頂門の一針より↓
安保法制論議で甦る「曲学阿世」
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屋山 太郎
原爆の遺物を見せたり、戦火の犠牲者にインタビューして戦争の悲惨さを語らせる。
先日、テレビでコメンテーターが「この語り部たちが戦火を防ぎ、平和を永続させてくれる」というのにはあぜんとした。
私も昭和20年5月25「日、東京で大規模な空襲に遭って、妹の手を引 きながら、猛火の中を逃げ回った。
両親とはぐれて一家はちりぢりとなった。
明朝、焼け跡に集まれたのは奇跡だったが、父は顔面を焼いて重傷だった。
だが私は戦争を語ることのみや、あるいは武装しないことによって平和が保たれるとは思えない。
≪「平和と全面講和」の虚構≫
国会で憲法学者が与党推薦も含めて「集団的自衛権の行使は憲法に抵触する」と語ったというので、安倍晋三内閣の支持率が急速に下がった。
この様をみながら、私が高校生だったころの吉田茂首相を思い出した。
当時は米軍占領下で、占領が終われば、各国と講和条約を結んで独立す
ることになる。吉田首相は「米国と単独講和条約を結ぶ」と表明してい た。
一方で「社会主義のほうがよい国がつくれる」との考え方も多く、学 者たちは「中ソとの講和」をしたかったのだが、それでは米国を敵視することになる。
そこで米中ソなど全員との「全面講和」を主張した。
吉田首相の単独講和論に対して、学者の総代ともいえる南原繁東大総長は「『全面講和』は国民の何人もが欲するところ。
これを論ずるは政治学者の責務である」と食らいついた。
昭和25年3月の東大卒業式でも「平和と全面講和論」を説いた。
これに怒った吉田首相は「南原総長などが政治家の領域に立ちいって、かれこれいうことは、曲学阿世の徒にほかならない」と批判した。
曲学阿世とは史記に出てくる言葉で、時代におもねる学者のことだ。
≪訓詁学に陥った一部の憲法学者≫
現在、日本は中国の脅威に直面している。中国は米国に太平洋を半分ずつ管理しようとか、米中だけの「新型大国関係」をつくろうと言っているが、半分ずつに分けられたら日本はどちらの側に入るのか。
学者の多くが集団的自衛権行使に反対しているのは、かつての「全面講和」論に通底しているのではないか。
吉田首相は単独講和に踏み切ったが、日本は米国の保護国のような立場だった。
これに先立って朝鮮戦争が勃発する。
戦力ではないといいながらも警察予備隊を創設せざるを得なかった。
岸信介首相は保護国の地位から脱するため、日米安保条約を改定する。
しかし、創設された自衛隊は所詮、警察体系の行動原理しか与えられない。
これを安倍首相は第1次内閣で防衛庁から防衛省に昇格させ、防衛に有効な姿にする目的で安保法制を整備しようという。
憲法に書いていなくてもどの国も自衛権を持つ。
日本の場合の歯止めは9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」である。
殴られなければ殴ってはいけない。殴られたら防衛することはできる。
その防衛のために 集団的自衛権がある。
日本では長い間、集団的自衛権について「権利はあ るが、行使はできない」と解釈してきた。
権利があって行使ができない “定義”はどこの国の辞書に載っているのか。
国連憲章は集団的自衛権を認めている。
新安保法制は敵からの攻撃により、「自国の存立を危うくする」なら、必要最小限の武力の行使を集団的自衛権の下で行ってもよいとする。
一部の憲法学者たちは「訓詁(くんこ)学」をしているがごとくである
訓詁とは漢字の意味を確かめる学問の遊びに陥って、文章をわきまえないことをいう。
≪中国の脅威の現実を語れ≫
憲法学者に問う。現憲法では「国会は国権の最高機関」だと定めている(41条)。その国会が選んだ首班が内閣を組閣し、指揮をとる。
内閣法制局などは行政機関の一部であって、ここに憲法解釈の最高権威を持たせることはあり得ない。
武器がなければ、戦争は起こらないという信仰は捨てた方がよい。
攻める側に「手痛い反撃を食うかもしれない」と思わせるに勝る抑止力はない。
英国のチェンバレン首相は「ヒトラーは戦争をするつもりはない」と相手の意図を見損ない、軍備増強策を怠ったため、ヒトラーの増長を招いた。
日本が米国との戦争に踏み切ったのは、官僚内閣制の大失敗だった。
内閣の実権を軍部に取られて戦争回避策がことごとく潰された。
現代はその時代とは基本的に異なる。議会で選ばれた首相が自衛隊の最高指揮官だ。
軍事についてもっと国民は理解すべきだ。
安保法制を理解させようと安倍首相は家屋の火事のたとえ話をしているが、適切ではない。
中国が軍事費を毎年拡大し脅威が増す一方で、米国が軍事費を減らしている現実を語ったほうがよい。
(ややま たろう ・ 評論家)
産経ニュース【正論】戦後70年に思う 2015.8.7
