ヒトラー、FDR(ルーズベルト)、プーチン、習近平のように覇権(縄張り)拡大のために「是が非でも
日米同盟への米国の不満つのる
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平井 修一
高橋洋一・元内閣参事官/嘉悦大教授の論考「きちんとした同盟で戦争リスクは4割減る 防衛費は自前より75%安い」(ZAKZAK8/7)から。
<筆者は、データや事実などをベースに物事を考え、イデオロギーとは無縁にしている。この意味では右でも左でもない。
米プリンストン大留学時には、国際政治・関係論、平和論を勉強したが、イデオロギー的な話は語学の壁もあってできないので、戦争のデータに基づく議論ばかりしていた。
国際政治・関係論、平和論では、どうしたら戦争をしないようにできるかを研究するので、日本の左派勢力のように、「憲法第9条だけ唱えていれば、日本だけは平和になる」という議論は論外だ。
戦争の基礎データは「戦争の相関プロジェクト(COW:the Correlates of War Project)」のウェブサイトで公開されている。主要な資料は、
1816~2007年の戦争データである。
ここでは、「1000人以上の戦死者を出した軍事衝突」が戦争と見なされており、この数量的定義が国際政治学では広く使われている。そして戦争は「国内」「国家間」「それ以外」に分けられている。
エール大のブルース・ラセット教授とアラバマ大のジョン・オニール教授は、膨大な戦争データから、「民主主義国家同士は、まれにしか戦争しない」ことを実証した。
その集大成が、両氏によって2001年に出版された『Triangulating Peace』という本だ。筆者はプリンストン大時代に同書に出合うことができて、幸運だった。
同書では、1886年から1992年までの戦争データについて、リアリズムとリベラリズムのすべての要素を取り入れて実証分析がなされている
それによると、戦争のリスクは、
(1)きちんとした同盟関係を結ぶことで40%
(2)相対的な軍事力が一定割合(標準偏差分、以下同じ)増すことで36%
(3)民主主義の程度が一定割合増すことで33%
(4)経済的依存関係が一定割合増加することで43%
(5)国際的組織加入が一定割合増加することで24%、
それぞれ減少するという。
日本の周辺での危険国は中国である。というのは、中国は選挙もない非民主主義国だからだ。(3)の民主主義については、両方ともに民主主義国だと滅多に戦争しないという意味で、古典的な民主的平和論が正しい。
一方の国が非民主主義だと、戦争のリスクは高まり、双方ともに非民主主義国なら、戦争のリスクはさらに高まる。
ここで2つの選択肢がある。1つは独立国として、一定の軍事力を確保して、中国以外の国との同盟を強化(1)し、中国との経済的依存関係を強め(4)、中国に国際的組織加入を促す(5)ことだ。
もう1つは、中国の属国化することで一定の軍事力を放棄することだ。ただし、その場合、中国以外の国と平和関係を結ぶことは難しくなる。
日本が独立国として生きる場合、集団的自衛権の行使は、戦争のリスクを最大40%減らし、防衛費は自前での防衛より75%程度安く、望ましいという結論になる。個別的自衛権の行使より抑制的(戦後の西ドイツの例から)とのおまけもある>(以上)
ヒトラー、FDR(ルーズベルト)、プーチン、習近平のように覇権(縄張り)拡大のために「是が非でも開戦したい」という指導者はいるから、上記の1~5をもってしても戦争抑止にならない歴史はあったし、これからもあるだろう。
ところで西側諸国の防衛費はGDPの2~3%が普通だ。NATOは加盟国に3%を
目指すように指示しているが、みな金欠病だから2%前後にとどまっている。
日本は本来は4%、20兆円が望ましいが、日米同盟により1%、5兆円で済ませている。米国は4%、今のレートなら70兆円だ。米国からすれば「それはないだろう」ということになる。米国で再び“安保タダノリ”非難が高まっているという。
