酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?
生き物を殺すときゅんと性的興奮を覚えるなんて、完全に犯罪者気質。完全にサイコ。
子供の頃に母親に甘えていないから、今でも母親に甘えたい人なのだろう。
サイコは反省するという感情が無いらしいので、書いた物もそれなりに反省の気持ちは出ていなくて当然だ。子供を殺された親は、「二度殺された」と言っている。かわいそうに、、、。
酒鬼薔薇が書いた本は読んでないし、これからも読まないけど、サイコの心情が分かっても一般人には意味ないと思う。
マイ猫NO.2は、仔猫の頃拾ってきて、体を洗って風呂場の風呂桶に入れていたら、脱走して、それっきり出てこなくなった。わたしが寝ると出てきてベットの下でひとりで遊んでいた。
不憫な子だったのだ。でも他の子猫を拾ってから、他の子猫が甘えるのを観て急に懐いてきた。
仔猫の頃、まったく孤独に育った時期があったからか、大人の猫になった今でも仔猫みたいに甘えてくる時がある。大人の猫になっても、仔猫の頃に足りなかった愛情を必死でもらおうとしている感じ。
幼い頃味わえなかった母親との親しい関係を少年院で主治医たちによる擬似家族体験で味わえたのはよかったけど、少しは人間として成長できたのかしら?
たとえサイコの素質を持って生まれて、サイコになるような環境で育ったとしても、やはり他人の子供を何人も殺した罪は一生背負わねばならないと思う。でも、今でもそれが罪だと分かっているのだろうか?あんまり分かっていないから、殺した子供の家族に断りなく本を出版するんじゃないの?サイコだから、なかなか心から反省できないのだと思う。それは、仕方が無いことなのかもしれないが、犯した罪を本にして代価を得るのは、ルール違反だ。日本の法律には触れないのかもしれないけど、子供を殺された親にしたら、悔しくて悔しくてやりきれないことに違いない。
~~~~~
酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?「担当女医への衝動的行動」
Aは中学3年時の、殺害に及んだあとに訪れた、あまりにも異様な性衝動についてさえ記述している。
殺害現場となった「タンク山」から切断した頭部を風呂場に持ち込むと、
〈この磨硝子(すりがらす)の向こうで、僕は殺人よりも更に悍ましい行為に及んだ。(略)おそらく、性的なものを含めた「生きるエネルギー」の全てを、最後の一滴まで、この時絞りきってしまったのだろう〉
14歳の少年は死者の冒涜という、人として考えられる最も罪深い行為で、恍惚感を味わったというのだ。
一連の残忍な犯行の動機に関しては、逮捕後の精神鑑定で「性的サディズム」という言葉により説明されている。それから18年、「文学風」に色づけし、自己陶酔的に動機を説明したA。
だが、この本には書けなかったAの恥部──「暴力と性」はまだあったのだ。
逮捕後、家庭での親密体験の乏しさを指摘されたAは関東医療少年院で、主治医を両親に見立てた「疑似家族計画」により、社会復帰への適応能力を更生するプログラムが施されている。
「この母親役を務めた女医はAの実母よりも3歳年下だが、細面の美人だった。当初は異性に関心を持たなかったAが、しだいにこの女医に心を開いていったのです」(法務省関係者)
ところが、Aが少年院に入って2年目に思わぬ出来事が起こる。別の少年がこの女医についての悪口を言い、それを耳にしたAが暴れだしたのだ。
「Aは豹変し、奇声を上げてそばにあったボールペンをつかむと、この少年の目に突き刺そうと大立ち回りを演じたのです。それまで性的興奮を得るのに残虐な行為に及んでいたAの関心が、初めて女性に向けられたという治療の進捗を感じさせたところではあります。しかし、安直に凶暴な手段に訴える点では、まだ治療が必要であることも明らかになりました」(法務省関係者)
その後、プログラムを終了したAは04年3月に少年院を仮退院した。しかし、その後も再び事件を起こしていたのだ。
「仮退院しても保護観察中だったAは、定期的にカウンセリングに通っていた。その途中、少年院でAの母親役を務めた女医に性的興奮を抱き、押し倒してしまったのです。母子としての信頼関係が深まるにつれて、医師を母親ではなく異性と見た末に及んだ行為でした」(医療ジャーナリスト)
Aは前述のとおり、05年1月1日に本退院する。美人女医はAの身元引受人となるが、その存在は手記で触れられることは一切なかった。
しばらく都内に潜伏していたAは、同年8月に〈電車を乗り継ぎゆかりもない土地へ降り立つ〉と、地方都市へ1人旅立つ。現地で建設会社の契約社員として2年ほど勤務していたことも記されている。
