女性はいつ子供を産み、いつ働くべきなのか? | 日本のお姉さん

女性はいつ子供を産み、いつ働くべきなのか?

やっぱり周りの人の方が、他人が何に向いているか分かるんじゃないか?
それに、一生懸命な人には、周りが親切にするのだと思う。

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女性はいつ子供を産み、いつ働くべきなのか?
cakes 6月25日(木)18時36分配信

結婚し、子供を産み、ホテルでランチして幼稚園までお迎えに行く。そんな毎日を楽しく送っていた家入明子さん。しかし一方では、働いていないことにコンプレックスを感じていました。結婚生活の破綻がほの見えてきたとき、社会人経験ナシの彼女がとったトリッキーな行動とは? ちょっとでも「仕事しようかな」と考えている主婦のみなさんにエールを送ります。

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思い立ったら止められない性格なので、結婚前に一時、突然ジャズシンガーを志し、音楽の専門学校に通っていた。で、専門学生として当然そうすべきと思い、学校のない時間には家の近所にあったファミリーレストランの厨房でアルバイトを始めたのだが、働いてみたら本当に色々な気づきがあった。中でも一番の気づきは、私が自分でも驚くほど使えないバイトだったということだ。

慌ただしいファミリーレストランの厨房においては、一つの注文を受けたら皆が一斉に自分で考えて自分のやるべきことをやらなきゃならない。しかし残念なことに私はハンバーグの注文を受けても、焼き係の先輩に指示されなければフライドポテトを揚げられない、セットと言われてもサラダ作りに着手できない“でくの坊”であった。同時期に入った同い年の女子は私とは真逆のとても気の利く子だったので、食器洗い係からサラダ盛り付け係、揚げ物係へと持ち場を順当にステップアップしていく。一方で戦力外の私はいつまでたっても食器洗い係。ひどく落胆した。そうこうするうちに私は結婚し、妊娠。ひどいつわりに悩まされるようになったので、結局食器洗い係のままバイトをやめた。

その後、専門学校も辞めて、子供を産み、母となった。

子供が育つにつれ、東京でたくさんのママ友ができた。「ママ友」と聞くと無条件に怖いものと思われがちだが、私の周囲のママ友は幸いにも付かず離れずのうまい距離を保ってくれる賢い女性達。おまけにバブル期に遊び尽くしたお姉さん方でもあるわけで、福岡の片田舎から上京したばかりの、掘り立ての芋のような私に、美味しいもの、上質なものを手取り足取り教えてくれた。ホテルのレストランでアルコール付きのランチして、千鳥足で幼稚園までお迎えに行く、そんな毎日。それはそれは楽しかった。

しかし一方で私は、どんなに楽しくても、自分が働いていないということに絶えず後ろめたさも感じていた。母として子供を育てているし、専業主婦にも専業主婦のお務めがあるわけで、決してそれが非難されるような立場でははないはず。だからこれは私自身の問題だった。私の労働体験はあのファミレス厨房の苦い記憶のままで止まっていたたから、「働く」ということが一つのコンプレックスになっていた。

そんな中、色々あって段々と夫婦関係がギクシャクしはじめ、日が経つにつれ夫婦の終わりが見えてきた。そうなると自力でお金を稼げないことへの危機感がいよいよ切実なものとなった。来たるべきときに備えて何か手を打たなければならない。しかし現実的な問題として、最終学歴は専門学校中退、社会人経験ナシ、かつ2児の母である私が、何のツテもなく履歴書を出して面接に赴いたところで「はい採用!」というようなことがあるだろうか。

そこで私は賭けに出た。専業主婦の経験で培った料理とおもてなしスキルをもって、頻繁に自宅でパーティを催したのだ。

……なんの話だという感じだが、そもそものきっかけは、夫と私の別居を耳にし、心配してやってきてくれた友人達をもてなすべく、料理をふるまっていたことだった。次第に、都会のコンクリートジャングルには家庭の味を欲している寂しい戦士たちが大勢いることがわかり、無職の私には料理を作る時間が余るほどあったので、彼らを次々と招いてご飯を食べさせた。そうするうちに、友人がその友人を紹介してくれるということが増え、私が外に出向かずとも、少しずつ私の世界が広がっていった。