産経特別記者・古森義久氏の論考「一方通行の日米安保に米国で高まる不満 安保法制論議で語られない日本の米軍依存の現実」(JBプレス8/5)
から。
<安保法制の審議が参議院でも続く。この論議では、日本の防衛を支える米国の事情が考慮されていないことを、本コラム(「誰も言わない安保法制論議の致命的な欠陥」)で指摘した。
米国は年来、超党派で日本が集団的自衛権の行使禁止を解除することを望んできた。この点の経緯も上記の報告で伝えたとおりである。
ところがその米国側の意向が、実は「希望」や「期待」だけではなく、現状への不満であり、憤慨でもあることを最近改めて実感させられた。
この種の不満や憤慨は、長期的に見ると日米同盟における米国側の日本防衛誓約を浸食する危険性すら感じさせる。ワシントンでのこうした現実は、現地に駐在する記者としてやはり日本に向けて報じる必要があろう。
*下院ベテラン議員の日本非難の中身とは
つい2週間ほど前の7月15日、下院外交委員会の公聴会で、有力議員の次のような発言を聞いた。
「日米同盟はまったくの一方通行です。有事には米国が日本を助ける責務はあっても、日本が米国を助けることはまったくありません。日本に防衛負担をもっと増やしてもらうにはどうすればよいでしょうか」
下院ベテラン議員のブラッド・シャーマン氏(民主党)は声をかなり荒げて、他の議員たちや専門家の証人たちに対して主張と質問をぶつけた。
このような趣旨の意見は、1980年代に米国で聞かれた日本の「安保ただ乗り」非難を思わせた。日本は防衛面の負担を米国に押しつけ、経済面で利得ばかりを得ている、という批判だった。
それが2015年になっても、しかも、安倍晋三首相の4月末の訪米などで日米同盟が強化されたと評価されているにもかかわらず、米国でこのようなとげとげしい日本非難が出てくることは意外だった。しかも、憤慨とさえ呼べるような日本への激しい苦情なのである。
この公聴会は、下院外交委員会のアジア太平洋小委員会が開催した討論会の中で実施された。討論会のテーマは「米国でのアジアの経済、軍事の同盟関係」である。共和、民主の両党議員たちが出席し、米国の日本、韓国、フィリピン、タイとの同盟関係を、専門家4人の証言を基に論じた。
委員長マット・サーモン議員(共和党)は、公聴会を開催した理由について次のように述べていた。
「中国の継続的な拡張に対して、米国はアジアでの同盟関係をどう築いて運営していくべきか。その戦略を考えることがこの公聴会の目的です」
やはり要因は中国なのである。サーモン小委員長は、「中国がアジア太平洋地域の安全保障の現状を変えつつある。それに対して日米同盟などのあり方をどうするべきか」が焦点だと強調した。
*日米安保は「21世紀の米国の同盟とは言えない」
すると、小委員会内で民主党側の筆頭メンバーであるシャーマン議員が前記のような日本への不満を、鋭い語調で述べたのである。シャーマン議員は、オバマ政権を支える側の民主党所属である。同議員は次のように日本批判を続けた。
「9.11同時テロが起きて、米国人が3000人も死んだとき、米国は自国に対する戦争行動に等しいと解釈して、軍事反撃を取る構えを取りました。この対テロ戦争では、北大西洋条約機構(NATO)の同盟国すべてが集団的自衛権を行使して、米国と軍事行動をともにする態度を鮮明にしました。しかし、日本はそうしなかった。同盟国であるにもかかわらず、です」
「一般的に同盟関係は双務的かつ相互的です、しかし日米同盟だけは片務的、一方的なのです」
「日本は石油などを海上輸送路に依存するのにも、その防衛の負担を米国に負わせます。日本の防衛費はいつもGDP(国内総生産)の1%以下です。米国の4%に比べてあまりに少ないのです」
「日本に防衛努力の拡大を求めると、いつも憲法など法律上の制約を口実にして、それを拒みます。安倍首相は前向きの姿勢を見せてはいるが、そもそもこんな一方的な構造の日米同盟は前世紀の同盟であって、21世紀の米国の同盟とは言えません」