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世界は強い日本軍に期待
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平井 修一
井上和彦氏(ジャーナリスト)へのインタビュー『戦後70年、「日本軍が侵略した」と騙るすべての人へ』(衆知8/4)から。
<2年前、10万部を突破した『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)で話題を集めたジャーナリストの井上和彦氏が、新著『ありがとう日本軍』を上梓した。
「写真集を手にする感覚でご覧いただき、先の大戦を追体験していただきたい」「今こそ、日本人としての誇りを取り戻してほしい」。
「そこまで言って委員会NP」をはじめ数多くのテレビ番組のコメンテーター、キャスターも務める井上氏が、戦後70年のタイミングで執筆した本書に込めた想いを伺った。
*現地で一度も耳にしなかった、日本軍への非難
――『日本が戦ってくれて感謝しています』と比べると、カラーを含めた写 真が非常に多く掲載されています。
井上 「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、かつての戦場に立てば、わずかでも日本軍将兵の苦労や想いを追体験することができ、そして封印された歴史の真実が見えてきます。
私は、そんな大東亜戦争の真実を求めて、今も各地の戦跡を訪ね続けています。
マレーシア、シンガポール、インド、タイ、インドネシア、フィリピン…。そうした東南アジア諸国の他にも、日本人がリゾート地としてよく訪れるグアムやサイパン、テニアン、ペリリュー、そして沖縄で、私がこの足で歩いて出会い、カメラにおさめた「事実」を、皆さんにご覧いただきたかった。
そうすることで、大東亜戦争を追体験して欲しかった。
特に写真には、時には文字以上に事実を雄弁に語る力があります。
そこから、「あの戦争とはいったい何だったのだろう」と考えるきっかけにしていただきたいと思い、筆をとりました。
――実際に各国を歩いて回り、胸に残ったことは何でしたか?
井上 よく、日本では「日本軍はアジアで酷いことをしていた」と教えられます。
しかし私は一度も、1人たりとも、日本軍を悪し様に語る方に出会いませんでした。これは事実です。
むしろ、どうすれば「日本軍にこんな酷いことをされた」と語る方に現地で遭えるのか、大げさでなく、教えて欲しいくらいです。
現地の人々にとって、日本軍は植民地支配を続ける欧米諸国からの「解放軍」として目に映ったといいます。
第2次世界大戦前、世界の多くが欧米列強の植民地であり、被征服民は人間の尊厳も奪われまさしく奴隷として酷使されていました。
それこそ、教育も施されずに、馬や牛のように働かされていたといいます。
そんなところにやってきて、彼らを解放しようとしたのが、同じアジアの民族である日本軍だったのです。
*「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した」
――しかし、日本軍がアジアを「侵略」をしたと語られることもあります。
井上 日本が大東亜戦争を戦った理由、それは自存自衛とアジアの解放に他なりません。
戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」
と書き記しています。
この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。
また、「日本軍=侵略者」と騙(かた)る際に、日本人が現地の人々にビンタなどの「暴力」をふるったと指摘されることもあります。
しかし、私はテニアンで、日本軍が現地の人々に厳しく接したことへの感謝の言葉に出逢いました。
そこで出会った日本人女性が、テニアンの年配者から聞いたというこんな話をしてくれたのです。この女性によれば、
「この島のお年寄りたちは、『戦後やってきたアメリカは、たしかに援助はしてくれた。
けれど、気づけばピザとハンバーガーとペプシコーラを与えられるだけで、島民はおかしくなってしまった。
ところが日本時代は、確かに日本人は厳しかったが、モノをただ与えられる今に比べてほんとうに幸せな時代だった』と言ってますよ。と
皆、日本時代を懐かしがっているんですよ…」
というわけです。
働くことや学ぶことに日本人は厳しかったが、そこには現地の人々の暮らしを向上させようとする“愛”があったのです。
だからこそ日本時代を知る年配者は、日本時代への郷愁を感じているのです。
まさかテニアンで、こんな話を聞けるとは思っていませんでした。
世界中がこうした事実を知っているからこそ、私自身、各地で「日本軍を尊敬している」「日本軍に憧れている」、そして「ありがとう、日本軍」と声をかけられたのです。
――『ありがとう日本軍』に掲載している中で、印象に残っている写真はありますか?
