えてあげたが、そのまま動かず、4階のレジの日本人にも普通に中国語で話しかけていた。店員は困って苦笑。中国人の夫は気にせず、リンゴ1個をまるかじりしながら、やけに楽しそう。リンゴは銀座8丁目の『肉のハナマサ』で買ったらしく、とてもおいしそうだった(笑)」

このように、筆者は銀座での体験談をそのまま書いた。決して中国人を“批判”しようとして書いたわけではない。ただその出来事に驚き、中国人夫婦(服装やしゃべり方などから、明らかに田舎の出身者だった)の自由なふるまいに唖然としつつも、どこか素朴で微笑ましいな、という気持ちを込めて書いたつもりだった。
私の微妙なニュアンスがちゃんと通じたのか、多くのSNS友達(その中には中国人の友人も含まれていた)が賛同してくれて、「いいね! 」を押してくれた。友人たちはみんな、筆者が中国と関係の深い仕事をしていることを承知しているので、そうした感覚もこの文章を読む「前提」として持っていただろう。

ちなみにコメント欄で、私の友人たちはこんなことを書いてくれた。

「中島が中国人に見えたんじゃない? 」

「この間、札幌の郊外に行ったんですけど、そこの露天風呂も9割は中国人でしたよ」


「箱根も小田原も中国人多いよ」

「私も松屋デパートでおばさま中国人から、普通に中国語で何か尋ねられました(笑)」


「楽しそうなご夫婦の様子が目に浮かびますね」

● 「中国人をバカにしている! 」 何気ないつぶやきが生んだ波紋

書いてくれたのはいずれも日本人だ。筆者とリアルの社会でも接点があり、筆者の書き込みに普段から好意を持ってくれている人がコメントしてくれたのは、言うまでもない(もちろん、そう思わない人もいるはずだが、SNSのルールとして、そういう人はたいていスルーする)。しかし、画面を覗いていた筆者の目の前で、挑戦的な書き込みをする中国人女性(40歳)がいた。知り合って5~6年になる友人だ。

「中国人をバカにしていますか? 」

筆者はびっくりし、「そんなことないよ~。なんでそんなこと言うの? 」と冗談めかして返信したのだが、それは他人にも見えてしまう公のコメントだ。何か嫌な予感がして、彼女と自分のコメントをすぐに削除した。

メッセージ欄で彼女だけに問い合わせをしたのだが、「中国人をバカにしている」の一点張りで、聞く耳を持たない。「そう受け取られるようには書いていない」と言うと、「私の日本語力が足りないせいですか? 」と開き直る。普段の明るく爽やかな彼女とは明らかに違う雰囲気を察知し、すでに夜も遅かったのだが、電話をかけてみた。

電話で筆者は「そんなつもりは毛頭なかったこと、あの文章を理解してくれている友人が大勢いること」を延々と説明したが、「中島さんは中国人に対して上から目線だ。そういう人ではないと思っていたが、潜在的にそういう気持ちを持っているはずだ。他の日本人と同じように……」と言われ、思わず絶句してしまった。

● 「日本人に白い目で見られている」 在日中国人が胸に秘めたやるせなさ

結局、1時間も電話で話したが、らちがあかなかった。どれほど丁寧に説明しても、態度を硬直化させ、感情的になって怒っているので、どうしようもない。

筆者は議論することをあきらめ、半ば強制的に電話を切った。電話を切ろうとすると彼女は不満げな様子で、少しすがりつくような様子を見せたが、筆者も目から涙が溢れてきて、もうそれ以上会話をすると泣き出してしまいそうだった。これまで中国に関する取材のネットワークづくりのなかで、長年続けてきた努力を無にされたような、情けない気持ちになったからだ。

しばらく放心状態だった。翌日、他の複数の中国人にも私の書き込みを見てもらい、どのように感じたか率直な意見を聞いてみたのだが、筆者と親しいからか、彼女と同じように受け止める人はなく、むしろみんな私に同情してくれた。

考えてみると、彼女の激しい言動の背景には、1~2年前からいくつかの伏線があった。彼女に最後に会ったのは昨年10月。4月に発売した拙著『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか? 』に関するインタビューのためだった。取材を終えて雑談になったとき、彼女は愚痴を言い始めた。

「2~3年前から、同じマンションに住む日本人家族から、白い目で見られているんです」

彼女は夫と2人で都内の高級マンションに暮らしている。彼女たちが中国人であることは同じフロアの人は知っていて、エレベーターホールで日本人にばったり会うと、避けるような素振りを見せるという。日本人の子どもも同じで、彼女を見つけると、母親が子どもの手をしっかり握り、逃げるように去っていくというのだ。また、同じエレベーターには同乗しようとしない、とも悲しそうに話していた。

