社説:地中海密航事故 難民対策の強化を急げ | 日本のお姉さん

社説:地中海密航事故 難民対策の強化を急げ

社説:地中海密航事故 難民対策の強化を急げ
毎日新聞 2015年04月21日 02時30分
 700人以上の難民や移民を乗せた密航船が18日夜、イタリア南方の地中海で転覆した。捜索が続けられているが、救助されたのは約50人にとどまっており、地中海で相次ぐ密航船の海難事故で過去最多の犠牲者数となる可能性が高い。これ以上の悲劇を繰り返さないために、欧州諸国は難民や移民の救済対策の強化に早急に取り組んでほしい。
 内戦状態のシリアやリビアなど中東やアフリカの紛争地を脱出し、非合法な手段で欧州を目指す難民や移民がこの数年急増している。合法的な渡航手段がきわめて限られているためだ。多くはリビアなど北アフリカの海岸から犯罪組織が手配した小型漁船などの密航船に多額の手数料を払って乗り込み、地中海を渡る。北アフリカに近いイタリアが、こうした難民や移民にとって、いわば欧州の「玄関口」になっている。だが小型船に定員の何倍もの人数を乗せるため遭難10+件事故が絶えない。
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、こうした密航船で地中海を渡った難民や移民は昨年1年間で約21万9000人いるが、途中で約3500人が遭難10+件死した。今年もすでに約3万5000人が密航したが、死者は今回の事故を含めれば約1600人に上るという。
 欧州側も人道的な救助には取り組んできた。一昨年10月、イタリア沖で密航船が火災を起こして沈没し、アフリカからの難民ら300人以上が死亡する事故が起きた。これを受け、イタリアは海上で密航船を捜索し、難民や移民を救助する作戦に取り組んだ。だが費用がかさみ、昨年11月から欧州連合(EU)がこれを引き継いで始めた作戦は活動範囲を縮小したため、不十分だとの批判が出ていた。イタリアは月300万ユーロ(約3億8400万円)のEU活動予算を増額するよう求めたが、各国とも反移民政治勢力の反発を恐れて消極的だったとの指摘もある。
 グテーレス国連難民高等弁務官は今回の事故を受け、EUに海上救助作戦の強化に加え、合法的に欧州入りするルートを確立する抜本的な対策を求めた。難民輸送のため北アフリカと欧州間のフェリー航路を開設して「人道回廊」を設置するよう求める非政府組織(NGO)もある。EUは20日、緊急の外相・内相会議を開いて対策を協議した。EUの取り組みに期待したい。
 欧州だけの問題ではない。中東やアフリカの国々が内戦などで政情が安定しない限り、そこから難民や移民が流出し続け、密航船事故の根源を絶つことはできない。こうした国々を停戦と安定に導くことは、日本をはじめとする国際社会の責任でもある。
http://mainichi.jp/opinion/news/20150421k0000m070132000c.html
TV番組の宣伝↓
2015年5月11日(月)
地中海難民急増 EUのジレンマ
ヨーロッパをめざして地中海を渡ろうとする難民の動きが止まらない。5月に入って相次いで数千人単位の難民が救助され、イタリアなど沿岸国は対応に追われている。皮肉なことに難民急増の要因のひとつになっているのがEUの手厚い救助体制だ。遭難しかけても最後は救助してもらえると、危険を冒して次から次へと船を出す密航グループが暗躍しているのだ。人道的な立場から救助、受け入れ態勢を整えてきたEUはジレンマに陥っている。密航グループへの密着取材とあわせ、地中海難民対策の難しさを伝える。
出演:北村雄介(国際部記者)
http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2015/05/0511.html
<[パキスタン]「わたしは敵ではな... | [中東][米国]イラクのテロ、6割...>
2007-12-31
■[アフリカ][伊国]現場発:アフリカからイタリア…地中海密航、続々 安住の地、遠くCommentsAdd Star
長いですが。
 ◇「来る時でなく、どこへ行くかが問題なんだ」