井上 数多くありますが、昭和19年(1944)に撮影されたもので、ビルマ戦線でインド国境を突破し、ともに万歳をする日本軍将兵とインド国民軍の写真は何度見ても、胸を打たれます。
当時、展開されたインパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとされてきましたが、作戦の本質は日印連合軍による「対英インド独立戦争」でした。
事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、独立戦争として捉えています。
「日本の侵略戦争」などとは誰も思っていませんし、作戦の『事実』を端的に表わす1枚でしょう。
また、昨年訪れたインドネシアの「独立宣言起草博物館」に展示されていたスカルノ大統領手書きの独立宣言の起草案も掲載していますが、非常に印象的です。
インドネシアは日本が敗戦した2日後の昭和20年(1945)8月17日、オランダからの独立を高らかに宣言しましたが、スカルノは日付を「17-8-'05」と記しています。
この「05」とは、果たして何を指すのか。実は、「皇紀2605年」なのです。
彼らは独立しても、なお、日本の暦を用いたのです。
もしも日本のことを恨んでいたのならば、独立にあたって誰が皇紀を用いるでしょうか。
こうした写真を見るだけでも、「日本が侵略をした」という論がいかに事実無根であり、むしろ、アジア諸国の方々に、いかに感謝され、讃えられたかが分かると思います。
さらにいえば、その後のインドネシア独立戦争の中心を担った『郷土防衛義勇軍(PETA)』を戦時中に作ったのも日本軍であり、現在、PETA博物館前に建つ兵士像は日本兵と見分けがつきません。
*戦後70年、今こそ日本軍将兵の「事実」を
――折しも、「安倍談話」がまもなく発表される予定です。
井上 今、日本人がどうして卑屈になっているのか。
それは、大東亜戦争で実際に日本と戦ったわけでもない中華人民共和国と韓国に難癖をつけられているからです。
中華人民共和国が出来たのは1949年であり、韓国に至っては、共に戦った立場です。
実は、中華人民共和国を創設した毛沢東ですら、昭和39年(1964)に訪中した日本社会党の佐々木更三委員長らに「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。
みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです」(『毛沢東思想万歳』下)と語っているのです。
そういうことを、残念ながら日本人はあまりにも知らなさすぎますね
。だから、外から何か言われたら「我々の先人達が何か悪いことをしたんじゃないか」と思ってしまうのです。
そして謝る必要がないことに謝ってしまい、より外交関係が歪(いびつ)になる…。
世紀の大捏造事といえるいわゆる“従軍慰安婦”や、いわゆる“南京大虐殺”にしても、これがフィクションであるから、彼らは証拠を提示することができないし、また執拗に騒ぎ立てるわけです。
安倍首相は今年4月、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で、日本が国際社会に復帰する際にアジア・アフリカの国々が後押ししてくれたことに感謝すると語りました。
これは非常に重要なことで、なぜアジア・アフリカの国々が日本を後押ししたかといえば、大東亜戦争で日本が米英に対して起ち上がったことが、それまでの欧米列強支配の世界に楔をうち、アジアやアフリカの国々が独立のきっかけとなったからです。
安倍首相のスピーチは万雷の拍手を受けましたが、このスピーチこそがまさしく大東亜戦争の精神であり、我々はそろそろ、今まで囚われていた虚構、フィクションから脱出しなければならないでしょう。
――今年は、終戦70年を迎えた特別な年です。
井上 今、多くの戦争を体験した方々が亡くなっていっています。
恐らくは、「戦後80年」の時には、戦争体験を証言してくださる方は、残念ながら、いらっしゃらなくなっている可能性が高いでしょう。
その中で、従来のフィクションが生き続けるということは、将来の日本の子供たち、孫たちに負の遺産を遺すことになる。
だからこそ、あの3年8カ月の戦いを、正しく、客観的に見直すことは、将来の日本人に対する最大の贈り物だと思います。
そしてそれは、今を生きる我々の義務でもあるでしょう。
そうでなければ、将来の日本人は中国と韓国にいわれなき理由で不当に批判され続けることになりますし、また日本のため、アジア解放のために雄々しく戦った日本軍将兵たちは、中国、韓国に永遠に冤罪を着せられたままになってしまいます。
そんなことが許されていいはずがありません。
