お寒い日中韓の「言論の自由」
お寒い日中韓の「言論の自由」
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櫻井よし子
イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したフランスの政治週刊紙シャルリー・エブド」をめぐる言論、表現の自由の戦いの激しさに、私たちは何を読み取るべきだろうか。
事件は1月7日に発生。シャルリー・エブド襲撃で風刺画家5人を含むジャーナリスト8人、全体で12人が殺害された。
11日には、パリで120万人を超える人々が、フランス全土で370万人が追悼大行進に参加した。オランド仏大統領を中心にメルケル独首相、キャメロン英首相など欧州連合首脳に加えて、ウクライナ大統領とロシア外相、イスラエル首相とパレスチナ自治政府議長などが、政治的立場を超えて腕を組み、横一列に並んでゆっくりと歩みを進め、強い連帯を示した。
編集出版を担う主要人物を失ったにもかかわらず、シャルリー・エブドは襲撃後初の号の発行部数を通常の6万部から、AFP通信によると、300万部へと大幅に増やした。
シャルリー・エブドには、フランスの左派系新聞「リベラシオン」が編集作業用のスペースを用意し、主要紙の「ルモンド」もテレビ局もフランス政府もおのおのの形で支援を提供した。
フランス全体、そして世界が、言論、表現の自由へのいかなる弾圧も挑戦も許さないという立場で団結したのだ。
フランス革命は自由、人権、平等をうたった血の革命だったが、血の襲撃に直面して、大増刷し、しかもその最新号にはまたもムハンマドの風刺画を掲載するという、この不屈かつ大胆な反撃の精神はどこから生まれるのか。
明治大学教授の鹿島茂氏が1月12日の「読売新聞」にフランス革命の最大の敵はカトリック教会だったとして、「平和の第一原理は非宗教性(政教分離)にある。公の場に宗教は全く持ち込まない。シャルリー・エブドのイスラム教を含む宗教 批判はその伝統に沿っている」と解説していた。
宗教を含めてあらゆる価値観からの自由を求めた革命は、農民暴動、王の処刑、独裁政権と恐怖政治などを巻き起こしながら、10年間続いた。このような歴史 を持つフランスのいかなる宗教をも公然と風刺し、批判する価値観は、ムハンマドを 聖なる預言者として一切の批判を許さないイスラム過激派と折り合うことはないだろう。
イスラム過激派からの血の襲撃は再び三たび起こり得るということだ。この状況下でシャルリー・エブドは立ち上がった。つまり、彼ら、そして彼らを支援す るフランスのメディアおよびフランス政府の側には、文字通り、命懸けで自由を守ろ うという決意があるということだ。
フランスでの様子を見ながら、私は日本と中韓両国における言論、表現の自由について考えざるを得なかった。中国が一党支配の下で言論、表現の自由を締め 付け続けているのは周知のことだ。人間の自由を認めない遅れた国に対しては、こち らも覚悟を持って彼らの情報、謀略戦に対処するしかない。
韓国は民主主義国だと主張しながら、「産経新聞」前ソウル支局長、加藤達也氏の出国禁止措置をまたしても3カ月延長した。朴槿恵大統領の狭量と韓国司法 界の思想的偏りの結果だと考えてよいだろう。
しかし、日本でも随分おかしなことが起きている。「朝日新聞」の元記者、植村隆氏が、慰安婦報道に関して名誉を毀損されたとして、西岡力氏と文藝春秋社 を訴えたことだ。
かつて植村氏は元慰安婦のテープを入手し、スクープ報道した。それを批判した西岡氏も文春も再三、氏に取材を申し込んだが、氏は応じることなく司法に訴 えた。氏は元記者で言論人である。言論人なら言論の自由の原則に沿って堂々と反論 すればよい。それを司法に訴えるのは、自ら言論の自由を規制するものでしかない。
『週刊ダイヤモンド』 2015年1月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1068
(採録:久保田 康文)
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キューバと台湾の重要性
