つづきが読みたいけど朝日新聞はウソつき&しらばっくれ新聞だからイヤ | 日本のお姉さん

つづきが読みたいけど朝日新聞はウソつき&しらばっくれ新聞だからイヤ

さよならキリシタン官兵衛さん
広瀬 集
(2014/12/16)
【当時の記事】
「天主教徒としての黒田如水」の記事全体。赤い部分が今回の記事
▲清正の仏教と如水の天主教
加藤清正は如水の交友にして相携へて朝鮮征伐に従軍せしが清正は仏教に熱心にして深く天主教を嫌ひ宣教師及び其信徒を悪みたりき
故に関ケ原の戦役後加藤氏は宇土城に小西行長を撃ちて其城を奪ひたりしが城中に宣教師二人あるを見て之をも殺さんとせしに黒田氏之を聴きて清正を慰諭し之を長崎まで送還せり
加之此以後宣教師等の清正の領地内に入りて自由に伝道することを許諾するの約をも成さしめたりき 其時清正は如水に向って曰く 吾れ小西行長と隙あり為に引いて天主教をも
疎外したるが敢て宗教其物を悪みたるにあらずと 又関ケ原の戦局を終りたる時如水は其の子長政に命じて天主教信者たる諸士にして敗衂せしもの若し福岡に来り投ずることあらば宜く之を好遇すべしと謂へり 其亡士中には明石守
重、毛利秀包の長子某等ありたり 斯くの如く誠実と熱信を以て教会其他の保護に任じたるが故に公臨終に際しては上下衆庶哀哭措くことを知らず恰も考妣を喪するが如く深憂に沈みたりと云ふ 于時慶長八年なり
▲如水公の送葬 当時の宣教師の説くところに由れば如水公の屍体は之を故国に送還し宣教師等護衛にて筑前博多まで追随し同地に於て新に聖堂を建てて其中に埋葬し盛大慎重なる儀式を執行したりき 但し此事は公が薨去の前
に於て長政に遺命し建築費として金一千枚を寄附し置きたるなり(横浜天主公教会にて朝香薫)
(1909〈明治42〉年3月29日付 東京朝日 朝刊3面)
【解説】
衆院選に押される形で、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の最終回の放送が1週間延期され、21日になりました。キリシタンとしての黒田官兵衛を紹介する明治期の記事をとりあげた、この昔の新聞点検隊・官兵衛シリーズも、ドラマ最終回を受けて終わり、の予定だったのですが……。
今回は、最終回と重なるであろう晩年部分を最後に取り上げています。急なことで、ネタバレになってしまう恐れもありますが、ご容赦ください。前回は、1580年代が舞台でした。まずその後の経過をざっと説明します。…「続きはログイン・ご購入後に読めます」
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