謝るとするならば、あの戦争に負け、日本に期待をしていたアジアの人々をがっかりさせたことでしょう。
日本が負けたことで、大東亜戦争中に独立を果たしたベトナムには、フランスやイギリスが戻り、インドシナ戦争が起きました。第1次、第2次インドシナ戦争でベトナム人は、あまりに大きな苦難に見舞われました。
また、インドネシアにもオランダやイギリスが戻り、独立戦争が起きましたが、ここでも多くのインドネシアの人々が殺されています。
もし、大東亜戦争で日本が負けていなければ、彼らはあの塗炭の苦しみを味あわずに済んだはずなのです。
そして、もう1つ、忘れてはいけないことがあります。
実は日本軍将兵の中には、戦後も現地に残って各地の独立軍戦争を戦った者も多かったのです。
ベトナムでは800人、インドネシアでは2000人にのぼりました。
彼らの中には終戦の詔勅に「朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず」とあることに胸打たれ、諸盟邦、つまりはアジアの国々に残って独立のために戦うことを決意した人もいたといいます。
まさに彼らは、大東亜戦争の理念の総仕上げを成し遂げようと起ちあがったのです。
もちろん、祖国には愛する家族がおり、会いたかったはずです。
そんな思いを擲(なげう)って、アジア解放のために戦ったのです。
このような日本軍将兵が行なったのは、「侵略戦争」だったのでしょうか。
現地を歩けば、そんな論がいかに馬鹿げた話か分かりますし、今の日本のメディアや政治家は自分の足で情報を得ていないため、真実をまったく知らないと感じずにはいられません。
だからこそ自分の手で大東亜戦争の「事実」を手に入れ、自分の頭で考えることが必要なのではないでしょうか。
拙著がその手段のひとつとなれば、それ以上の喜びはありません>(以上)
まさしく大東亜解放戦争だった。
英米仏蘭など白人国家にとって、美味しい植民地を奪った日本は永遠の敵であり、二度と立ち上がれないように封じ込めておくべき悪魔だった。
ところが朝鮮戦争で中共が参戦するや、西側陣営は共産主義の脅威を実感、日本の再武装を進めていった。
結果的に中共が日本を起こしてしまったのだ。
そして幾星霜、戦後70年で日本は再び国際社会で積極的に安全保障に寄与する覚悟を示し、法整備も進めている。
これも東/南シナ海での中共の乱暴狼藉がなければ実現しなかったろう。
しかし、これは「普通の国」への“始めの一歩”に過ぎない。
米国は「日本はちゃんと武力行使をしてくれ」と言っているのだ。
産経記者:古森義久氏の論考「米・日本の集団的自衛権行使容認は不十分2015年日米安全保障セミナーにて」(Japan-indepth 3/30)から。
<ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で「2015年日米安全保障セミナー」という集いが開かれた。
同研究所と日本国際問題研究所との共催で、ほぼ毎年、日米両方の官民の安全保障専門家たちが集まり、日米安全保障関係を議論する会合である。
後半の部の討論に登場した前ブッシュ政権の国務副長官だったリチャード・アーミテージ氏は安倍政権の集団的自衛権の行使容認への支持を表明しながらも、なお日本側に注文をつけたのだった。
「安倍政権の憲法解釈の変更による今回の集団的自衛権の行使容認はもちろん日米同盟の抑止力への大きな貢献となります」
「しかし安倍政権の今回の措置はアメリカなど他の諸国のような集団的武力行使までは許容していないため、将来は日本も他国並みのところまで、集団的自衛権の行使をもっと進められるようにしてほしいです」
こうしたアメリカ側の声を聞くと、日本の国内の現時点での多数意見とは大きなギャップがあることがわかる。
事実、アメリカの歴代政権は日本が集団的自衛権の行使を可能にすることを切望してきたのだ。
そしてアーミテージ氏の発言のように、安倍政権の現段階での集団的自衛権の行使容認ではなお不十分だとみなす声が民主、共和両党の区別なくアメリカ側には存在することを日本とのギャップとして正確に認識しておくべきだろう>(以上)
日米豪印・アセアン諸国は、日本がちゃんと敵を撃ってくれるのかどうか不安なのだろう。
日本の逡巡により自国兵士の犠牲が大きくなったら日本軍の威信は地に堕ちる。
皇軍は名誉にかけて中共軍を殲滅すべし。
世界は強い日本軍、頼りになる日本軍を待ち望んでいる。(2015/8/7)
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屋山 太郎
原爆の遺物を見せたり、戦火の犠牲者にインタビューして戦争の悲惨さを語らせる。
先日、テレビでコメンテーターが「この語り部たちが戦火を防ぎ、平和を永続させてくれる」というのにはあぜんとした。