現場を見ていないので確かなことは言えないが、「そんなことはないと思うよ。思い過ごしというか、被害妄想の部分もあるのではないか」と慰めたが、彼女は「いや、絶対にそうだ」と言う。他にも、日中関係が悪化した3年ほど前から、「日本に居づらくなった」ともこぼしていたが、筆者はそれほど深刻なことだと受け止めていなかった。

● 日中関係が悪化してから 中国語を教える仕事が減った

似たような話は、別の在日中国人からも耳にしたことがあった。50代半ばになる中国人女性だ。その女性とは知り合ってまだ1年程度だが、在日歴が20年以上になる人だ。中国語教師をしている彼女は昨年、本気で「仕事が減った。日本人から冷たい目線を感じる。中国に帰国しようか、どうしようか悩んでいる」と打ち明けてくれた。大学や専門学校で中国語を教えているが、やはり日中関係が悪化してから、中国語を学ぼうとする学生や社会人が減少しているという。

データで確かめた情報ではないので、本当に中国語学習者が減少し、日本人の態度がそれほどまでに変化したのかどうか、筆者には判断できないし、わからない。少なくとも、筆者の周囲の友人には、特定の国の国民を、理由もなくバカにするような人はあまりいないが、ある日本人の友人は、筆者にこう語ってくれた。

「確かに、日本人の中には中国人に対して、常に上から目線の人が多いのは事実。中国人観光客が増えて、関係が少し良好になってきた半面、観光客のマナーが悪いのも事実。彼らのような観光客と、日本で礼儀正しく生活している在日中国人を混同し、十把一絡げに“だから中国人はダメ”と一刀両断にする人も多い。

きっと彼女は育ちのいい人で、これまで外でリンゴをかじった経験は一度もなかったかもしれないが、日本人からリンゴをかじりながら歩く中国人観光客のことを指摘されると、(たとえ、日本人はそれを微笑ましいという意味で言ったとしても)中国人全体が小馬鹿にされているように感じられ、同じ中国人として黙っていられない、悔しい、と思ったのかもしれませんね。きっとそういう彼女だって、普段であれば、そういうマナーの悪い中国人を同じ中国人として軽蔑していたのかもしれないのに……。

反日デモ以降の3年間、日頃の鬱憤がじわじわと彼女を苦しめ、心を病ませる原因となり、その怒りとフラストレーションが爆発寸前まできていたのではないでしょうか。怒りの矛先をどこにもぶつけることができず、自分にいつも優しく接してくれる中島さんに思わず向けてしまったとしか思えない。今ごろ、彼女も反省しているのではないでしょうか。また、中島さんからの連絡を待っていますよ」
筆者はこの言葉に救われる思いがした。

筆者はこれまで、中国の政治や経済という大枠ではなく、個人を取材することを信条としてきた。巨大な国のマクロ情報をいくら取材しても、日本人にとって中国人は身近には感じられないし、得体が知れない国の得体が知れない人々、としか思えないと思ってきたからだ。よく読者の方からは、「中島さんの記事の特徴は、普通の日本人が接触できない中国人とつき合い、彼らの生の声を多数載せていること。そこにこそ価値がある」と言ってもらってきた。

だが、生の声を載せようと思えば思うほど、その人により深く近づく必要があり、プライベートにも立ち入ることになる。具体性を持たせれば持たせるほど、日本人にはリアルな中国人像が思い浮かびやすいが、それを読んだ中国人は不快に感じる部分があるかもしれない。

その逆も同じで、そもそもお互いの立場が違うので、受け止め方は異なるということだ。日本人同士でも、同じ文章を読んでも、人によって受け止め方は千差万別なので、それが外国人ならばなおさらだ。そこに、さらに国家間の摩擦や軋轢などが上乗せされれば、その国をネガティブに見てしまう傾向は、記事を読む前の段階からますます強まってしまい、固定概念に囚われて、正しい理解を妨げてしまうことが考えられる。

● ボディーブローのように効き始めた 日中関係悪化の影響をどう払拭するか?

国家ではなく個人を見ようとしてきた筆者も、心のどこかにバイアスがかかっていて、“得体の知れない中国人”を単純視する面がなかったのか、反省する必要があるのかもしれない。

いったんこじれてしまった国家間の関係を改善するのは、至難の業だ。それは承知していたが、国家間の関係悪化が、たった1人の個人の生活や生き方にも、これほどまでに影響を与えるということを筆者は痛感した。国家の関係が悪くても、国籍に関係なく、人間としてつきあえばいいのだ、と考えてきたが、長い日中関係の悪化は、個人にもボディーブローのように効いている。

私たちは日中の国家関係をどうすることもできない。だが、少なくとも日本を好きで、日本で暮らしてきた彼女たちの気持ちが、少しでも前向きで、明るいものとなることを祈らずにはいられない。

中島 恵[ジャーナリスト]
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150723-00075300-diamond-bus_all&p=1