 地中海を望む丘に、壊れた木造の船が300隻以上、折り重なるように廃棄されている。難民と不法移民を乗せ、北アフリカからイタリア最南端の小島ランペドゥーサにたどり着いた密航船の残骸(ざんがい)だ。「船の墓場」と地元の人は呼ぶ。
 出港拠点のリビアから同島まで約300キロ。昨年は1万8000人、1日平均で49人の難民と不法移民が島に上陸した。だが、粗末なエンジンに、定員を無視した乗船は「生死を懸けた旅」とも言われる。今年9月までで500人近くが、船の難破によりシチリア近海で命を落とした。
 廃棄された船には茶のみ道具や布団、靴、下着などが残り、生活の跡が漂う。ここまでして欧州に新天地を求めて来る人々の気持ちを知りたいと思った。【ランペドゥーサ島とローマで海保真人】
 ●漂着の喜び
 ◇滞在許可の先に苦難
 11月の晴れた日、ソマリア国籍の38人を乗せ、エンジンの壊れかかった船が島に漂着した。政情不安な母国を逃れ、スーダンとリビアの国境の砂漠を車で横断し、船に飛び乗った人たちだった。
 イタリア内務省が管轄する「第1次救助・歓待センター」に収容された彼らと会った。
 配給された運動着を着た無職男性(20)は「内戦を逃れ、親、姉妹と別れ、1人で出国した。イタリアに政治亡命を申請する。やっと平和な国に来られた」と話した。
 男性技師(51)は「今の気分は最高だ。亡命が認められれば、いずれ家族も呼び寄せたい。どんな仕事にでも就きたい」と語った。
 逃避行の緊張から解放され、若者はサッカーを楽しみ、女性たちは歌を歌っていた。一見、将来はバラ色かと思える、のどかな雰囲気だった。
 しかし、地元の人たちの声がふと頭をよぎる。「ここには来てほしくない。なぜ彼らの面倒を見なければいけないの」。移民反対派のマラベンターノ副町長はそう言っていた。「観光業に悪いイメージをもたらしている」との声が強く、町は国に同センターの廃止などを求めている。
 収容者は警察の人定作業の後、難民とみなされればイタリア各地の「身元確認センター」へ、不法移民と疑われれば別の「一時収容センター」へと振り分けられる。約2カ月後、亡命志願者の約6割が「政治的保護」か「人道的理由」で正式に滞在を許可される。
 だが、許可証を得たところで、行く末は楽でない。かつてのエリトリア難民で、島で「国境なき医師団」通訳として働くタレーケさん(24)が教えてくれた。
 「僕も2年前、シチリア本島に上陸した。当時は簡単に滞在許可証をもらえた。でも金はなく、言葉も分からず、行き場がなかった。大都会のローマは特に冷たかった。数日間、食べられないこともあった。一生懸命働いて今の仕事を得た」
 そして続けた。「問題は来る時でなく、彼らがその後どこへ行くかなんだ」
 ●迫害と拷問
 ◇収監、婚約者も行方不明
 12月、ローマで元「ボート難民」を探し求めた。知り得たのは、船に乗るまでの苦労と、イタリアに着いてからの苦労だった。
 エリトリア人女性、レタブラウンさん(20)はカトリック教会系の無料宿泊施設に身を寄せている。3年前、母国で高校を卒業後、徴兵を拒否。軍から脱走した婚約者とスーダンに駆け落ちした。だが、イタリアを目指しリビアに入ったところで不法入国で逮捕され、3カ月間、収監された。「あれ以来、彼の行方が分からない」と、か細い声で言う。
 密航前、リビアで生まれた長女は1歳7カ月になるが、父親の顔を知らない。
 同宿のエチオピア人女性、トラハスさん(28)は幼いころ家族でスーダンに逃れた。だが、額に彫られたコプト教徒の証しの「十字」印のため、乱暴なイスラム教徒に殺されそうになった。昨年、夫と子供2人を残し、単身でリビアに逃げた。
 リビア治安当局に逮捕され、7カ月間、収監された。「彼らが求めたのは金、金、金。家族に仕送りを頼み、6000ドルを払い釈放された。他の難民が拷問されるのも見た」
 2人ともイタリアで「きっと生活がよくなる」と期待した。
 ●言葉が壁に
 「身元確認センター」で念願の滞在許可証を得て、2人はローマに上京した。だが、新天地は甘くなかった。
 「イタリア語が話せない。だから仕事なんて見つからなかった」と2人は言う。レタブラウンさんは、赤ちゃんも重荷になった。
