アメリカ独立宣言文は、鞭打たれる黒人たちの悲鳴を聞きながら、書かれたものだった
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戦後70年を経ても変わらない米国の人種差別
戦後70年に、日米戦争の原因について考えたい。その1つが、人種差別にあった。
昭和天皇が敗戦の翌年に、対米戦争の原因について、つぎのように述べられている。
「この原因を尋ねれば、遠く(大正8年のパリ講和会議に)日本の主張した人種平等案は列国の容認する処(ところ)とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは、日本国民を憤慨させるに充分なものであった。
かゝる国民的憤慨を背景として、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業(もの)ではない。(『昭和天皇独白録』)
平成12(2000)年に、拓殖大学が創立100周年を祝った。
今上天皇が記念式典に臨席された時のお言葉のなかで、「校歌には青年の海外雄飛の志とともに、『人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし』と、うたわれています。当時、多くの
学生が、この思いを胸に未知の世界へと、大学を後にしたことと、思われます」と、述べられた。
父・天皇の想いを、語られたにちがいない。
太平洋戦線で、アメリカのほとんどの部隊が日本人を蔑視して、投降する兵や、負傷兵を見境なく虐殺した。
そう聞かれると、驚く読者もおられようが、チャールズ・リンドバーグの『第二次大戦参戦記』(学研文庫)、マサチューセッツ工科大学(MIT)のジョン・ダワー教授の『容赦なき戦争(ウォア・ウィズアウト・マーシー)』(平凡社)をはじめとする、多くの著作に克明に描かれている。
アメリカ兵が沖縄戦で住民を虐殺したことが、イギリスの歴史作家M・ヘイスティグスの『日本との戦い 1944―5年』(ハーパース、未訳)に、取りあげられている。
ノース・カロライナ大学のG・ホーン教授の新著『人種戦争(レイス・ウオア)』(6月に祥伝社から刊行)によれば、トルーマン大統領がホワイトハウスで「神は白人を土から創り、黒人(ニガー)を屑から創った。その残りが、シナ人(チャイナマン)だ。神はシナ人(チャイナマン)とジャップが大嫌いだ。私もだ。人種差別だが、私は黒人(ニガー)はアフリカへ、黄色(イエローメン)のはアジアにいるべきだと強く主張する」と語った。
アメリカは日本について、まったく無知だった。そのよい例が、戦争中にアメリカ政府の委託によって、人類文化学者のルース・ベネディクトが、日本の国民性について研究した『菊と刀』である。
ベネディクトは日本語もできず、日本を訪れたこともないが、日系アメリカ人を拘禁した収容所をまわって調査し、西洋が内面の「罪の文化」であるのに対して、日本は外面だけを飾る「恥の文化」だと、結論づけた。
私の母方の祖母は、会津若松の武家の血を享けていたが、少年時代に祖母から「心に心を恥じる」とか、「自分の心を証人として生きなさい」と、教えられた。
日本でベネディクトの『菊と刀』を崇める向きが少なくない。自国について蒙昧なのだ。
アメリカの日本知らずは、今日も変わらない。
ベネディクトが似非(えせ)学者なら、日本にもその男版がいた。
私は有斐閣の昭和47年初版の『六法全書』を、所蔵している。我妻栄東京大学教授が編集代表として、編纂したものだ。日本が独立を回復して20年後に刊行されたというのに、憲法篇の扉にアメリカ独立宣言文が、全文、英語と日本語で載っている。
「われわれは、次の真理を自明なものと考える。すなわち、すべての人間は、平等に造られている。彼らは、その造物主によって一定のゆずり渡すことのできない権利を与えられている‥‥」から、始まる。
アメリカ独立宣言は、アメリカ3代大統領となったトマス・ジェファーソンが起草したが、南部の荘園主で、奴隷主だった。「すべての人間」というのは、白人だけのことだ。
アメリカ独立宣言文は、鞭打たれる黒人たちの悲鳴を聞きながら、書かれたものだった。