アメリカは空爆によって日本本土の生産施設と都市を破壊し、それを継続する。 | 日本のお姉さん

アメリカは空爆によって日本本土の生産施設と都市を破壊し、それを継続する。

アメリカは空爆によって日本本土の生産施設と都市を破壊し、それを継続する。
アメリカは、「オレンジ計画」で早くから日本と戦争をして日本を叩きのめすつもりだった。
白人の考えでは、アジア人の猿のくせに、白人のマネをして、満州でうまいことやっている日本は許せない存在だったようだ。
アメリカは、日本と戦争をしたがっていた。いや、するつもりで準備していた。
イギリスもアメリカが日本を相手に戦争をして、欧州の戦争に参加してほしかった。
ソ連(現ロシア)も、日本とアメリカが戦争をしてお互いに潰れてほしかった。
そのような状況の中で、日本だけがいくら戦争を回避しようとしても、難しかったのではないか。白人のマネをするアジア人は。映画「猿の惑星」の猿みたいなもので、白人には存在自体が耐えがたい存在だったようだ。もしかして、今でも白人の心の中には、そんな気持ちがあるのかもしれない。差別発言はタブーだと思っているから、言わないけど、、、。
アメリカ人の年よりは、今でも「ジャップ」と言っているそうです。

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2)阿生居士のへのへのもへじ(71)8月5日

「オレンジ計画」というものがあったことを知っていましたか。

「日本が世界地図から消滅しないための戦略」(月尾嘉男、平成27年5
月)という本に以下のような内容がありました。アメリカの対日政策の驚
くべき用意周到さと計画の 的確さを示す例です。ただ敗けたというだけ
でなく肝に銘じておくことだと思いました。

引用箇所101~103頁

『(引用開始)太平洋への進出こそアメリカの将来を決定すると考えてい
た第25代大統領ウイリアム・マッキンリーは、日清戦争での強力な日本に
脅威を感じ、1897年に海軍次 官であったセオドア・ルーズベルトに日本
征服計画として「オレンジ計画」策定をすることを命令する。

この計画を「アメリカの太平洋制覇のため、日本を完膚なきまでに打倒
する計画」と認識していたルーズベルトは計画の指導をアルフレッド・マ
ハンに依頼する。マハンは 海軍兵学校を卒業し、1859年に軍艦イロコイ
号に乗船して幕末の日本を訪問した経験のある軍人で、 86年から93年に
は母校の第2代校長でもあった。

ルーズベルトは最初の「オレンジ計画」を策定後の1900年にマッキンリー
大統領の副大統領となり、翌年、大統領が暗殺されたため、42歳で史上最
少年の第26代大統領となる。

アメリカ人として最初の柔道茶帯を取得、忠臣蔵の英語訳を愛読するなど
日本に関心がある大統領で、日露戦争の停戦に尽力した功績でノーベル平
和賞を受賞している。

そのょうな情報から、日本では親日家という評価もあるが、それは政治
家の社交辞令を曲解しただけであり、実際は「太い棍棒を持って静かに話
せば主張は通る」というア メリカの民族の言葉を引用した棍棒外交を信
条としており、海軍次官のときには海軍大学校で「武力 を背景にしない
外交は無力である」という訓示をしているほどである。

一方、マハンは著書「海軍力とアメリカの利益・現在と未来(1897)
で、アメリカへの黄色人種の移民反対、ハワイ併合の必要、パナマ運河建
設の必要、野蛮な異教徒のキリ スト教への改宗などを主張するアンロ・
サクソン至上主義者であり、この二人の思惑が反映した作戦が「オレンジ
計画」である。

この作戦が検討されはじめてから約40年後に、この作戦を忠実に実行
し、太平洋戦争を開戦したのが、セオドア・ルーズベルトの12親等の従弟
になる第32代フランクリン・D・ ルーズベルトであり、日本はルーズベル
ト一族によって敗戦に追い込まれたということになる。

「オレンジ計画は」何度も改訂されているが、実際の戦闘は開戦の約1 年
前に確定された計画によって遂行された賭されている。その内容は太平洋
艦隊司令長官ニミッツ提督が 戦後、「戦争は海軍の図上演習で予測した
ように展開した」と述懐した有名な言葉(註1)が象徴するように、見
事な計画であった。

改革の一部を紹介したい。「日本は国益を賭して国力を総動員する。そ
して準備が整った時点で突如攻撃を開始する。西太平洋の目標地点は簡単
に攻略するが、戦域をアメ リカ本土沿岸まで拡大することはできない」
「アメリカはアジア大陸や日本本土において勇猛な日本 陸軍と対決する
必要はなく、海戦に勝利を収めればよい」

「第一段階では日本は守りの手薄なアメリカ の前哨基地を攻略し、アジ
ア南部と西部の石油・重工業原料を確保する」「第二段階では米軍は優秀
な海上・航空戦力を先頭に全力で西進する」「第三段階では日本が島国で
あることが致命傷になるだ ろう。米軍はアジア大陸の海岸線と並行する
島々を攻略しながら北進し、日本の輸入露を完全に遮断 する」

そして最後は「アメリカは空爆によって日本本土の生産施設と都市を破
壊し、日本が講和を求めてくるまでそれを継続する。日本本土と中国に展
開する日本陸軍の存在は無 視してよい」。筆者が最初に読んだときは作
戦ではなく、太平洋戦争の記録ではないかと感じたほど であり、ニミッ
ツ提督の言葉が誇張した表現ではないことが理解できる。

日本も十分な作戦を検討したであろうし、早い時期から暗号が解読され
て先手を打たれ続けたという事情もあるが、ダイアー(註2参照)が日露
戦争での日本の勝利を予測 した「熟考した巧妙な指手」については、太
平洋戦争開始まで40年以上作戦を検討してきたアメリカ のほうが上手で
あったということになる。

(引用終わり)』

引用者の補足

(註1)ニミッツ提督の言葉には、別書では「戦争は、米海軍大学校にお
ける兵棋演習の結果どおりに進行したが、力ミカゼだけは夢想だにしてい
なかった。」いうものもある。

(註2)「スコットランドからのお雇い外国人で日本の工学教育を育成し
たヘンリー・ダイアーは、
帰国後、日露戦争の開戦直後に出版した日本の研究書「大日本・東洋の英
国」(1904)において「日本の将官たちは将棋の対局のように、熟考した
巧妙な指手を発揮しながら 戦略を遂行した」と記載しているが、この時
期の日本は用意周到であった。」(同書100頁)

(註3)引用部分については出典の表示はないが、同書の巻末に掲載され
た参考文献に、エドワード・ミラー「オレンジ計画 アメリカの対日侵攻
50年史」新潮社 1994 が出ている。(品川 阿生居士)