過去の2人の首相談話が、ほとんど関係改善に作用せむしろ対日攻勢の“拠点”となってしまっている現状 | 日本のお姉さん

過去の2人の首相談話が、ほとんど関係改善に作用せむしろ対日攻勢の“拠点”となってしまっている現状

過去の2人の首相談話が、ほとんど関係改善に作用せず、むしろ対日攻勢の“拠点”となってしまっている現状を、未来志向の談話によって区切りを付けたい

安倍が過去の文言からの離脱を宣言
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杉浦 正章

「談話を引き継ぐ以上もう一度書かない」

首相・安倍晋三が歴代内閣の「首相談話の軛(くびき)」からの離脱を宣言した。
村山富市が出し小泉純一郎がそれをコピー・アンド・ペーストした「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の“キーワード三点セット”を自らの「70年談話」には使わない方向を鮮明にさせたのだ。

たしかに村山談話は、結果的に出した効果は薄く、関係改善に役立ったとは言えない。

中韓両国によってことあるごとに逆手を取って“活用”される のみならず、国内リベラル派の存在誇示のより所でもあった。
問題は米国 との根回しは大丈夫かというところにあるが、訪米を直前にして米国説得 が完了していないはずはあるまい。
米上下両院で歴史認識にどう触れるか が焦点となる。

安倍はフジテレビの番組で「同じことを入れるのであれば談話を出す必要はない」と次のように語った。重要発言であるからそのまま書く。

「談話については村山首相は村山首相として語られた。
小泉首相は小泉首相として出した。
しかし、小泉首相のときは村山談話を下敷きにしているという感じはある。
私の場合はそうではなく、安倍政権として、首相である私としてどう考えているのか。先の大戦に対する反省、戦後の平和国家としての歩み、これから地域や世界のためにさらに平和に貢献していく決意。

70年、80年、90年、100年に向けて、日本はどういう国になっていくか、どういう世界にしていこうと思っているのかを発信したい。
そういう文脈で考える。
私の考え方がどのように伝わっていくかが大切だ。
同じものを出すなら名前だけ書き換えればいいだけの話になり、談話を出す必要がない。


歴史認識においては、この基本的な考え方は継いでいくと申し上げている。
過去の談話に書かれていることについては、引き継いでいく。
引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」。

要するに安倍は、社会党政権が出した談話を小泉のように安易に踏襲することなく、未来に向けて近隣諸国との関係の礎となる談話を出したいのだ。

既に首相のブレーンからは談話を踏襲をすべきでないとする意見が出されている。
戦後70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」で座長代理を務める国際大学長・北岡伸一も2月、自民党本部で講演し、70年談話 に過去の「植民地支配と侵略」へのおわびの文言を入れ
るよう求める意見 があることに対し「片言隻句を取り上げて、ある言葉があるとかないとか で考えるのは非生産的だ。

あまりに行きすぎた謝罪の追求は日本国内の反韓、反中意識を高め、和解を難しくする」と批判している。
確かに、国内の反韓、反中派を勢いづけては元も子もなくなる。

問題は「片言隻句」と日本が主張しても、米、韓、中に説得力のある談話を出し得るかどうかであろう。
とりわけ米国の説得が国際世論の形成上重要ポイントだ。

米国は、中韓のロビー工作を受けて、かなり単純に3点セットに固執する傾向を見せている。
国務省は報道官・サキが新年早々「これまでに村山元首相と河野元官房長官が示した謝罪が、近隣諸国との関係を改善するための重要な区切りだったというのが我々の見解だ」と強いけん制球を投げてきている。

だから安倍も談話を踏襲すべきだというのだ。
同じ文言を使わない以上、談話がどのような表現になるかが焦点だ。
このような重要課題を26日からの訪米で首相自らが米国と調整することはまずあり得ないだろう。

サキ発言に代表される、「3点セットへの固執」を覆すための事前調整が行われていなければ、20日の安倍発言はあり得ないだろう。

安倍は「過去の談話を引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」というのだから、「引き継ぐ」をキーワードとして3点セットを処理する方向かも知れない。

安倍発言は国内的には河野洋平が踏襲を主張し、小泉純一郎が「10年おきに出す必要は無い」と発言したりするなどの“不協和音”を意識したとも言 える。

安倍の真意は去の2人の首相談話が、ほとんど関係改善に作用せず、むしろ対日攻勢の“拠点”となってしまっている現状を、未来志向の談話によって区切りを付けたいのであろう。

日本ではよくドイツの元大統領ワイツゼッカーが「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」と述べた発言が立派だという主張がなされているが、粘着性の極めて強い中韓の民族性から言ってこの程度の抽象的な表現で済めば世話はない。

ナチスのホロコーストによって、730万のユダヤ人のうち570万(人口の78%)が犠牲になっており、ナチスドイツが犯した日本とはスケールの全く異なる残虐行為が、この程度のレトリックで感銘を呼ぶのはヨーロッパであるからだ。

隣人にも良き隣人と悪しき隣人があるのだ。
ドイツ首相メルケルが「隣人に恵まれた」と漏らしているとおりだ。
日本では何度首相談話を出しても中韓両国はこれを政治的な日本叩きに使用するのであって、お経のように3点セットに言及しても意味がない。
ここらで離脱するのは正解であろう。