 2人はローマ市外れの地下鉄終点駅近くで、それぞれ3カ月と10カ月、路上生活を続けた。たまたまカトリック教会系の支援団体を知り、1日3食とベッドにありつけた。
 この団体は市内で無料の夕食配給施設を開くが、常にホームレスの難民や移民で行列ができる。宿泊施設は3カ所あるが、とても希望者には足りない。
 2人の宿泊施設での生活も半年間に限られる。その間にイタリア語を習得し、仕事を見つけねばならない。仕事は高齢者の世話やベビーシッター、家政婦ぐらいしかない。
 レタブラウンさんはまだイタリア語を話せない。「ここを出た後、自分がどこへ行くのか分からない」と、ぼうぜんと宙を見つめた。
 ●新たな支援
 ◇「安全になったら帰りたい」
 イタリア内務省の外郭団体は地方自治体と協力し、難民認定者にイタリア語を教え、仕事や住まいを紹介する新たなプロジェクトを進めている。
 ローマから離れたビテルボ市でこれに運よく参加できた元「ボート難民」のエリトリア人女性(21)に会った。家政婦の仕事を得てエチオピア人の夫とアパートを借りる彼女は「今の生活に満足している」と話した。ただ、故郷の両親と弟、妹を思うと、時々、孤独感に襲われる。「将来、母国の政府が変わり、安全になったら帰りたい」。「私の国だから」と付け加えた。
 都会をさまよい、社会にとけ込み始めても、母国に後ろ髪を引かれる。難民が異国で「市民」になる道は、たやすくない。
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 ■ことば
 ◇ボート難民
 アフリカから欧州へ船で向かう難民と不法移民は近年増え続け、06年は計5万5000人以上に上った。主な渡航ルートは
▽リビア北部からランペドゥーサ島かシチリア島(いずれもイタリア領)、またはマルタ
▽西アフリカからカナリア諸島(スペイン領)
▽モロッコからスペイン
--の三つだ。06年に欧州へ向かった難民・不法移民のうち、イタリアを目指したのは約2万2000人。その8割はランペドゥーサ島経由だった。最近はアフリカ東端に位置し、イタリアの旧植民地・保護領であるエリトリア、エチオピア、ソマリアの3カ国からが多い。
毎日新聞 2007年12月31日 東京朝刊
まぁ難民が逃げ込んでくるのがいやなら、彼らが自分の国で生活できるように援助するしかないと思うんですけどね。以前はスペインに入るルートが多いと報道されていたような気もします。しかしエリトリア、エチオピア、ソマリアからではイタリアに入るのがまだ楽なんでしょうね。
追記:
前もってこういう記事があったんですね。
■<イタリア>リビアと合同で海上巡視…死者続出、密航防止へ
 【ローマ海保真人】リビアからイタリアへ向かう難民と不法移民の密航船が後を絶たないため、両国は29日、地中海海域で本格的な合同の海上巡視を行うことで合意した。イタリア内務省によると、伊側が用意する6隻の国境巡視艇に、両国の警備当局者が乗り込み、出発起点であるリビア側の港や海岸を監視する。
 「リビア・ルート」と呼ばれ、主にアフリカ難民を乗せた密航船は遭難や転覆が相次いでおり、死者や行方不明者も続出。一方で密航には、1人につき1000~1500ドルの「密航料」を取るリビア側の悪質な闇業者が絡んでいるとされ、問題となっている。
 アマート伊内相は声明で「より多くの人命を救助し、犯罪組織を打ち負かすことが可能となる」と述べた。
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20071231/1199065313
地中海の悲劇とEUの苦悩
今週のTIME誌が伝える「ヨーロッパ、良心の危機」と題する特集記事に注目しました。 拙訳で恐縮すがご一読頂ければ嬉しいです。
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4月19日イタリア沖の地中海で起こった悲劇がEU諸国を揺るがせている。リビアからヨーロッパへ脱出しようといた密航船が沈没、800人の死者を出し、救出されたのは僅か28人。
増え続ける移民密航者の犠牲と、EU内部で顕著になってきた反移民感情の高まりに、ヨーロッパのリーダーたちはどう対処しようとしているのか?