シャーマン議員はカリフォルニア州選出、当選10回のベテランである。連邦議会のそんな有力政治家が日米同盟の現状を不公正、不均等として非難するのだ。そして、その原因は日本側の集団的自衛権の行使禁止にあると主張する。
同議員は、日本での安保関連法案での集団的自衛権の議論を意識して、あえてこんな発言したのかもしれない。だが、その発言は日米同盟の、そもそもの一方的かつ片務的な構造に向けて矢を放っている。安倍首相の訪米や日米防衛の新ガイドラインが同盟を強くしたことを認めながらも、現状は受け入れがたいと強く唱えるのである。
*米国の集団的自衛権行使に依存する日本の防衛
公聴会に証人として登場したランディ・シュライバー元国務次官補代理や、ジム・ショフ元国防長官顧問も、日米同盟が片務的であるというシャーマン議員の不満を認め、そのうえで、日本の安保関連法案の採決が集団的自衛権行使容認につながることへの期待を明らかにした。
しかし、こうした期待が裏切られた場合、日米同盟における米側の誓約は弱くなると見るべきだろう。シャーマン議員の日本非難の発言には、日本が現状のままならば米国が日本防衛への完全な責務を保ち続ける必要はないだろう、という暗示があった。
となると、現在の日本での集団的自衛権の行使容認をめぐる論議は、日米同盟の結束の強さを将来的に左右する議論だと言えよう。
しかし、日本の国会での議論を見ていると、米国側のこうした不満や期待は不思議なほど論題とならない。与党側も、野党の「米国の戦争に巻き込まれる」という非難を意識してか、あるいは日本の防衛が米国に依存している現実を覆い隠したいのか、米国の態度には触れようとしない。あくまで「日本の防衛は個別か、集団か」という二者択一で議論を進めようとする。
だが現実には、日本の防衛には厳密な意味での「個別」とか「単独」はまったく想定されていない。日本領土が直接的な攻撃を受けた場合にだけ自衛権を行使する、という個別自衛権論がいくら語られても、実際の日本防衛はあくまで米国の支援に依存する集団自衛なのである。
日本が攻撃されても米軍がまったく動かず、日本の自衛隊だけが自国防衛にあたるというシナリオが現実となれば、日本の抑止力はほぼ失われてしまうだろう。
日本の防衛が日米同盟による米国の軍事的抑止力に大幅に依存している事実は否定のしようがない。好むと好まざるとにかかわらず、日本の安全保障は米国によって支えられてきた。
日本が攻撃されたときに個別的自衛権を行使することは、米国が日本の防衛のために集団的自衛権を行使することと一体となっているのだ。
残念ながら、その米国の政策や思考を無視した日本の防衛論は成り立たない。日本の与党も野党も、シャーマン議員の言葉が象徴する米国の不満や反発にどう答えるのだろうか>(以上)
「どう答えるか?」、政府・与党は「米国の理解を深めるために引き続き2+2で協議する」とほとんど意味のないことを繰り返し、野党は「そもそも憲法は戦争、戦力保有を禁止している」とほとんど70年前の時代錯誤的・倒錯的・痴呆的・思考停止の妄言を繰り返すだけである。
そもそも野党は中共を危険な国とはまったく思っていないし、ほとんど中共の狗になっている。中共の幇間で、裏で金でも貰っているのじゃないか。
小沢不動産は胡錦涛に「(私は)人民解放軍でいえば、野戦の軍司令官と
して頑張っている」とゴマをすったそうだが、何を何から解放するのか。
日本を米帝から解放するのか。相棒の山本太郎は生活の党、社民党の他に
極左暴力集団の中核派などからの支援も受けて当選した。
小沢は中共の手先で反米だ。日米同盟なんてどうでもいいというのが本音
だろう。
政治家の質が悪いのは国民の質の悪さを反映したものだ。安保法制案をいくら丁寧に説いても聞く耳も能力もないから無駄。ロバは70年たってもロバ。馬にはならない。さっさと採決し、中共迎撃の作戦を練るべし。
(2015/8/8)