まさに、この時期、週刊アサヒ芸能宛てにAの所在を伝える、一本の電話が入っていた──。
この電話の主は、愛媛・松山市のヘルス嬢Pさん。
「私のお客さんで年齢も見かけも酒鬼薔薇にソックリな人が来ていたんです。太い眉とつり上がった目が、事件当時に出回った写真の顔と同じでした。お店では『自分は長い間幽閉されていた』と話していました」
Pさんに接触すると、この男の一風変わったプレイが明らかとなった。
「プレイ前にはいつも『愛するママへ』と書かれた手紙を渡されました。シャワーを浴びたあとは、『ママ、だっこして』と甘えてきて、動物のように私の顔を舐め回すんです。だけど、いつも射精に達することはありませんでした」
手紙の筆跡は脅迫状に酷似していた。またPさんが証言したこの男の住居は、Aの母がいたこともある地方都市にあった。
http://www.asagei.com/38786
酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?「異常な性への関心」
神戸連続児童殺傷事件の惨劇から18年。加害者の元少年Aが初めて事件についての手記「絶歌」を出版した。形ばかりの謝罪とグロテスクな犯行の描写。自己顕示欲に終始した「黒い肉声」は、出版の是非を問う大騒動へと広がっている。“A”自身がこの本で封印した「性と暴力」の核心を全暴露する!
〈1997年6月28日。 僕は、僕ではなくなった。
陽なたの世界から永久に追放された日。(中略)
「少年A」──それが、僕の代名詞となった〉
神戸連続児童殺傷事件の犯人・元少年Aによる手記「絶歌」はこう始まる。
自分が被害者だと言わんばかりの書き出しと「あとがき」と題した謝罪は294ページ中わずか7ページ。内容については後述するが、この手記は6月11日に発売されるや、出版流通大手トーハンの週間ベストセラーランキングで1位となった。初版10万部という最近では異例の大部数はすでに完売状態、さらに5万部の増刷が決定している。
被害者遺族らに事前に承諾を得ることなく出版したこともあり、出版元の太田出版には遺族から本の回収を求める声が上がっている。遺族感情に配慮し、取り扱わない書店が出るなど、出版自体の是非が問われる社会問題となった。
ここで18年前の禍々しい事件を振り返っておこう。
1997年2月、兵庫県神戸市須磨区で小学生が次々に襲われる事件が発生。およそ3カ月の間に2人が殺され、3人が重軽傷を負う残忍な犯行だった。中でも、殺害した男児の首を切断し、中学校の校門に掲げた猟奇的な行為と、「酒鬼薔薇聖斗」の名前で神戸新聞に声明文を送りつけるなど大胆な劇場型の犯行は日本中を震撼させた。
その1カ月後、逮捕された犯人が14歳の中学生だったことで、この事件に対する恐怖と驚きは、戦慄と絶望に変わったのだ。「少年A」は逮捕後、関東医療少年院に収監され特別な矯正教育を施されたあと、05年1月に本退院した。手記によれば、親元を離れ、プレス工場や溶接業など肉体労働の仕事を転々としたという。犯行当時はあどけない中学生だったAもすでに32歳。3年前から執筆を始め、出版社に持ち込んでいたらしい。
手記中、Aは猟奇的な犯行を、さらにどす黒く上塗りするグロテスクな性衝動を明らかにしている。
小学校5年時、亡き祖母の部屋に忍び込んで、初めての精通を体験したのだ。
〈僕はおもむろに押入れから電気按摩器を取り出した。(略)何の気なしにペニスにも当ててみる。その時突然、身体じゅうを揺さぶっている異質の感覚を意識した。まだ包皮も剥けていないペニスが、痛みを伴いながらみるみる膨らんでくる〉
このあともたびたび祖母の部屋で按摩器を使用して自慰に耽っていた酒鬼薔薇。事件前から動物を虐待していたが、こうした特異な性癖は極度にサディスティックな性衝動に進んでいった。小5の時に初めて猫を殺すのだ。
〈そのブロックを、体重をかけ、力いっぱい踏みつけた。ゴキュと頭蓋骨の砕ける小さな音が鳴り、猫の動きが止まった(略)ペニスの芯がハンダゴテのように発熱した。次の瞬間、熱く腫れ上がったペニスに激痛が走った。尿道から釣り鐘を引っこ抜いたような痛みだった。射精していた〉
http://www.asagei.com/excerpt/38730
酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?「出版により多くの人が傷ついている」
ところでAは本退院後、弁護士を通じて被害者家族に手紙を送っている。今年3月には、山下彩花ちゃん(当時10歳)の命日前に、B5判の紙8枚というこれまでにない長文の手紙を出している。これは出版を意識してのことだったのか‥‥。出版後、あらためてAの地元を取材すると、孫が同級生だったという主婦がこう話した。
