林媽利先生は台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証明している。 | 日本のお姉さん

林媽利先生は台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証明している。

台湾人は漢民族ではない
「台湾の声」編集長、医学博士 林建良(りんけんりょう)
台湾人の原住民はごく少数で、大部分は福建省から渡ってきた中国人の子孫であると多くの日本人は思っているようです。日本人がそう思っているくらいですから、世界中の人もそうしたイメージを持っています。
しかし、事実はとんでもない話で、DNA分析を行ってみると、台湾人は大陸の中国人、わゆる漢人とは全く異なっている、という驚くべき事実があることを医学博士の林建良さんはのべています。
では、なぜそうなったのか?林建良さんの文章をお読みいただき、誤った思い込みを正していただきたいと思います。歴史的にも人種的にも台湾は、台湾であり、中国の一部などではないというのが真実です。
英訳文を下記の通り海外の人々にも発信しました。
平成27年6月3日 「史実を世界に発信する会」茂木弘道拝
THE TAIWANESE ARE NOT HAN CHINESE
Lin Jianliang, Ph.D. in Medicine
Editor, Voice of Taiwan
Many people think that the Taiwanese belong to the same ethnic group as the mainland Chinese. Not only ordinary people, but also scholars and researchers studying Taiwan labor under this false impression. They believe what they’ve heard, i.e., that 2% of the Taiwanese population are aborigines, 13% are natives of the mainland who fled to Taiwan with Chiang Kai-Shek in 1949 (and their descendants), and the remaining 85% are natives of the mainland who arrived in Taiwan prior to World War II. Therefore, they reach the conclusion that 98% of Taiwanese are Han Chinese.
This impression, however incorrect, is widely embraced. And it does not help that Taiwanese born in the postwar period were taught that they are Han Chinese. But this is completely wrong from the viewpoint of the genetic make-up of the Taiwanese. Dr. Lin Mali, professor of hematology at Mackay Memorial Hospital in Taipei discovered that the genetic make-up of the Taiwanese is completely different from that of the Han Chinese.
How was this difference occur? Dr. Lin Jianliang elaborates the historical process. Read Dr. Lin’s essay.
MOTEKI Hiromichi, Secretary General
for KASE Hideaki, Chairman
Society for the Dissemination of Historical Fact
Phone: 03-3519-4366
Fax: 03-3519-4367
Email moteki@sdh-fact.com
Note: Japanese names are rendered surname first in accordance with Japanese custom.
台湾人は漢民族ではない 「台湾の声」編集長 林建良(りんけんりょう)
台湾という国を、皆さんは知っているようで知らない。
どうせ中国と同じ民族なのだから仲良くやればいいじゃないか、と言う人が少なくない。
一般人ばかりでなく、台湾について勉強している学者や研究者でさえ、同じようなことを言う。
つまり台湾人は、二パーセントの原住民、一三パーセントの外省人(蒋介石と一緒に台湾にやってきた人間)、
残り八五パーセントの本省人(戦前に台湾に移住してきた人間)なのだから、九八パーセントはもともと漢民族ではないか、と。
これは誤解でしかないが、ほとんどの人が台湾人は漢民族であると考えている。
実は、なによりわれわれ戦後の台湾人が「お前たちはもともと漢民族である中国人なのだ」という教育を受けてきたのだから、世界中の人間がそう思うのも致し方ない面がある。
しかし、これは間違いなのである。
台湾が世界史に登場してきたのはつい最近で、一七世紀になってからである。
では、それ以前の台湾にはほんの一握りの人間しか存在していなかったのかというと、そうではない。
台湾が歴史に登場したのは一六二四年で、オランダがアジアとの貿易をするうえでの中継点として登場した。
ご承知の通り当時のオランダは、非常に航海技術が優れていて、貿易が盛んだった。
今の会社の原型といわれる東インド会社も彼らによってつくられた。
当時の彼らは、西洋のものを日本や中国に売り、あるいは東洋のものをヨーロッパに売ったりしていた。
オランダはその中継点として、台湾と中国のあいだにある島で、100平方キロほどの澎湖島という島を選んだ。