そんな中知り合った人の縁で、あるとき非営利団体の運営ボランティアをやることになった。IT企業に勤める人たちのために勉強会を開いたり、イベントを開催する、そのお手伝いだ。現在IT業界で仕事をしているわけでない私にはここでの学びが直接仕事に役立つということは全くなかったが、メールの書き方からプロジェクトの進行管理、イベント運営など、「新社会人」として学ぶべきことは全部ここで教えてもらった。

月に2度ある夜間の定例ミーティングや、年に一度開催する2泊3日の大掛かりなイベントには、その都度ベビーシッターを頼んだり、実家の母に福岡から上京してもらった。母の飛行機代なども含めると、年間10万近くをこの活動に伴う子守のために費やしていた。収支だけで見ると大赤字だが、今となってはこれも、その後につながる重要な投資と言うことができる。何しろここでの活動を通じた出会いがきっかけとなり、私は仕事を得たのだ。

最初の仕事は事務作業のお手伝いだったが、次第にどんどん重要な仕事を任されるようになり、楽しくて楽しくて、後先考えずにめちゃくちゃのめり込んだ。その結果、子供をほったらかしてると後ろ指さされたり、体調を崩して救急車のお世話になったりした。最近はやりのワークライフバランスという言葉をしゃらくさいと嫌う人もいるが、母ひとりで子育てしている以上どうしても無視できないことなのであって、これではいかん、ということで転職。その後は自分の生活に適した労働形態を探るべく、パートや業務委託など色々な働き方を試みた。職種は事務作業、広報、ライター、イベント屋などそのときによって様々。そうして現在は、執筆の仕事と両立できるだけのお仕事をフリーランスとして請けている。こういう調子なのになんだかんだで現在まで途切れることなく仕事ができているのは、全て周りの友人、知人たちが、私の事情や特性をわかった上で仕事を持ちかけてくれるおかげなのである。

出産後も仕事を続けたい女性達にとって、いつが産みどきか、というのは永遠のテーマである。19歳で第一子を産んだ私は現在32歳、13歳の息子と9歳の娘を持つ母である。2人はもう幼児期のように頻繁に熱を出さないし、留守番もできる。簡単な料理だって作ってくれる。これから一時キャリアをストップして出産、子育てしようとしている同世代の友人たちには羨ましがられることも多いけれど、かといって私のような産み方、働き方を間違いなく良いものとして全ての人にお勧めできるかというと、必ずしもそうでもない。何しろ新卒入社以外の方法で社会人になるには、やはりそれなりにトリッキーな手段を必要とするからだ。私の今のこの状況は、恵まれた環境と奇跡的な幸運という、私の力以外によるところが大きい。

産んでからキャリアを積むのだって、積んできたキャリアを一時中断して産むのだって、どちらにもクリアするべき課題がある。だから結局のところ、いつが最もベストな産みどきか、という問いの答えは「妊娠したとき」というより他ないような気がしている。妊娠したら、産むことになったら、そのとき自分の手元にある食材を目の前に並べてみて、使えそうなものをフル活用して、最適な調理方法を考えるより他ないのだ。

ただ、それでも一つだけ言えることは、私が順当に新卒でどこかの企業に入社していたら、今よりもっと仕事ができないやつだっただろうということだ。主婦業と子育てで身につけたミュニケーション力やお母さん力、ときにおばちゃん力を、社会は案外必要としてくれているようなのだ。

専業主婦が悪いだなんて思わないし、金銭的に働かなくていい人が働きたくないと思うのは至極健全なことだ。でも、もしちょっとでも「仕事しようかな」と考えている主婦のみなさんは、ぜひ勇気を持ってトライしてみてほしい。求人情報誌や派遣会社に登録するのももちろんいいが、ボランティア団体や趣味の教室、興味のあるサークルにとりあえず所属してみるというのも、足がかりとしてはお勧めだ。何しろ新しく出会う人たちは、新しい役割を与えてくれる。有償でも無償でも、責任を持って役割を全うしようとすれば、そんな姿を見てくれる人はちゃんと現れる。自分が働いてみてわかったことだが、仕事で得られる貢献感というのは、ホテルでワインつきのランチをするのと同じくらい、あるいは高級なバッグを身につけて悦に浸るのと同じくらい、気持ちがいいものなのだ。
家入明子
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150625-00000973-cakes-life&pos=4