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Andy Chang
オバマがキューバと国交を回復すると発表したあと、議会に於ける一般教書演説で50年も国交断絶していたキューバと国交を回復したと見得を切った。オバマは歴史的業績を残すためキューバ国交回復を急いだとメディアは書いた。
ケネディ大統領は、1962年の対キューバ禁輸を発表する数時間前に秘書に命じて1200本のキューバ葉巻を買った。オバマもキューバ葉巻が欲しいから国交回復を急いだのかと皮肉を言う人もいる。今のところ国民の関心は薄いがそろそろ批判や反対論も出ている。
1月24日、Josh Gelernterという評論家がNational Review Online に「キューバと台湾」と言う論文を寄せて、オバマがキューバに友好的態度を示すなら台湾と国交回復したほうが価値があると書いた。
この論文は台湾人の間で大いに歓迎されている。だが国交を樹立するには台湾が国として認められるのが先決である。
●国交回復の価値、台湾
米国が中華民国と国交断絶したのは1978年である。国交を断絶したカーターに対し、翌年4月に国会が台湾関係法(Taiwan Relations Act、TRA)を作って1月1日発効とした。
そのときから米国は中華民国を認めないが「台湾統治当局」をタイワンと呼んで政経関係を維持する曖昧な関係となった。大使館ではなく美国在台協
会(AIT、AmericanInstitute in Taiwan)と呼ぶオフィスを作った。
アメリカは現状を維持する政治団体が中華民国でも(中華民国を倒した)新政権でも「統治当局」であれば構わない。
米国に対する政治、軍事、経済的価値は、キューバと台湾では比べ物ならない、台湾のほうがはるかに重要である。しかしアメリカは中国を国交を始め、中国の主張した「三つのノー」(台湾独立反対、二つの中国もしくは一中一台に反対、台湾の国際組織への加入に反対)に「承認しないが反対もしない」立場を維持している。つまり米国は中国と対立することを避けている。
アメリカは「三つのノー」を認めないと言う立場を取ることが出来るが、中国に対し強い立場を主張することを避けている。アメリカが対立を避ける原因は三つある。第一は中国が一つは中国が世界最大の米国の国債保有国であること。中国が米国国債を放出すれば世界的な経済戦争となり、被害を受けるのはアメリカだけではないしどんな弊害が起きるかもわからない。
第二にオバマは口先でアジア回帰を唱えても実際には世界各地から兵力を撤退している事実。第三にアメリカ国民の厭戦気分である。
つまり台湾はアメリカにとって経済的、政治的、軍事的に最重要であるにも拘らず、現状維持を続けることがオバマの政策だから、政権交代が起きない限り「三つのノー」に反対してタイワンを国として認めることはない。
台湾人はアメリカが独立を援助してくれることを願っているが、中華民国の代わりになる台湾国がなければ米国が台湾国を認めることはない。台湾国の樹立が先決である。
●国交回復の価値、キューバ
キューバと国交回復でアメリカが得る利益とは第一に米国国内のラテン系移民が民主党に好感をもち、2016年の大統領選挙で民主党に投票する可能性が増えること、第二にオバマ就任以来冷え切っている中南米諸国の反米感情を緩和すること、この二つである。
国交回復で得をするのはキューバの方で、アメリカの資本投入が自由化されれば農業はもちろん、自動車産業やエレクトロニクス産業、製衣業などが投資してキューバ経済は短期間に改善するだろう。但し政治的にキューバは共産主義でロシアと中国の影響が強いから、アメリカと政治政策上の衝突もありうるし、ロシアや中国がアメリカの資本主義的影響を黙視することもない。
●キューバと台湾の将来
アメリカに住むキューバ移民の大半はキューバから脱出した反カストロである。オバマがキューバと国交回復して彼らは困惑している。