当時の明朝はその島をめぐってオランダ軍と戦い、結局は和解したが、明朝の条件としては、澎湖島は返してもらう、その代わりに台湾をあげるからというものだった。
台湾は中国にとって、そのくらい無用のものだった。
そして一六二四年、オランダ人が台湾を統治することになる。それが台湾人が体験した初めての国家としての権力であった。
著名な統計学者である沈建徳氏の著書『台湾常識』によれば、当時の台湾の人口は五十万人だったという。
今から十年ほど前までは、台湾では原住民のことを「山胞」、つまり山に住んでいる民族と呼んでいた。
しかし、確かに三分の二は山でも、三分の一は平野である。
住みやすい平野に人が住まなくて、山にばかり住んでいるなどというおかしなことはない。
実は、当時の台湾人のうち二十万人は山に、三十万人は平野に住んでいたのである。
■台湾に来たがらなかった中国人
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オランダ人は台湾を統治するために、中国から労働者を輸入する。
その数は七千人から八千人で、五十万人の中の八千人だ。
人口の一、六パーセントにすぎない。
鄭成功が清に負けて台湾に逃げてきたのが一六六一年であるから、オランダの統治は三十八年間続いたことになる。
今、台湾人が中国人の子孫であり後裔であるという根拠は、鄭成功がたくさんの中国人を連れて海を渡ってきたことに求められている。
しかし、一六六一年の台湾の人口は六十二万人であり、中国からやってきた鄭成功一族と彼の軍隊はその中のたった三万人なのである。
その一族が台湾を統治したのは二十二年間で、清朝によって滅ぼされた。
当時の台湾の人口は七十二万人になっており、そのとき清朝が連れてきた軍隊はほんの数千人だ。
なぜ中国人が台湾に行きたがらないかというと、当時の台湾はまさに瘴癘の地だった。
瘴癘とは風土病のことだが、マラリアをはじめ猩紅熱、腸チフス、百日咳など、ありとあらゆる伝染病が台湾に蔓延していた。
「台湾に十人行けば七人死んで一人逃げ帰る。残るのはせいぜい二人」という中国の諺が残っているほどだ。
実際、清朝は二百年のあいだ台湾を統治するが、その間、統治者は三年交替だった。
三年交替の統治者で生きて中国に帰れたのはほんの数人、十人を超えていない。
もちろん統治者としてやって来るわけであるから、いちばん良い食事、いちばん良い環境、いちばん良い住まい、つまりいちばん良い衛生状況を保てたはずだったが、その彼らがほとんど台湾で死んでしまうほど台湾の風土病は怖かった。
そして、一八九五年に日本が台湾を領土としたときの人口は二百五十万人だったが、清朝出身者のほとんどが中国に引き揚げている。
だから、このように歴史をたどってみれば、われわれ台湾人が漢民族であるという認識の間違っていることがよくわかるのである。
■税金のために漢民族になろうとした原住民 清は、いろいろな階級に分けて台湾人を統治した。
漢人、つまり漢民族しか苗字を持っておらず、原住民のことは、野蛮人を指す「蕃」を使って「生蕃」「熟蕃」と呼んだ。
この戸籍制度は、日本の統治時代まで使われた。
熟蕃というのは漢民族と一緒に住んでいる、人を殺さない野蛮人を指す。
山に住んでいる台湾人は首を狩る。
そのことを我々は「出草」と言う。
自分が一人前の男であることの証明として人の首を狩り、狩った首はお飾りとして自分の家の前に棚を作って並べておく。
この首の数が多ければ多いほど立派な男ということになる。
私のなかでときどき血が騒ぐのは、その遺伝子のせいかもしれない。
生蕃には重税が課せられ、熟蕃はやや軽い。
漢人はいちばん軽い。そうすると、熟蕃は競って漢人になろうとする。
そこで、当時の清朝は「では、あなたの名前は林にしましょう。あなたは王にしましょう」と苗字を与えた。
苗字のない原住民は競って苗字のある漢民族になろうとしたのである。
生蕃もできるだけ熟蕃になろうとした。
だから、台湾人は漢民族であるというのは統治者の政策によってつくられた虚像でしかない。
要は名前を漢人風にしただけのことであり、表面だけを見て漢人と言っていたのである。
■血液学からも証明 台湾の人口は、一六二四年の五十万人から一九四五年にはざっと六百万人になった。
環境などを考慮すると、その成長率は非常に合理的な数字である。
清朝統治の二百年間には、台湾に渡るなという禁止令があった。
それは、台湾が非常に長いこと海賊の巣になっていたので、人が増えることは好ましくなかったからで、できるだけ台湾に渡らせないようにしようというのが清の姿勢だった。
日本が統治した当時の人口は二百五十万人で、もちろん日本統治の五十年間に中国から台湾に移住してきた中国人はほとんどいなかった。
正常な人口の成長で、五十年間で六百万人になった。
一九四五年に台湾から引き揚げた日本人が四十万人いたから、総数としては六百四十万人ということになる。
その中にもし中国人がいたとしても、ごく僅かなのだ。
血液学的調査にもそうだし、台湾の馬偕記念病院の血液学の教授である林媽利先生は人間のリンパ球の遺伝子を調べて、すでに台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証明している。
台湾人は漢民族ではない。
林建良プロフィール:台湾に生まれる。
1987年、日本交流協会奨学生として訪日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。在日台湾同郷会顧問、メールマガジン「台湾の声」編集長、台湾独立建国連盟日本本部国際部長、日本李登輝友の会常務理事、台湾団結連盟日本代表も務める。現在は栃木県在住。医師としての仕事のかたわら台湾正名運動を展開している。
著書:「正名運動」緣由. 台灣: 一橋出版社. (2003-09-17). ISBN 957-8251-48-3、『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』 並木書房、2006年7月。ISBN 4-89063-201-8、テンジン、イリハム・マハムティ・ダシ・ドノロブ共著 『中国の狙いは民族絶滅 チベット・ウイグル・モンゴル・台湾、自由への戦い』 まどか出版、2009年3月。ISBN 978-4-944235-45-2、『中国ガン 台湾人医師の処方箋』 並木書房、2012年12月。ISBN 978-4890633005。