私も昭和20年5月25「日、東京で大規模な空襲に遭って、妹の手を引 きながら、猛火の中を逃げ回った。
両親とはぐれて一家はちりぢりとなった。
明朝、焼け跡に集まれたのは奇跡だったが、父は顔面を焼いて重傷だった。
だが私は戦争を語ることのみや、あるいは武装しないことによって平和が保たれるとは思えない。
≪「平和と全面講和」の虚構≫
国会で憲法学者が与党推薦も含めて「集団的自衛権の行使は憲法に抵触する」と語ったというので、安倍晋三内閣の支持率が急速に下がった。
この様をみながら、私が高校生だったころの吉田茂首相を思い出した。
当時は米軍占領下で、占領が終われば、各国と講和条約を結んで独立す
ることになる。吉田首相は「米国と単独講和条約を結ぶ」と表明してい た。
一方で「社会主義のほうがよい国がつくれる」との考え方も多く、学 者たちは「中ソとの講和」をしたかったのだが、それでは米国を敵視することになる。
そこで米中ソなど全員との「全面講和」を主張した。
吉田首相の単独講和論に対して、学者の総代ともいえる南原繁東大総長は「『全面講和』は国民の何人もが欲するところ。
これを論ずるは政治学者の責務である」と食らいついた。
昭和25年3月の東大卒業式でも「平和と全面講和論」を説いた。
これに怒った吉田首相は「南原総長などが政治家の領域に立ちいって、かれこれいうことは、曲学阿世の徒にほかならない」と批判した。
曲学阿世とは史記に出てくる言葉で、時代におもねる学者のことだ。
≪訓詁学に陥った一部の憲法学者≫
現在、日本は中国の脅威に直面している。中国は米国に太平洋を半分ずつ管理しようとか、米中だけの「新型大国関係」をつくろうと言っているが、半分ずつに分けられたら日本はどちらの側に入るのか。
学者の多くが集団的自衛権行使に反対しているのは、かつての「全面講和」論に通底しているのではないか。
吉田首相は単独講和に踏み切ったが、日本は米国の保護国のような立場だった。
これに先立って朝鮮戦争が勃発する。
戦力ではないといいながらも警察予備隊を創設せざるを得なかった。
岸信介首相は保護国の地位から脱するため、日米安保条約を改定する。
しかし、創設された自衛隊は所詮、警察体系の行動原理しか与えられない。
これを安倍首相は第1次内閣で防衛庁から防衛省に昇格させ、防衛に有効な姿にする目的で安保法制を整備しようという。
憲法に書いていなくてもどの国も自衛権を持つ。
日本の場合の歯止めは9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」である。
殴られなければ殴ってはいけない。殴られたら防衛することはできる。
その防衛のために 集団的自衛権がある。
日本では長い間、集団的自衛権について「権利はあ るが、行使はできない」と解釈してきた。
権利があって行使ができない “定義”はどこの国の辞書に載っているのか。
国連憲章は集団的自衛権を認めている。
新安保法制は敵からの攻撃により、「自国の存立を危うくする」なら、必要最小限の武力の行使を集団的自衛権の下で行ってもよいとする。
一部の憲法学者たちは「訓詁(くんこ)学」をしているがごとくである
訓詁とは漢字の意味を確かめる学問の遊びに陥って、文章をわきまえないことをいう。
≪中国の脅威の現実を語れ≫
憲法学者に問う。現憲法では「国会は国権の最高機関」だと定めている(41条)。その国会が選んだ首班が内閣を組閣し、指揮をとる。
内閣法制局などは行政機関の一部であって、ここに憲法解釈の最高権威を持たせることはあり得ない。
武器がなければ、戦争は起こらないという信仰は捨てた方がよい。
攻める側に「手痛い反撃を食うかもしれない」と思わせるに勝る抑止力はない。
英国のチェンバレン首相は「ヒトラーは戦争をするつもりはない」と相手の意図を見損ない、軍備増強策を怠ったため、ヒトラーの増長を招いた。
日本が米国との戦争に踏み切ったのは、官僚内閣制の大失敗だった。
内閣の実権を軍部に取られて戦争回避策がことごとく潰された。
現代はその時代とは基本的に異なる。議会で選ばれた首相が自衛隊の最高指揮官だ。
軍事についてもっと国民は理解すべきだ。
安保法制を理解させようと安倍首相は家屋の火事のたとえ話をしているが、適切ではない。
中国が軍事費を毎年拡大し脅威が増す一方で、米国が軍事費を減らしている現実を語ったほうがよい。
(ややま たろう ・ 評論家)
産経ニュース【正論】戦後70年に思う 2015.8.7
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世界は強い日本軍に期待
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平井 修一
