「イスラム国(IS)」でエイズ問題。モスルで「イスラム国」戦闘員45名が食中毒死。 | 日本のお姉さん

「イスラム国(IS)」でエイズ問題。モスルで「イスラム国」戦闘員45名が食中毒死。

【海外発!Breaking News】「イスラム国(IS)」でエイズ問題。HIVウイルスを持ち込んだインドネシア人義勇兵は処刑。

2015年06月27日 11:33 by Joy横手


「イスラム国」の内部で、戦闘員らが思わぬ健康面の問題と直面し始めたことを英米の複数のメディアが伝えている。

海外から参加したある義勇兵がHIVウイルスを持ち込み、性奴隷にしてきた未成年の少女を通じて感染が広がっているというのだ。


シリアの平和活動家グループ「Sound and Picture」のメンバーがこのほど、アル・ハサカ近くのアル・シャダディでアブ・カタダと名乗る過激テロ組織「イスラム国(以下IS)」の戦闘員と面会。

彼から得た情報だとして、インドネシア出身のIS義勇兵がHIVウイルスに以前から感染していたことが判明。

処刑されて、他の戦闘員の間にも動揺が広まっていることを伝えた。


その義勇兵のHIVウイルス感染が発覚したきっかけは、負傷者に輸血するにあたって行われた血液検査であった。

念のため彼が性奴隷として囲っていたヤジディ教徒の15歳の少女を検査したところ、彼女の血液からもHIVウイルスが検出された。さらに次にこの少女を買い取っていたエジプト出身のIS義勇兵も陽性と判明。

ほかにも彼女を強姦したとみられる6名が検査を受け、2名の陽性が確認されたという。


(TechinsightJapan編集部 Joy横手)

http://japan.techinsight.jp/2015/06/yokote2015062619580.html


【海外発!Breaking News】モスルで「イスラム国」戦闘員45名が食中毒死。悪意の者が意図的に!?

2015年07月09日 20:00 by Joy横手


イラクやイスラエルのメディアが今、モスルにいる「イスラム国」の戦闘員45名が激しい食中毒を起こして死亡したとの情報を伝えている。悪意ある何者かが意図的に毒を盛ったかどうかは不明だという。


イラク北部のモスルを過激派組織「イスラム国(以下IS)」が制圧してから1年。少し前に発表されたイラク軍とクルド人治安部隊によるモスル奪還作戦は、残念ながら計画ほど進んでいないという現状が報じられているが、IS内部では思わぬ自滅行為も起きているもよう。食中毒で戦闘員に多数の死者が出たという。


イスラエルのメディア『ijreview.com』によると、情報はクルド人治安部隊の広報担当者が発表したものだという。事件が起きたのは「イフタール(Iftar)」と呼ばれるラマダン(断食)明けにイスラム教徒が最初に食べる夕食の会で、参加した戦闘員は145名。うち45名が食後に激しい中毒症状を発症し、次々と死亡したという。何者かが意図的に毒を盛った疑いもあり、キャンプ内では原因の調査が行われているものと思われる。


昨年11月には、シリアのFath El-SahelにあるISのキャンプで毒殺行為があった可能性を英メディア『mirror.co.uk』が伝えていた。自由シリア軍の兵士がキャンプに侵入してISの調理人を装い、食品に毒を混ぜて数十名の戦闘員を毒殺したというものであったが、真相のほどはまだ分かっていない。なお、先月下旬には戦闘員や性奴隷にされていた少女からHIVウイルスが検出され、エイズ蔓延かと報じられていた。

(TechinsightJapan編集部 Joy横手)

http://japan.techinsight.jp/2015/07/yokote2015070919080.html

イスラム国に拉致された15歳少女「被害を日本人に訴えたい」

2015.07.06 07:00

ジャーナリスト・後藤健二さんらが「イスラム国」によって処刑されてから5か月が過ぎた。当時、国内の報道はイスラム国一色となり、安倍首相は「犯人を法によって裁く」と大見得を切ったが、その後の動きは鈍く、メディアの扱いも日を追うごとに小さくなっ


ジャーナリスト・後藤健二さんらが「イスラム国」によって処刑されてから5か月が過ぎた。当時、国内の報道はイスラム国一色となり、安倍首相は「犯人を法によって裁く」と大見得を切ったが、その後の動きは鈍く、メディアの扱いも日を追うごとに小さくなっている。


現地では悲劇の連鎖が続いている。最前線に近いイラク北部で、イスラム国に拉致され、筆舌に尽くし難い苦痛を受けた後に解放された少女の告白を報道カメラマン・横田徹氏がレポートする。


* * *

くっきりした目鼻立ちで少し大人びて見える15歳の少女は、驚くほど感情を見せなかった。無表情で声のトーンは変わらない。ただ、「自分がイスラム国から受けた被害、そしてここで起きていることを、日本の人たちに訴えたい」と語り、筆者の取材、そして撮影に進んで応じた。そこに彼女の強い覚悟を感じた。


「連れて行かれたのはモスル(イスラム国支配下にあるイラク北部の都市)の収容所でした。もともとキリスト教の教会だったんだと思います。壁に十字架が描かれ、聖書が置いてありました。


窓は毛布で塞がれていて、外の光は入ってきません。建物の中に700人くらいの女の子がいたと思います。私たちは戦闘員のレイプから逃れるために、『どうやって自殺しようか』と話し合っていました」