「孫とAはいつも自転車に乗って遊ぶような仲だったよ。本を出版するよりもタンク山の上にある慰霊碑に手を合わせることが先ですよ」
Aの同級生は訴えた。
「年下の小学生とつるんでいたから不気味な子だと思っていた。今でも中学校の校門を見るたびに当時を思い出して怖くなるんです」
法的に無辜の一市民となり、言論の自由の中で手記を書いたA。しかし、被害者遺族ばかりか近隣の住民にも、いまだに事件の深い傷跡は残ったままだ。
「さあゲームの始まりです──」から始まる犯行声明文に、14歳が書いた文章とは思えないと持ち上げた文化人までいた。しかし手記を読んだ精神科医の町沢静夫氏は厳しく非難する。
「確かに謝罪の言葉は書かれていたが、同時に文学的な表現が目に余った。三島由紀夫などの文章を引用したりするくだりに、自分の文学的能力を試してみたいという自己顕示欲を感じました。事件を起こした本人が書いた文章としてはそぐわない。女の子を殺しておもしろかったという快感を覚える性的サディズムは、日本よりアメリカなどで多いが、簡単には治療できるものではありません」
さらに、今回の出版が二次被害をもたらす危険性をこう指摘するのだ。
「同級生を殺害した佐世保の女子高生の事件、同級生にタリウムなどを飲ませた名古屋大生はいずれも、神戸の事件を模倣しています。つまり、自分の殺害欲求を、酒鬼薔薇が典型的に実行したと英雄視しているのです」(町沢氏)
今回の手記が、新たな模倣犯を生み出す可能性は否定できない。
通例どおり印税10%なら1500万円、増刷でそれ以上の収入をAは手にすることになる。身勝手な出版で金と自己救済を得たAだが、倒錯した暴力性と性癖はいまだ闇の中である。
http://www.asagei.com/excerpt/38815
「向こうが殺したんや」松本人志が酒鬼薔薇少年に怒りを露わにした過去
6月14日に放送されたバラエティ番組「ワイドナショー」(フジテレビ系)にて、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の加害者男性が手記「絶歌」(太田出版)を出版することに関して、出演者から多くの批判の声があがり話題となっている。
「まず同番組レギュラーの松本人志は、事件の被害者側の気持ちを考慮し『僕は読まない』と発言。またゲストの坂上忍は『若い子たちが読んだら(犯罪の)助長になりかねないんじゃないか』と著書を手にした若者への影響を危惧し、『なぜその人たちの了解を得ずに初版で10万部刷るのか』と被害者遺族の気持ちを無視して販売に踏み切った出版社の判断に苦言を呈しました」(テレビ誌記者)
今回、「絶歌」についてのコメントは最小限に抑えた松本だが、過去には元少年Aについて怒りを露わにしていた時もあったと芸能誌記者は語る。
「加害者男性である元少年Aは犯行当時、被害者の首を切って校門の上に置いたその日の夜にダウンタウンの番組を見て笑っていたということが、母親の手記で明らかになっています。本でそのことを知った松本は、度々、メディアで元少年Aについて言及するようになりました。あるラジオ番組では、死刑制度廃止論者を否定する際にも元少年Aを引き合いに出しており、松本は『(死刑制度は)仇討ちやないねん。向こうがこっちの身内を殺したんや。まず向こうが1回の表で攻撃してきたんや。1回の裏はやらしてくれよ』と野球に例えながら、被害者遺族は反撃する権利があると主張しています」
現在インターネット通販サイト「アマゾン」では、売上ランキング1位を独走している「絶歌」。今後も多くの著名人が意見を述べ、物議を醸しそうだ。
(森嶋時生)
http://www.asagei.com/excerpt/38277
子供の頃に母親に甘えていないから、今でも母親に甘えたい人なのだろう。
サイコは反省するという感情が無いらしいので、書いた物もそれなりに反省の気持ちは出ていなくて当然だ。子供を殺された親は、「二度殺された」と言っている。かわいそうに、、、。
酒鬼薔薇が書いた本は読んでないし、これからも読まないけど、サイコの心情が分かっても一般人には意味ないと思う。
マイ猫NO.2は、仔猫の頃拾ってきて、体を洗って風呂場の風呂桶に入れていたら、脱走して、それっきり出てこなくなった。わたしが寝ると出てきてベットの下でひとりで遊んでいた。
不憫な子だったのだ。でも他の子猫を拾ってから、他の子猫が甘えるのを観て急に懐いてきた。
仔猫の頃、まったく孤独に育った時期があったからか、大人の猫になった今でも仔猫みたいに甘えてくる時がある。大人の猫になっても、仔猫の頃に足りなかった愛情を必死でもらおうとしている感じ。
幼い頃味わえなかった母親との親しい関係を少年院で主治医たちによる擬似家族体験で味わえたのはよかったけど、少しは人間として成長できたのかしら?
