あと10~20年でネット世論と選挙結果が近似してくる。 | 日本のお姉さん

あと10~20年でネット世論と選挙結果が近似してくる。

烏賀陽弘道の時事日想:「ネット世論」を分析しても、選挙の結果は“逆”になる理由
衆議院選挙の投票があり、与党(自民党・公明党)の大勝という結果に終わった。大方の予想どおりとも言えるが、筆者の烏賀陽氏はネット上に飛び交う意見を見ていて、あることに気づいたという。それは……。
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]
烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール:
フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。
12月14日に衆議院選挙の投票があり、ご存じのとおり、与党(自民党・公明党)の大勝という結果に終わった。私にとっては予想通りだった。多少勝ちすぎじゃないかと思うほど獲得議席が多いことを除けば、まあこんなものだろうと事前に考えた通りだ。なぜかというと、私が見ている「ネット世論」がその反対(自民党の退潮あるいは敗北)を希望あるいは予測していたからである。
私は「国政や都道府県政選挙など規模の大きな選挙では、結果はネット世論とは反対の結果になる」と考えている。あるいは、少なくともネット世論とは違う結果になる。いずれにせよ、ネット世論は選挙結果の予測には当てにならないし、使えない。なぜなら、選挙は老人(高齢者)層の意見表出のマスメディアであり、ネットは非老人層のメディアだからである。もっとはっきり言ってしまえば、ネットは「非老人」「都市部」「中高層所得者」のためのマスメディアである。身も蓋(ふた)もない話で恐縮だが、今回はそんな話を書こうと思う。
私が「ネット世論は選挙結果にまったく反映しないどころか、むしろネット世論の逆が選挙結果になるのではないか」と考え始めたのは、2012年12月の総選挙である。安倍晋三率いる自民党が大勝して政権を奪回し、民主党を下野させたあの選挙である。その年の6月に民主党・野田内閣が大飯原発(福井県)の再稼働を発表したのを契機に、国会・首相官邸前には毎週金曜日のデモが盛り上がっていた。
TwitterやFacebookなどSNSには「官邸前デモに行こう」という誘いや呼びかけが飛び交い、普段はデモなど縁のないサラリーマンや主婦も「俺も行った」「私も行った」と表明が相次いでいた。チュニジアからリビア、エジプトなどで長期独裁政権を倒してジャスミン革命をまねた「あじさい革命」という言葉まで流れていた。ネットだけ見ていると、明日にも日本には民衆蜂起か革命が起きて政権が崩壊するんじゃないかという騒ぎだった。
同じ2012年の12月に野田内閣が「近いうち解散」をした衆議院選挙の投票日、東京都心の投票所に行ってみた。いつもガラガラの投票所に、長蛇の列ができていた。その列から人々がスマホで行列の写真を撮り、またTwitterやFacebookに流していた。携帯電話で「すごい行列だぞ。お前も投票に来い」と友だちや家族に呼びかけていた。何かと懐疑的な私も「もしかしたら原発推進の流れだけは変わるかもしれない」と一瞬思った。
流入する情報をパーソナライズ
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ネット内の言論や温度を信じてしまうと……
しかし、結果は真逆だった。自民党は大勝して与党に返り咲いた。民主党の大物や有名議員がコテンパンに敗北して消えた。反原発を唱えた政党(社民党など)に至っては消滅寸前になった。私もびっくりした。ネット内の言論や温度と、あまりに反対になったからだ。
驚いたのは私一人ではなかったようだ。ネットにはその落差を何とか説明しようとしたのか「得票集計が操作されている」「マスコミが自民党に買収されている」「マスコミ報道が偏向している」と各種の陰謀説が飛び交った。
ネット(特にSNS)ユーザーには「似たような意見や価値観の持ち主との交流や意見交換を好む」「その結果、意見や行動は均質化・急進化する」傾向があることは、前回、前々回の本欄で書いた。私がそう確信したのも、この2012年12月の総選挙の時だ。
私が「もしかすると原発推進の流れが変わるかもしれない」と錯覚したのは、「たまたま、そういう意見の持ち主ばかりをネット上で見ていたから」だと気づいたからだ。特にTwitterやFacebookといったSNSでは「誰の情報が流れてくるか」を自分で選ぶ、つまり流入する情報をパーソナライズすることができる。いくらランダムに選んでいるつもりでも、似た価値観の人たちからの言論がSNSのタイムライン上に流れる「傾向」ができていたのだ。
そもそもネットは、日本の全社会を代表できるマスメディアではない。使用者にはっきりとした「偏り」がまだ残っている。1998年から2008年の10年間で普及率2~30%の「少数派」から70~80%の「多数派」に転じたとはいえ、注意しないと、この普及の伸びの急激さに目を奪われ、非ネットユーザーの巨大さを忘れがちになる。
有権者数だけで2.95倍の開き
論より証拠。まずは単純な数字をお見せしよう。そもそも、ネットはどの年齢層に普及しているのか。総務省の統計(2011年末)から引用する。
20-29歳 97.9%
30-39歳 95.8%
40-49歳 94.9%
50-59歳 86.1%
60-64歳 73.9%
65-69歳 60.9%
70-79歳 42.6%
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(出典:総務省)
大方の予想通り、20~49歳で普及率はほぼ飽和している。が、60歳を過ぎるとがくんと下がる。ネットは「20~50歳代のマスメディア」と考えられる。非老人のメディアと呼ぼう。