昨年8月にイスラム国に拉致された15歳の少女・ラマ(仮名)。今はイラク北部のトルコ国境に近い避難民キャンプで暮らしている。


昨年8月3日深夜、イスラム国はイラク北部のシンジャールへ侵攻し、クルド人の宗教少数派であるヤジディ教徒たちは町から逃げ出した。ヤジディ派はイスラム国から悪魔崇拝として迫害される存在で、当時、街の北側にあるシンジャール山には約5万人のヤジディ教徒が逃れたといわれる。ラマもその一人だった。


山の麓から中腹にかけて歩くと、車の残骸が放置されている。逃げ切れなかった者がイスラム国の兵士に捕らえられた。


道路や路肩には、大量の衣服が残され、女性の下着があちこちに散乱している。今も生々しさが残るこの現場で、多くのヤジディ教徒女性が拉致された。ラマは一夜を山中で過ごし、翌日にシリア国境へ向かう途中で捕まった。


「4歳と8歳の妹が一緒でした。倉庫のようなところには、15人くらいの女の子がいました。その日の夜中、イスラム国の部隊のリーダーらしき男がやってきて、私を連れ出そうとしたんです。必死になって妹2人を指さして、『自分はもう結婚しています。この2人の女の子は私の娘です』と泣きながら言い張ったら、男は引き揚げていきました」


その後、ラマは家族と引き離され、冒頭で語ったレイプに怯える少女たちで溢れる収容所にたどり着いた。


※週刊ポスト2015年7月17・24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20150706_333780.html


イスラム国に拉致された15歳の少女「早く違う国に行きたい」

2015.07.07 11:00


いわゆる「イスラム国」の支配地域とその周辺では悲劇の連鎖が続いている。最前線に近いイラク北部で、イスラム国に拉致され、筆舌に尽くし難い苦痛を受けた後に解放された15歳少女の告白を報道カメラマン・横田徹氏がレポートする。


* * *

昨年8月3日深夜、イスラム国はイラク北部のシンジャールへ侵攻し、クルド人の宗教少数派であるヤジディ教徒たちは町から逃げ出した。その途中、イスラム国に拉致された15歳の少女・ラマ(仮名)はモスル(イスラム国支配下にあるイラク北部の都市)の収容所に連れていかれた。


収容所では少女が“仕分け”され、イラク、シリア各地へと移送されていった。ラマの行き先はモスルに住む兵士の家だったという。


「同じ収容所にいた女の子と一緒に奴隷として売られて、兵士と強制的に結婚させられました。男は私たちを自宅に連れて帰ると、その日の晩、寝室で私たちをレイプしました」


淡々とした語り口は変わらない。しかし、その晩のことについてはそれ以上、語ろうとしなかった。


「次の日の朝、2人で一緒に家の窓から逃げ出したんです。近くに川を見つけたので、いったんは自殺する覚悟を決めました。でも、一緒にいた子が泣き出したので、なんとか別の方法を探そうと考え直しました」


昨年6月29日、最高指導者のアブ・バクル・バグダディがイスラム国の“建国”を宣言してから1年が過ぎた。現地の混乱は深まる一方だ。


昨年3月、イスラム国(当時はISIS)のシリアの拠点・ラッカを訪れた際、中東、欧州、アジアなどから集まった若い兵士たちは「早く結婚したい」と口々に語り、女性の数が足りないことが問題化していた。


建国後、イスラム国は奴隷制の復活を宣言し、拉致したヤジディ教徒の女性を売買している。それは末端の兵士に女性が行き渡らない問題を解決するのが目的の一つとされる。自殺を思いとどまり、奴隷生活からの逃走を図ったラマは結局、検問所で見つかりモスルに連れ戻された。


「基地の地下室での監禁生活でした。手を鎖で繋がれ、体を鉄の棒で何度も殴られるんです。血を吐いたこともありました。逃げ出した罰として2週間、閉じ込められ、水も食事もほとんど与えられませんでした」


殺されると思っていたラマは、奴隷生活に戻される。連れて行かれたのはシリアのラッカだった。広い民家に100人以上の少女が押し込められた奴隷市場で売りに出された。決まった行き先は、再びモスルだった。


奴隷にされた少女たちは窓を毛布で塞がれた車で、イラクとシリアにまたがる支配地域内を何度も行き来させられる。兵士たちが、買った女性奴隷に飽きては売りに出すからだ。


「次に私を買ったのは、モスルにいるアブ・アブドゥラと名乗る男でした。その男には、市内の基地やいろんな兵士の自宅に連れ回されました。毎晩のように違う兵士が代わる代わるやってきて、セックスを強いられます。基地にいる日は、何人かのヤジディの女の子と一緒になりましたから、彼女たちも同じような目に遭っていたんだと思います」


基地では掃除や洗濯なども彼女たちの仕事となる。数か月が過ぎた頃、掃除中にラマは偶然、兵士の携帯電話を見つけ、一緒にいた少女の家族に電話をかけた。それをきっかけに救出活動にあたる組織が動き、ラマは救出された。


「指定されていた日の夜中に、毛布でロープを作って基地の2階の窓から逃げ出し、助けに来てくれた人と合流しました」


協力者の家を転々とした後、今年1月にラマはクルド自治区に戻り保護された。


「今は早く、どこか違う国へ行きたい」


ラマは最後にそうつぶやいた。


※週刊ポスト2015年7月17・24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20150707_333887.html