たとえサイコの素質を持って生まれて、サイコになるような環境で育ったとしても、やはり他人の子供を何人も殺した罪は一生背負わねばならないと思う。でも、今でもそれが罪だと分かっているのだろうか?あんまり分かっていないから、殺した子供の家族に断りなく本を出版するんじゃないの?サイコだから、なかなか心から反省できないのだと思う。それは、仕方が無いことなのかもしれないが、犯した罪を本にして代価を得るのは、ルール違反だ。日本の法律には触れないのかもしれないけど、子供を殺された親にしたら、悔しくて悔しくてやりきれないことに違いない。
~~~~~
酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?「担当女医への衝動的行動」
Aは中学3年時の、殺害に及んだあとに訪れた、あまりにも異様な性衝動についてさえ記述している。
殺害現場となった「タンク山」から切断した頭部を風呂場に持ち込むと、
〈この磨硝子(すりがらす)の向こうで、僕は殺人よりも更に悍ましい行為に及んだ。(略)おそらく、性的なものを含めた「生きるエネルギー」の全てを、最後の一滴まで、この時絞りきってしまったのだろう〉
14歳の少年は死者の冒涜という、人として考えられる最も罪深い行為で、恍惚感を味わったというのだ。
一連の残忍な犯行の動機に関しては、逮捕後の精神鑑定で「性的サディズム」という言葉により説明されている。それから18年、「文学風」に色づけし、自己陶酔的に動機を説明したA。
だが、この本には書けなかったAの恥部──「暴力と性」はまだあったのだ。
逮捕後、家庭での親密体験の乏しさを指摘されたAは関東医療少年院で、主治医を両親に見立てた「疑似家族計画」により、社会復帰への適応能力を更生するプログラムが施されている。
「この母親役を務めた女医はAの実母よりも3歳年下だが、細面の美人だった。当初は異性に関心を持たなかったAが、しだいにこの女医に心を開いていったのです」(法務省関係者)
ところが、Aが少年院に入って2年目に思わぬ出来事が起こる。別の少年がこの女医についての悪口を言い、それを耳にしたAが暴れだしたのだ。
「Aは豹変し、奇声を上げてそばにあったボールペンをつかむと、この少年の目に突き刺そうと大立ち回りを演じたのです。それまで性的興奮を得るのに残虐な行為に及んでいたAの関心が、初めて女性に向けられたという治療の進捗を感じさせたところではあります。しかし、安直に凶暴な手段に訴える点では、まだ治療が必要であることも明らかになりました」(法務省関係者)
その後、プログラムを終了したAは04年3月に少年院を仮退院した。しかし、その後も再び事件を起こしていたのだ。
「仮退院しても保護観察中だったAは、定期的にカウンセリングに通っていた。その途中、少年院でAの母親役を務めた女医に性的興奮を抱き、押し倒してしまったのです。母子としての信頼関係が深まるにつれて、医師を母親ではなく異性と見た末に及んだ行為でした」(医療ジャーナリスト)
Aは前述のとおり、05年1月1日に本退院する。美人女医はAの身元引受人となるが、その存在は手記で触れられることは一切なかった。
しばらく都内に潜伏していたAは、同年8月に〈電車を乗り継ぎゆかりもない土地へ降り立つ〉と、地方都市へ1人旅立つ。現地で建設会社の契約社員として2年ほど勤務していたことも記されている。
まさに、この時期、週刊アサヒ芸能宛てにAの所在を伝える、一本の電話が入っていた──。
この電話の主は、愛媛・松山市のヘルス嬢Pさん。
「私のお客さんで年齢も見かけも酒鬼薔薇にソックリな人が来ていたんです。太い眉とつり上がった目が、事件当時に出回った写真の顔と同じでした。お店では『自分は長い間幽閉されていた』と話していました」
Pさんに接触すると、この男の一風変わったプレイが明らかとなった。