井上和彦氏(ジャーナリスト)へのインタビュー『戦後70年、「日本軍が侵略した」と騙るすべての人へ』(衆知8/4)から。
<2年前、10万部を突破した『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)で話題を集めたジャーナリストの井上和彦氏が、新著『ありがとう日本軍』を上梓した。
「写真集を手にする感覚でご覧いただき、先の大戦を追体験していただきたい」「今こそ、日本人としての誇りを取り戻してほしい」。
「そこまで言って委員会NP」をはじめ数多くのテレビ番組のコメンテーター、キャスターも務める井上氏が、戦後70年のタイミングで執筆した本書に込めた想いを伺った。
*現地で一度も耳にしなかった、日本軍への非難
――『日本が戦ってくれて感謝しています』と比べると、カラーを含めた写 真が非常に多く掲載されています。
井上 「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、かつての戦場に立てば、わずかでも日本軍将兵の苦労や想いを追体験することができ、そして封印された歴史の真実が見えてきます。
私は、そんな大東亜戦争の真実を求めて、今も各地の戦跡を訪ね続けています。
マレーシア、シンガポール、インド、タイ、インドネシア、フィリピン…。そうした東南アジア諸国の他にも、日本人がリゾート地としてよく訪れるグアムやサイパン、テニアン、ペリリュー、そして沖縄で、私がこの足で歩いて出会い、カメラにおさめた「事実」を、皆さんにご覧いただきたかった。
そうすることで、大東亜戦争を追体験して欲しかった。
特に写真には、時には文字以上に事実を雄弁に語る力があります。
そこから、「あの戦争とはいったい何だったのだろう」と考えるきっかけにしていただきたいと思い、筆をとりました。
――実際に各国を歩いて回り、胸に残ったことは何でしたか?
井上 よく、日本では「日本軍はアジアで酷いことをしていた」と教えられます。
しかし私は一度も、1人たりとも、日本軍を悪し様に語る方に出会いませんでした。これは事実です。
むしろ、どうすれば「日本軍にこんな酷いことをされた」と語る方に現地で遭えるのか、大げさでなく、教えて欲しいくらいです。
現地の人々にとって、日本軍は植民地支配を続ける欧米諸国からの「解放軍」として目に映ったといいます。
第2次世界大戦前、世界の多くが欧米列強の植民地であり、被征服民は人間の尊厳も奪われまさしく奴隷として酷使されていました。
それこそ、教育も施されずに、馬や牛のように働かされていたといいます。
そんなところにやってきて、彼らを解放しようとしたのが、同じアジアの民族である日本軍だったのです。
*「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した」
――しかし、日本軍がアジアを「侵略」をしたと語られることもあります。
井上 日本が大東亜戦争を戦った理由、それは自存自衛とアジアの解放に他なりません。
戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」
と書き記しています。
この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。
また、「日本軍=侵略者」と騙(かた)る際に、日本人が現地の人々にビンタなどの「暴力」をふるったと指摘されることもあります。
しかし、私はテニアンで、日本軍が現地の人々に厳しく接したことへの感謝の言葉に出逢いました。
そこで出会った日本人女性が、テニアンの年配者から聞いたというこんな話をしてくれたのです。この女性によれば、
「この島のお年寄りたちは、『戦後やってきたアメリカは、たしかに援助はしてくれた。
けれど、気づけばピザとハンバーガーとペプシコーラを与えられるだけで、島民はおかしくなってしまった。
ところが日本時代は、確かに日本人は厳しかったが、モノをただ与えられる今に比べてほんとうに幸せな時代だった』と言ってますよ。と
皆、日本時代を懐かしがっているんですよ…」
というわけです。
働くことや学ぶことに日本人は厳しかったが、そこには現地の人々の暮らしを向上させようとする“愛”があったのです。
だからこそ日本時代を知る年配者は、日本時代への郷愁を感じているのです。
まさかテニアンで、こんな話を聞けるとは思っていませんでした。
世界中がこうした事実を知っているからこそ、私自身、各地で「日本軍を尊敬している」「日本軍に憧れている」、そして「ありがとう、日本軍」と声をかけられたのです。
――『ありがとう日本軍』に掲載している中で、印象に残っている写真はありますか?