一方、投票率となると、この年齢との相関関係が反転してしまう。やはり総務省の統計から(2012年衆議院選挙、PDF)。
20-29歳 37.89%
30-39歳 50.10%
40-49歳 59.38%
50-59歳 68.02%
60-69歳 74.93%
70歳以上 63.30%
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投票では、60歳以上の4分の3が投票に行くのに、20-29歳は60%強が行かない。20歳代と比べると、60歳代は約2倍投票に行く率が高い、ということになる。
これだけでも大差なのだが、さらに選挙では大差が開く。日本は「若者が少なくなり、高齢者が多い」という「少子高齢化」の人口ピラミッド構造を持っているからだ。話を単純化するために、例として公益法人「明るい選挙推進協会」が全国の186選挙区(2012年衆議院選挙。総有権者数41万3368人)を抽出した調査を使おう。最も投票率が高い60歳代と、最も低い20歳代を比較してみると、有権者数だけですでに2.95倍の開きがある(ちなみに、選挙区の有権者数による一票の格差では2.3倍で最高裁が違憲判決を出している)。
20-29歳 2万4881人
60-69歳 7万3329人
これに投票率をかけてみる。つまり「実際に投票に行った人数」である。約5倍と、さらに差が開く。
20-29歳 1万1024人
60-69歳 5万4949人
選挙は老人のマスメディア
選挙は老人のマスメディア
つまり、まとめていうと「老人は選挙は行くが、ネットはやらない」「非老人はネットはやるが、選挙は行かない」とうことになる。さらにもっと単純化していうと「老人はネットではなく選挙で政治意志を表明する」「非老人は選挙ではなくネットで政治意志を表明する」ということになるだろうか。
すなわち選挙とは「投票所に足を運び、紙に鉛筆で候補者名を書き、投票箱に入れる」という究極のアナログ作業で意思を伝えるマスメディアだといえるのではないか。言うなら「選挙は老人のマスメディア」である。
こうして精査すると「ネットを使う人たち」と「投票に行く人たち」はまったく別のグループと考えたほうが賢明だという結論になる。少なくとも、選挙に行く人たちの大半は、ネットの外にいると考えるべきだろう。これも乱暴な数字だが、比較のために先ほどの「明るい選挙推進協会」の数字を使って比較すると、有権者数の比率は
20~59歳:60歳以上=3:2=24万9313人:16万4055人
である。「ネットを使う人が少数派である年齢層」のほうが有権者の40%を占めている、というのが現実なのだ。
蛇足だが、政治家からすれば「投票に行かない若者の利益になる政策を実行するより、投票に行く老人の利益になる政策を実行したほうが集票上は能率がよい」ということになる。先ほどの協会の数字でいえば、若者のために「20歳代の賃金を1万円アップします」という政策を作って20歳代の有権者の得票を全部得たとしても、1万1024票にしかならない。
一方、老人のために「年金を1万円アップします」という政策を作って60歳代全員の票を得ると5万4949票が稼げる。つまり5倍効率がよい。裏返していうと、選挙にかける資源(金銭や時間、労力など)や候補者の人的資質がまったく同じであると仮定するなら、老人の利益になる公約を掲げると、若者の利益になる公約を掲げるより、5倍当選しやすいということになる。「投票に行かない若者にウケる政策を掲げても、票にならない」という政治家の話は実際に聞いたことがあるので、あながち当て推量でもない。
自民党支持者はネットに縁遠い
だからと言って「若者が投票に行かないのが悪い」というのは結論を急ぎすぎである。ゆえに「投票に行くよう意識を変えよう」「若者が政治に関心を持つようにしよう」というのも、おめでたいファンタジーにすぎない。元々の有権者数が3倍も違うのである。もし「若者VS. 老人多数決決戦」というのを日本でやったら、若者は完敗するのだ。こ
れは少子高齢化という「先進国病」(欧米など経済発展が円熟した国はどこも少子高齢化した)の症状であって、人口ピラミッドだけは大規模な移民を認めない限り修正ができない。
かくして「老人受けする政策ばかり実行」→「若者は見捨てられ、経済的・精神的に疲弊」→「選挙に行かない」→「政治家は選挙では能率のよい老人を狙う」→最初に戻る。「老人大国化」の単純再生産のサイクルに入ってしまうと、国政はますます停滞するだろう。
なお、念のために付け加えておくと、ネットユーザーには「非老人」「都市住民」「非低所得者」という3つの大きな特徴がある(本稿では議論を単純にするため年齢だけを考察した)。これを裏返して「老人」「非都市住民」「低所得者」とすると、自民党の支持層になる。すなわち自民党支持者はネットに縁遠いとざっぱくに考えておいたほうがよいだろう。つまりネット世論だけ見ていると、自民党支持の動きはまるごと外側になり、視野から落ちてしまう。
では、いつになったらネット世論と選挙結果が近似してくるのだろうか。これも身も蓋もない話で恐縮だが、「現在の老人層が自然減したら」つまり「死んで減ったら」そうなる可能性が高い。現在の65歳あたりを境界にネット普及率が崖を落ちるように急減する事実から推測すると、65歳以上の諸先輩方がご逝去されるころ、あと10~20年でネット世論と選挙結果が近似してくる。そのころになれば、ネット選挙ももう少し進んでいるかもしれない。日本の社会変革が起きるとするならば、このへんが起点になるのではないか。これでも楽観的なシナリオだが。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1412/16/news025.html