キューバ移民が自由に故郷に帰ることが出来るのはよいが彼らは共産キューバには絶対反対だ。長期的にみてキューバ政権がどのように変わるかが彼らの態度を決めることになる。キューバ政権が共産主義から資本主義に変身するには時間がかかる。
キューバが共産主義になったのはアメリカ資本がキューバ経済を左右しアメリカ資本の覇権に反対したからであった。国交を回復してもアメリカ覇権侵略を忘れたわけではない。しかし共産主義は失敗であったのも事実だからキューバがどのように変わるかは賢明なリーダーが必要だ。
中国は共産主義国家だったが、トウ小平が資本主義経済を導入しながら共産主義のレッテルを維持してきた。そして中国が金持ちになると国内では汚職と恐ろしい環境汚染が起き、対外的に覇権拡張を続け、世界各国が嫌悪する国になった。キューバは中国を「前車の鑑」とするか、中国のように腐敗した国になるか。
台湾の将来はどうなるか。2ヶ月前の選挙で中国人を含めた台湾住民は腐敗した国民党と中国の侵略に反対を表明した。台湾住民は中国の覇権に反対し、統一主張は殆どなくなった。台湾は中国の領土ではない、台湾と中国は違うという主張が明らかになったが、台湾が独立国になるには中国の圧力と中華民国が邪魔である。
アメリカにとってはキューバよりも台湾問題が大切である。アメリカはキューバと国交回復したが台湾問題は放置したままである。第二次世界大戦が終わってから70年経つ。アメリカは台湾問題を直視すべきであったし、今からでも直視すべきである。
アメリカが今すぐに出来ること、それは中国の「三つのノー」に同意しないと発表することである。中国の主張は台湾人の主張ではない、米国は同意しないと発表すれば台湾人独自の政権樹立を援助できるのである。(在米台湾人地球物理学者)
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西側とシリアは手打ちすべき
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平井 修一
アルアハラム政治戦略研究所研究員 モハメド・ファイエズ氏へのインタ
ビュー「イスラム国への攻撃 シリアで合意し集中作戦を」(世界日報
1/24)から。
<――イスラム諸国は、いかにして、イスラム国からの脅威を避け、「イス
ラム国」を滅ぼし得るか。
イスラム国からの脅威を避ける方法はたくさんある。まず重要なのは、そ
れぞれの国家が、お互い強くなることだ。どうしてイスラム国が主にシリ
アとイラクで行動しているのか。それはそれらの国がとても弱いからで、
彼らはエジプトでは働けない、なぜなら、国家がとても強いからだ。
サウジアラビアも同様、国家がまだ強い。だから第一条件は、国家を強く
することだ。
私が思うに、中東地域においては、サウジやエジプト、ヨルダンがお互い
協力し合い、シリアを危機から救い、イラクをもまた助けアフガニスタン
も助けるべきだ。
――欧州連合(EU)はイスラム国壊滅に向けどうすべきか。
私は、EUはシリア危機に対する彼らの政策を再考することが最初にやるべ
きステップだと思う。彼らのシリアでのゴールを定めるべきだ。もし彼ら
がイスラム国打倒と(シリアの)アサド政権打倒を二つとも実現したいの
なら、これは難しい。二つの目標は異なっているからだ。
もし彼らがシリア国家を維持しイスラム国打倒を優先したいなら、シリア
の政治的解決を推し進め、危機を脱すべきだ。少なくともアサド政権を受
け入れ、未来のロードマップを、別の政権からではなく、アサド政権から
スタートさせるべきだ。その後イスラム国を破壊すべきだ。
EUは、アサド政権の存続を受け入れるべきだと思う。EUと米国は同様の利
益を共有しており、米国の決断がより重要だと思う。アサド政権とイラ
ン、ロシア、中国、米国、EUが同じテーブルに集まり、将来についての
ロードマップを決めるべきだ。アラブの春以降のアサド政権を受け入れね
ばならないということだ。
この2年間で彼らは何を達成したのか。この(シリアの)アラブの春は、
米国とEUとカタールによってバックアップされたが、何も達成していない。
しかしながら、エジプトの場合は、西側や他の国家によってバックアップ