井上 数多くありますが、昭和19年(1944)に撮影されたもので、ビルマ戦線でインド国境を突破し、ともに万歳をする日本軍将兵とインド国民軍の写真は何度見ても、胸を打たれます。
当時、展開されたインパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとされてきましたが、作戦の本質は日印連合軍による「対英インド独立戦争」でした。
事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、独立戦争として捉えています。
「日本の侵略戦争」などとは誰も思っていませんし、作戦の『事実』を端的に表わす1枚でしょう。
また、昨年訪れたインドネシアの「独立宣言起草博物館」に展示されていたスカルノ大統領手書きの独立宣言の起草案も掲載していますが、非常に印象的です。
インドネシアは日本が敗戦した2日後の昭和20年(1945)8月17日、オランダからの独立を高らかに宣言しましたが、スカルノは日付を「17-8-'05」と記しています。
この「05」とは、果たして何を指すのか。実は、「皇紀2605年」なのです。
彼らは独立しても、なお、日本の暦を用いたのです。
もしも日本のことを恨んでいたのならば、独立にあたって誰が皇紀を用いるでしょうか。
こうした写真を見るだけでも、「日本が侵略をした」という論がいかに事実無根であり、むしろ、アジア諸国の方々に、いかに感謝され、讃えられたかが分かると思います。
さらにいえば、その後のインドネシア独立戦争の中心を担った『郷土防衛義勇軍(PETA)』を戦時中に作ったのも日本軍であり、現在、PETA博物館前に建つ兵士像は日本兵と見分けがつきません。
*戦後70年、今こそ日本軍将兵の「事実」を
――折しも、「安倍談話」がまもなく発表される予定です。
井上 今、日本人がどうして卑屈になっているのか。
それは、大東亜戦争で実際に日本と戦ったわけでもない中華人民共和国と韓国に難癖をつけられているからです。
中華人民共和国が出来たのは1949年であり、韓国に至っては、共に戦った立場です。
実は、中華人民共和国を創設した毛沢東ですら、昭和39年(1964)に訪中した日本社会党の佐々木更三委員長らに「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。
みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです」(『毛沢東思想万歳』下)と語っているのです。
そういうことを、残念ながら日本人はあまりにも知らなさすぎますね
。だから、外から何か言われたら「我々の先人達が何か悪いことをしたんじゃないか」と思ってしまうのです。
そして謝る必要がないことに謝ってしまい、より外交関係が歪(いびつ)になる…。
世紀の大捏造事といえるいわゆる“従軍慰安婦”や、いわゆる“南京大虐殺”にしても、これがフィクションであるから、彼らは証拠を提示することができないし、また執拗に騒ぎ立てるわけです。
安倍首相は今年4月、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で、日本が国際社会に復帰する際にアジア・アフリカの国々が後押ししてくれたことに感謝すると語りました。
これは非常に重要なことで、なぜアジア・アフリカの国々が日本を後押ししたかといえば、大東亜戦争で日本が米英に対して起ち上がったことが、それまでの欧米列強支配の世界に楔をうち、アジアやアフリカの国々が独立のきっかけとなったからです。
安倍首相のスピーチは万雷の拍手を受けましたが、このスピーチこそがまさしく大東亜戦争の精神であり、我々はそろそろ、今まで囚われていた虚構、フィクションから脱出しなければならないでしょう。
――今年は、終戦70年を迎えた特別な年です。
井上 今、多くの戦争を体験した方々が亡くなっていっています。
恐らくは、「戦後80年」の時には、戦争体験を証言してくださる方は、残念ながら、いらっしゃらなくなっている可能性が高いでしょう。
その中で、従来のフィクションが生き続けるということは、将来の日本の子供たち、孫たちに負の遺産を遺すことになる。
だからこそ、あの3年8カ月の戦いを、正しく、客観的に見直すことは、将来の日本人に対する最大の贈り物だと思います。
そしてそれは、今を生きる我々の義務でもあるでしょう。
そうでなければ、将来の日本人は中国と韓国にいわれなき理由で不当に批判され続けることになりますし、また日本のため、アジア解放のために雄々しく戦った日本軍将兵たちは、中国、韓国に永遠に冤罪を着せられたままになってしまいます。