「プレイ前にはいつも『愛するママへ』と書かれた手紙を渡されました。シャワーを浴びたあとは、『ママ、だっこして』と甘えてきて、動物のように私の顔を舐め回すんです。だけど、いつも射精に達することはありませんでした」
手紙の筆跡は脅迫状に酷似していた。またPさんが証言したこの男の住居は、Aの母がいたこともある地方都市にあった。
http://www.asagei.com/38786
酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?「異常な性への関心」
神戸連続児童殺傷事件の惨劇から18年。加害者の元少年Aが初めて事件についての手記「絶歌」を出版した。形ばかりの謝罪とグロテスクな犯行の描写。自己顕示欲に終始した「黒い肉声」は、出版の是非を問う大騒動へと広がっている。“A”自身がこの本で封印した「性と暴力」の核心を全暴露する!
〈1997年6月28日。 僕は、僕ではなくなった。
陽なたの世界から永久に追放された日。(中略)
「少年A」──それが、僕の代名詞となった〉
神戸連続児童殺傷事件の犯人・元少年Aによる手記「絶歌」はこう始まる。
自分が被害者だと言わんばかりの書き出しと「あとがき」と題した謝罪は294ページ中わずか7ページ。内容については後述するが、この手記は6月11日に発売されるや、出版流通大手トーハンの週間ベストセラーランキングで1位となった。初版10万部という最近では異例の大部数はすでに完売状態、さらに5万部の増刷が決定している。
被害者遺族らに事前に承諾を得ることなく出版したこともあり、出版元の太田出版には遺族から本の回収を求める声が上がっている。遺族感情に配慮し、取り扱わない書店が出るなど、出版自体の是非が問われる社会問題となった。
ここで18年前の禍々しい事件を振り返っておこう。
1997年2月、兵庫県神戸市須磨区で小学生が次々に襲われる事件が発生。およそ3カ月の間に2人が殺され、3人が重軽傷を負う残忍な犯行だった。中でも、殺害した男児の首を切断し、中学校の校門に掲げた猟奇的な行為と、「酒鬼薔薇聖斗」の名前で神戸新聞に声明文を送りつけるなど大胆な劇場型の犯行は日本中を震撼させた。
その1カ月後、逮捕された犯人が14歳の中学生だったことで、この事件に対する恐怖と驚きは、戦慄と絶望に変わったのだ。「少年A」は逮捕後、関東医療少年院に収監され特別な矯正教育を施されたあと、05年1月に本退院した。手記によれば、親元を離れ、プレス工場や溶接業など肉体労働の仕事を転々としたという。犯行当時はあどけない中学生だったAもすでに32歳。3年前から執筆を始め、出版社に持ち込んでいたらしい。
手記中、Aは猟奇的な犯行を、さらにどす黒く上塗りするグロテスクな性衝動を明らかにしている。
小学校5年時、亡き祖母の部屋に忍び込んで、初めての精通を体験したのだ。
〈僕はおもむろに押入れから電気按摩器を取り出した。(略)何の気なしにペニスにも当ててみる。その時突然、身体じゅうを揺さぶっている異質の感覚を意識した。まだ包皮も剥けていないペニスが、痛みを伴いながらみるみる膨らんでくる〉
このあともたびたび祖母の部屋で按摩器を使用して自慰に耽っていた酒鬼薔薇。事件前から動物を虐待していたが、こうした特異な性癖は極度にサディスティックな性衝動に進んでいった。小5の時に初めて猫を殺すのだ。
〈そのブロックを、体重をかけ、力いっぱい踏みつけた。ゴキュと頭蓋骨の砕ける小さな音が鳴り、猫の動きが止まった(略)ペニスの芯がハンダゴテのように発熱した。次の瞬間、熱く腫れ上がったペニスに激痛が走った。尿道から釣り鐘を引っこ抜いたような痛みだった。射精していた〉
http://www.asagei.com/excerpt/38730
酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?「出版により多くの人が傷ついている」