されたわけではなく、国民によってバックアップされ、成功した。
我々は強い国家を持たねばならない、ということだ。だから、国家は非常
に重要だ。だからシリアの人々は他のアラブ諸国から助けを得なければな
らない。民主主義国家に導くための政権交代は必要ではない。政変は目標
そのものではないのだ。
(聞き手=カイロ・鈴木眞吉)>(以上)
西側世界はアサド=悪、反アサド=アラブの春=善とレッテルを貼ってし
まったことが混乱に油を注ぎ、結果的にイスラム国というエボラを産んで
しまった。
今の最優先課題はイスラム国の殲滅であり、そのためには西側はアサド政
権を受け入れるしかない。
<一般にシリアは前大統領ハーフィズ・アル=アサド時代のイメージから
大統領による個人独裁国家であるとみなされる事が多いが、(息子であ
る)現大統領バッシャール・アル=アサドの就任以降は絶大な大統領権限
は行使されず、その内実は大統領や党・軍・治安機関幹部による集団指導
体制であり、より厳密には個人独裁ではなくバアス党(及び衛星政党)に
よる一党独裁である。
バッシャール・アル=アサドは大統領就任当初には、民主化も含む政治改
革を訴えて、腐敗官僚の一掃、政治犯釈放、欧米との関係改善などを行
い、シリア国内の改革派はバッシャールの政策を「ダマスカスの春」と呼
んだ。
改革では反汚職キャンペーンなどの面で多少の成果があったものの、基本
的には、改革に反対するバアス党内の守旧派や軍部の抵抗で思うように進
展せず、また2003年のイラク戦争でアメリカ軍の圧倒的な軍事力で隣国の
同じバアス党政権のサッダーム・フセイン体制がわずか1ヶ月足らずで武
力で崩壊させられた。
これを受けて、以後、一転して体制の引き締め政策が行われ、デモ活動や
集会の禁止、民主活動家の逮捕・禁固刑判決、言論統制の強化、移動の自
由制限など、民主化とは逆行する道を歩む。
いわゆる「色の革命」といわれる民主化運動により、時の強権的政権が
次々と転覆したことに脅威を覚えたからだと見られている>(ウィキ)
「昨日の敵は今日の友」。まさに箴言だ。
日露戦争(1904-1905)の後には日露は秘密軍事同盟(1907-1916)を結
び、対独戦連合国としての義務を果たして日本はロシアに射撃用武器、砲
弾用武器、弾薬、軍装品、医療品の大型供給を行なっていた。プーチン大
帝の「ロシアの声」から。
<これは100年前の話だ。1914年8月4日、つまり第1世界大戦開始後、日本
企業の数人の代表者らはロシアに日本製の武器、弾薬の供給の提案を行っ
ている。
それでもロシアは日本の提案を受け入れた。というのも、軍事行為を開始
するとすぐに、ロシアの司令部は戦争までに備蓄された分では足りないこ
とがわかったからだ。
こうしたわけで軍の買い付けのための一連の代表団が日本へと送られ、
「有坂銃」(村田銃系列の後継)とそれ用の薬莢、火薬、大砲、医薬品、
外套、靴が購入された。
ロシアの砲兵らは日本製の大砲が軽量で使用しやすく、射撃速度が速いと
評価していた。有坂銃は信頼性が高く、これに類似した米国製の銃の半額
でロシアは買い付けることができた。
日本には、米英仏露がドイツを壊滅して第1次世界大戦を終わらせた後、
ロシアが反日的な方向性をとるのではないかと憂慮があった。『ロシアと
日本、忘れらさられた連合国』の著者パヴロフ氏は、この危険性を、日本
はロシアとの軍事技術協力という方法で退けようともしていたのではない
かと語る。
だが1917年の社会主義革命でロシアではこの計画に修正が加えられた。ボ
リシェビキが露日合意のテキストを発表し、日本がロシア極東に軍を進駐
させた(シベリア出兵)ことで、実り多き露日の軍事技術協力関係の時期
は決定的に終焉を迎えたのである>(以上)
1916年には革命危機に陥った帝政ロシアを救うため、日本は赤字で大量の
武器をロシアに供与して、日本の財政にストレスがかかるほどだったという。
情勢や事情が変われば昨日の敵と握手する。節操がないが、リアリズム、
地政学とは、勝つためには何でもするのだ。西側もシリアも手打ちしてイ
スラム国殲滅へ共同歩調を取るべきである。(2015/1/24)