戦争と迫害から逃れ、少しでもマシな生活を求めてヨーロッパを目指す中東、アフリカ、南アジアの人たちの抑え難い渇望が、今やEUの政治を揺り動かし、人道問題との狭間でリーダーたちを悩ませている。
そんな中で起こった4月19日の悲劇で、この問題が一気に先鋭化し、高まる一方の反移民感情のうねりに、ヨーロッパの伝統的な寛容の精神が押し流されようとしている。
ますます増え続ける危険な密航移民に直面して、各国のリーダーは国内の反対勢力を抑えつつ、漂着した違法移民の保護という作業を法制上と人道上の両面から進める難題と戦っているのが現状だ。
事故の直後4月23日にEU28国のリーダーがブラッセルに集合し、地中海沿岸に漂着した密航移民の救済を決める決議を行った。沿岸警備艇とヘリコプターへの予算を3倍に増やし、入国手続きの簡素化やリビアにおける安定政権樹立への国連の活動の支援などを決めた。またイギリスとフランスは国連の要請に応えて、リビア沿岸の密航船を事前に拿捕し破壊する作業を開始した。
この決議でEU首脳たちは「先ず最優先の課題は、地中海での移民たちの溺死を防止することである」と合意した。
これに対して、避難民支援のNGOからは、対策は全く不十分だと非難の声も。
アムネスティ・インターナショナルなどは「これは避難民の命を守る対策ではなく、自分たちの面子を守るための決議だ」と非難。この決議は移民受け入れに関するUE各国間の考え方の違いを露呈していると指摘する声もある。
EUの規定では、亡命難民が最初に上陸した国が、移民申請者から聞き取り審査して必要な書類交付する義務があり、難民承認された移民はその国に留まることは出来るが、そこから更に他の国への移住はできない。
移民大部分を受け入れているのがイタリアとギリシャ、マルタだ。圧倒的に大量の移民の入国手続を処理し居住場所を提供する重圧に耐えかねた三国は、規定改正を求めて移民たちを受け入れて欲しいとイギリスやオランダなどの北方諸国に泣きついているが、北方諸国の腰は重く、EU決議の範囲内でイタリアとギリシャに入国手続きを助ける人員を送ることでお茶を濁しているのが現状だ。
イタリア海軍は”Mare Nostrum(我らが海=地中海)という名のシステムを作って地中海での遭難発見救助を目的とした独自の救援活動を行ってきたが、数か国の首脳から、難破してもイタリアが助けてくれるという期待を持たせることで密航移民の発生を助長していると非難された。EUも密航業者を儲けさせ難民を溺死の危険に追いやるだけだという理由で制度に対する資金拠出の打ち切りを決めたため、昨年11月イタリアはこの制度を廃止してしまった。
EUは代りにTriton計画を創設したが、予算はイタリアの制度の三分の一に減らされ、監視艇のパトロール範囲も沿岸から50キロ以内に限定された。
天候が安定してきたことも手伝って、4月にこの新制度の運用が始まって以来、密航船の数も遭難者の人数も記録破りの増加となった。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、昨年一年間の密航者219,000人、溺死・行方不明者3,500人であったが、密航者の数は今年は倍増が確実な情勢と言われ、一方国際移住者協会では溺死・行方不明者は30,000人にのぼると警告している。
ヨーロッパにとって難民問題は今始まった話ではない。現行の難民に関する国際法も、第二次世界大戦でのナチスによる600万人のユダヤ人虐殺をはじめ数百万人の人たちが国を追われた苦い経験から作られたものだ。1950年国連によって創設されたUNHCRは「もし迫害された人たちがあなたの国に救いを求めてきたら、それを保護し、継続して彼らの問題解決に当たる責務がある」という強制力のある規則を定めている。
