堺の豪商屋敷跡からベトナムチャンパ(占城)王国産四耳壺
2015.3.17 16:06更新
朱印船で伝来? 堺の豪商屋敷跡からベトナム産四耳壺
ベトナム中南部産の施釉四耳壺の破片。肩の部分には蓋をひもで固定するための4つの把手がついていた
中世に豪商の屋敷が軒を連ねた堺市堺区の環濠都市遺跡から出土した陶磁器の破片が、17世紀のベトナム中南部産の「施釉四耳壺(せゆうしじこう)」の一部であることを日本で初めて確認したと、堺市博物館が17日発表した。同館では「朱印船貿易で当時のベトナム中南部を治めていたチャンパ(占城)王国に日本から渡航したとの文献があり、これを裏付ける史料になる可能性がある」としている。
口縁部から底までの17片。口径約17センチ、高さ約34センチの壺と推定される。平成24年の出土当時は中国産と考えられていたが、施釉後に割花文などを彫り、肩部に4つの把手をつけるなどベトナム中南部の壺の特徴を備えていることが国内外専門家の鑑定で判明した。
糖蜜や香木などを商船で運搬する際の容器に用いられたとされ、同様の壺はアジア各地の海から引き揚げられるという。
出土した場所は豪商の屋敷が集まっていた現在の大小路通沿いで、大坂夏の陣の前哨戦で被災した慶長20(1615)年の焼土層。ほかにも朝鮮半島やミャンマー、中国の陶磁など海外からの伝来品が多数出土している。
鎖国(1639年~)前の慶長年間(1596~1615年)ごろは、日本から朱印船がベトナム中南部のチャンパへ渡航した時代。徳川家康は1606年にチャンパ国王宛に親書を送り香木を懇求。長崎奉行の長谷川藤広も1611年に書簡を送り、伽羅(きゃら)などの香木が出島に届いたとの記録がある。
一方、ベトナムでは13~15世紀のチャンパの窯跡などは確認されており、日本では15世紀の皿が福岡県太宰府市で出土しているだけ。15世紀以降、国域が縮小してからの陶磁については研究が進んでいないという。
昭和女子大学の菊池誠一教授(東南アジア考古学会会長)は「日本とベトナム中南部との朱印船貿易時代の実際の行き来を物語る貴重な物的資料。当時の堺には世界のものが集まり世界と広くつながっていたということを示している」と話している。
施釉四耳壺は堺市博物館で21日から4月19日まで開催される企画展で展示される。月曜日休館。入館料大人200円など。
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