どこかで必ず“あいつは酒鬼薔薇らしい”という噂が立ってしまうんです。 | 日本のお姉さん

どこかで必ず“あいつは酒鬼薔薇らしい”という噂が立ってしまうんです。

元少年Aは、犯行当時は、少年だったから、大人が受ける裁きを受けていない。少年院もたった6年で仮退院している。
世間が今でも元少年Aのことを警戒するのは、当然だと思う。
よその親の大切なお子様を殺して、首を切って小学校の門の前に置いたんだから、子供の親がこの元少年Aを怖がるのは当たり前だ。
何が「カーテンの処女膜を引き裂いて外に飛び出した」だ。
そんなわけのかからない表現があったというネットの情報があったけど、犯罪を犯すことを喜びと感じて外に飛び出していったってことを表現しているのだろうか。本を読むことで、犯罪者側の気持ちが解明できるという人もいるようだけど、犯罪者の気持ちなんて分かりたくもないわ。
実名で本を出さないでいるのも、今後もこっそり生きようと決めているからなんでしょう。本を出すなら実名で出して、遺族の手元に金が渡るようにし、まず遺族に本を出版していいかどうか確認してからでないとダメでしょう。遺族にお伺いをたてたらきっと断られると思ったから遺族の意見を聞かずに本を出版して、もうけを全部自分のものにする気だな。犯罪者が自分の犯罪をネタに本を出して金儲けができる世の中になったら、犯罪が止まらないんじゃないかな。
ぜひ、日本もイギリスのように、犯罪をネタに金儲けをさせない法律を作ってほしい。子供を相手にした犯罪者は、刑期を終えて出てきても、再犯の可能性が高いから、近所の子供を持つ親にそのことを知らせてほしい。

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元少年A 仕事を始めても「酒鬼薔薇らしい」と噂立ち職を転々
2015年06月22日 07時00分 提供:NEWSポストセブン
6月11日に発売された元少年Aによる手記『絶歌』(太田出版)。遺族は猛抗議し、世間からは批判が噴出している。著者として公の立場に身を置くことが、世間の大きな注目や批判を浴び、自らの生活を脅かす危険があることも当然理解していたはずだ。それなのになぜ今、彼はこの手記を発表したのか。
Aが強硬に手記を出版した理由は、手記の後書きで綴った「精神崩壊の危機感」が大きかったのだろう。しかし、逮捕から今日までの彼の動向を追うと、それだけではない別の事情も見えてくる。
1998年3月から関東医療少年院に入ったAには、そこで精神科医3人と統括官1人による「育て直し」教育が施された。これは、精神科医や統括官がそれぞれ父、母、兄などの“模擬家族”を演じ、文字通りAを「赤ちゃんから育て直す」という徹底した矯正教育だった。
「この手法はAにも功を奏し、一時は母役を演じた女性医師に恋心を抱くまでになりました。破壊衝動と性的快感が結びついていた事件当時と比べ、徐々に通常の思春期男性の精神状態に近づいて行ったんです」(法務省関係者)
2001年になると被害者遺族への謝罪を口にするようになったというAは、2004年3月、法務省に「再犯の可能性はない」と判断され、仮退院する。
6年間という異例の長期入院だったが、矯正教育の結果、21才になったAからは、快楽殺人者の面影は消えていた。しかし、出所後にAを待ち受けていたのは過酷な日々だった。
「更生保護施設に入居し、日雇いの仕事も始めたのですが、どこかで必ず“あいつは酒鬼薔薇らしい”という噂が立ってしまうんです。
彼は常に、“いつ正体がばれるか”という恐怖と隣り合わせの日常を送っていました。そのため、不穏な空気を感じるとすぐに仕事を辞め、職を転々としたそうです」(前出・法務省関係者)
2005年1月に保護観察期間が終わり、更生保護施設を出てからもビル清掃や廃品回収など、日給6000~8000円の仕事で全国各地を漂流する生活に、Aは貧困を極めた。
東京都A市、鹿児島県B市、北海道C市、広島県D市、埼玉県E市、神奈川県F市…。
退院後のAの所在地として、これまで数多の地名が噂されてきた。その全ての地を本誌は訪れたが、多くは噂の域を出ることはなく、実際にAの所在を確認するまでには至らなかった。
しかし、確かにAの存在を感じさせる地もあった。
「一時、Aは宅配会社で働いていたのですが、そのときは埼玉県E市にいたという話が根強く出ていました。具体的な宅配会社名も出て、働きぶりも聞こえてきましたからね。
実際、その当時、E市のある小学校では、“Aが近くに住んでいるという情報があり、子供の安全のためにも法務省に情報開示を呼びかけるべきだ”と、PTAが学校に掛け合うという騒動が起きています」(全国紙記者)
事件から何年経とうとも、世間にとって、Aの存在は、怪物に変わりなかった。
※女性セブン2015年7月2日