ところでAは本退院後、弁護士を通じて被害者家族に手紙を送っている。今年3月には、山下彩花ちゃん(当時10歳)の命日前に、B5判の紙8枚というこれまでにない長文の手紙を出している。これは出版を意識してのことだったのか‥‥。出版後、あらためてAの地元を取材すると、孫が同級生だったという主婦がこう話した。
「孫とAはいつも自転車に乗って遊ぶような仲だったよ。本を出版するよりもタンク山の上にある慰霊碑に手を合わせることが先ですよ」
Aの同級生は訴えた。
「年下の小学生とつるんでいたから不気味な子だと思っていた。今でも中学校の校門を見るたびに当時を思い出して怖くなるんです」
法的に無辜の一市民となり、言論の自由の中で手記を書いたA。しかし、被害者遺族ばかりか近隣の住民にも、いまだに事件の深い傷跡は残ったままだ。
「さあゲームの始まりです──」から始まる犯行声明文に、14歳が書いた文章とは思えないと持ち上げた文化人までいた。しかし手記を読んだ精神科医の町沢静夫氏は厳しく非難する。
「確かに謝罪の言葉は書かれていたが、同時に文学的な表現が目に余った。三島由紀夫などの文章を引用したりするくだりに、自分の文学的能力を試してみたいという自己顕示欲を感じました。事件を起こした本人が書いた文章としてはそぐわない。女の子を殺しておもしろかったという快感を覚える性的サディズムは、日本よりアメリカなどで多いが、簡単には治療できるものではありません」
さらに、今回の出版が二次被害をもたらす危険性をこう指摘するのだ。
「同級生を殺害した佐世保の女子高生の事件、同級生にタリウムなどを飲ませた名古屋大生はいずれも、神戸の事件を模倣しています。つまり、自分の殺害欲求を、酒鬼薔薇が典型的に実行したと英雄視しているのです」(町沢氏)
今回の手記が、新たな模倣犯を生み出す可能性は否定できない。
通例どおり印税10%なら1500万円、増刷でそれ以上の収入をAは手にすることになる。身勝手な出版で金と自己救済を得たAだが、倒錯した暴力性と性癖はいまだ闇の中である。
http://www.asagei.com/excerpt/38815
「向こうが殺したんや」松本人志が酒鬼薔薇少年に怒りを露わにした過去
6月14日に放送されたバラエティ番組「ワイドナショー」(フジテレビ系)にて、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の加害者男性が手記「絶歌」(太田出版)を出版することに関して、出演者から多くの批判の声があがり話題となっている。
「まず同番組レギュラーの松本人志は、事件の被害者側の気持ちを考慮し『僕は読まない』と発言。またゲストの坂上忍は『若い子たちが読んだら(犯罪の)助長になりかねないんじゃないか』と著書を手にした若者への影響を危惧し、『なぜその人たちの了解を得ずに初版で10万部刷るのか』と被害者遺族の気持ちを無視して販売に踏み切った出版社の判断に苦言を呈しました」(テレビ誌記者)
今回、「絶歌」についてのコメントは最小限に抑えた松本だが、過去には元少年Aについて怒りを露わにしていた時もあったと芸能誌記者は語る。
「加害者男性である元少年Aは犯行当時、被害者の首を切って校門の上に置いたその日の夜にダウンタウンの番組を見て笑っていたということが、母親の手記で明らかになっています。本でそのことを知った松本は、度々、メディアで元少年Aについて言及するようになりました。あるラジオ番組では、死刑制度廃止論者を否定する際にも元少年Aを引き合いに出しており、松本は『(死刑制度は)仇討ちやないねん。向こうがこっちの身内を殺したんや。まず向こうが1回の表で攻撃してきたんや。1回の裏はやらしてくれよ』と野球に例えながら、被害者遺族は反撃する権利があると主張しています」
現在インターネット通販サイト「アマゾン」では、売上ランキング1位を独走している「絶歌」。今後も多くの著名人が意見を述べ、物議を醸しそうだ。
(森嶋時生)
http://www.asagei.com/excerpt/38277