しかし一方で、より良い生活を求めてやってくる経済難民に対しては法律上の保護義務はない。保護義務がある被迫害難民と経済難民の識別という難題が裕福な国々を悩ませているのだ。激しい内戦や宗教上の理由、政治信条、性差別などで不当な拘束や殺害の危険に曝されて逃げてくる人たちと、生存不能なほどの貧困を逃れてやってくる人たちが混在しているのが実情だが、法律で保護されるのは前者だけだ。
現実は、この両者を合わせた難民の数の急増が先進国を悩ませ、結果として真に迫害された人たちの受け入れをも躊躇させる結果になっている。
原因は多岐にわたっているが、昨年夏の時点で国を追われた難民は5,100万人と言われている。国連が規約を決めた時には到底予想された数ではない。オーストラリアのように、政治難民も含めてすべての難民の入国を拒否する国がでてきても不思議はない。
イタリアのMare NostrumをやめさせたEUのやり方は失敗に終わった。難民の数も溺死者の数も急増の一途だ。EUの政治家には、ある意味でこれら溺死者にたいする責任があるとの声も出ている。
「ヨーロッパは、世界で最も弱い立場の人たちに背を向けたのだ。そして今や地中海を墓場と化す危機が迫っている。」4月19日の悲劇を聴いて激怒した国連人道問題高等弁務官のZeid Ra’ad Al Husseinの言葉だ。
スイスに本部を置くエリトレア・カトリック教会のZeria司祭は、もう何年も前から移民たちのための私的ホットラインを設け、危機に瀕した密航移民からの緊急連絡を受けている。彼の携帯番号は移民たちの間では広く知れわたっているのだ。「イタリアのMare Nostrumが機能していた昨年11月までは、危険な状態の密航船の位置をGPSで確認してイタリアとマルタ島の巡視船に連絡、巡視船は直ちに難破船に急行して救助に当たってくれた。しかし、その制度が廃止されて以降は緊急連絡を入れても、出動までには時間がかかるという返事が多くなり、間に合わないこともしばしばだ」と語っている。
4月19日の事故以後は、救助出動も早くなりより多くの人命が救われるようになって欲しい。ドイツのメルケル首相は「われわれはもっと努力せねばならない。目の前の地中で、これ以上の悲劇を起こさせるわけにはいかない。」と語っている。
何故これだけ多くの人たちが国を捨てて危険な脱出に走るのか?
多くの密航移民にとって、かれらの祖国そのものも、脱出を試みる地中海沿岸の港も全て戦闘地帯。かれらが乗船する港はリビア沿岸地帯にあり、そのリビアは今や武器が溢れる戦闘地帯だ。統治機関は全く機能せず、内戦に加えて、自称イスラム国の支部を名乗る武装集団が暴力を振るい始めている。
2011年NATOが空爆で、42年間のカダフィ独裁政権を崩壊させて以降、リビアは正に混沌の中にある。二つの政府が抗争を続け、地域ごとに違った武装集団が支配しており、その政治的空白につけこんだ密輸業者や人身売買業者が暗躍する世界なのだ。
密航業者が急増したのは2013/14年のこと。何万という比較的裕福なシリア市民が、激しい内戦を逃れてリビア経由でヨーロッパへの脱出を試み、高額の金を密航業者に支払うようになってからだ。
ゼノアに本部を置く「国際的組織犯罪撲滅協会」のトップReitano氏の話では「シリアからの難民が押しかけてくる前は、密航業者も余り儲る商売ではなく、今あるようなネットワークや共同作業体制など考えられなかった」そうだ。
昨年リビアからヨーロッパを目指して密航したシリア人は17万人という突出した数にのぼっている。これが疑問の答えなのだ。
http://open.mixi.jp/user/51652146/diary/1941885741