そんなことが許されていいはずがありません。
謝るとするならば、あの戦争に負け、日本に期待をしていたアジアの人々をがっかりさせたことでしょう。
日本が負けたことで、大東亜戦争中に独立を果たしたベトナムには、フランスやイギリスが戻り、インドシナ戦争が起きました。第1次、第2次インドシナ戦争でベトナム人は、あまりに大きな苦難に見舞われました。
また、インドネシアにもオランダやイギリスが戻り、独立戦争が起きましたが、ここでも多くのインドネシアの人々が殺されています。
もし、大東亜戦争で日本が負けていなければ、彼らはあの塗炭の苦しみを味あわずに済んだはずなのです。
そして、もう1つ、忘れてはいけないことがあります。
実は日本軍将兵の中には、戦後も現地に残って各地の独立軍戦争を戦った者も多かったのです。
ベトナムでは800人、インドネシアでは2000人にのぼりました。
彼らの中には終戦の詔勅に「朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず」とあることに胸打たれ、諸盟邦、つまりはアジアの国々に残って独立のために戦うことを決意した人もいたといいます。
まさに彼らは、大東亜戦争の理念の総仕上げを成し遂げようと起ちあがったのです。
もちろん、祖国には愛する家族がおり、会いたかったはずです。
そんな思いを擲(なげう)って、アジア解放のために戦ったのです。
このような日本軍将兵が行なったのは、「侵略戦争」だったのでしょうか。
現地を歩けば、そんな論がいかに馬鹿げた話か分かりますし、今の日本のメディアや政治家は自分の足で情報を得ていないため、真実をまったく知らないと感じずにはいられません。
だからこそ自分の手で大東亜戦争の「事実」を手に入れ、自分の頭で考えることが必要なのではないでしょうか。
拙著がその手段のひとつとなれば、それ以上の喜びはありません>(以上)
まさしく大東亜解放戦争だった。
英米仏蘭など白人国家にとって、美味しい植民地を奪った日本は永遠の敵であり、二度と立ち上がれないように封じ込めておくべき悪魔だった。
ところが朝鮮戦争で中共が参戦するや、西側陣営は共産主義の脅威を実感、日本の再武装を進めていった。
結果的に中共が日本を起こしてしまったのだ。
そして幾星霜、戦後70年で日本は再び国際社会で積極的に安全保障に寄与する覚悟を示し、法整備も進めている。
これも東/南シナ海での中共の乱暴狼藉がなければ実現しなかったろう。
しかし、これは「普通の国」への“始めの一歩”に過ぎない。
米国は「日本はちゃんと武力行使をしてくれ」と言っているのだ。
産経記者:古森義久氏の論考「米・日本の集団的自衛権行使容認は不十分2015年日米安全保障セミナーにて」(Japan-indepth 3/30)から。
<ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で「2015年日米安全保障セミナー」という集いが開かれた。
同研究所と日本国際問題研究所との共催で、ほぼ毎年、日米両方の官民の安全保障専門家たちが集まり、日米安全保障関係を議論する会合である。
後半の部の討論に登場した前ブッシュ政権の国務副長官だったリチャード・アーミテージ氏は安倍政権の集団的自衛権の行使容認への支持を表明しながらも、なお日本側に注文をつけたのだった。
「安倍政権の憲法解釈の変更による今回の集団的自衛権の行使容認はもちろん日米同盟の抑止力への大きな貢献となります」
「しかし安倍政権の今回の措置はアメリカなど他の諸国のような集団的武力行使までは許容していないため、将来は日本も他国並みのところまで、集団的自衛権の行使をもっと進められるようにしてほしいです」
こうしたアメリカ側の声を聞くと、日本の国内の現時点での多数意見とは大きなギャップがあることがわかる。
事実、アメリカの歴代政権は日本が集団的自衛権の行使を可能にすることを切望してきたのだ。
そしてアーミテージ氏の発言のように、安倍政権の現段階での集団的自衛権の行使容認ではなお不十分だとみなす声が民主、共和両党の区別なくアメリカ側には存在することを日本とのギャップとして正確に認識しておくべきだろう>(以上)
日米豪印・アセアン諸国は、日本がちゃんと敵を撃ってくれるのかどうか不安なのだろう。
日本の逡巡により自国兵士の犠牲が大きくなったら日本軍の威信は地に堕ちる。
皇軍は名誉にかけて中共軍を殲滅すべし。
世界は強い日本軍、頼りになる日本軍を待ち望んでいる。(2015/8/7)