映画「ノアー約束の舟」(ネタばれあり) | 日本のお姉さん

映画「ノアー約束の舟」(ネタばれあり)

クリスチャンの目で観た映画「ノアー約束の舟」
~~~~
まず、この映画は聖書からずれまくっているということを知ってもらいたい。
ノアは、確かに大洪水でノアと一家が救われた後、ひとりで葡萄酒を作って飲んでよっぱらい裸で寝ていたと聖書に書いてある。
ノアの息子の1人は、後ろを向いて服をかぶせたが、ノアの2人の息子は、ノアの醜態を見て笑っていた。
ノアは後でしらふになってから、そのことを知って服をかけてくれた息子を祝福したけれども、他の2人には、お前たちの子孫は常に服をかけてくれたあの子に支配される。と予告した。
葡萄酒でよっぱらっていたのは、自分たちだけ助かって辛かったからだろうと
監督はDVDのサービス映像の中で語っていた。そこからストーリーを考えていったそうだ。
そりゃあ、大勢の人間が滅びて自分たちだけ助かったってことは思い出したら辛かっただろう。
でも、わたしはノアは葡萄酒を作る余裕ができて、のんびりしていたんだと思う。
本当は、よっぱらって、裸になって寝てしまうなんてそんな自堕落な姿を息子たちに見せてはいけなかったし、息子たち2人が、賢くて優しい子に支配されるなんて予告してほしくなかった。
賢くで服をかけてくれたのは、たぶん白人系の先祖だし、笑った2人はたぶん、アジア系とアフリカ系の先祖なのでしょう。
聖書ではノアは、神様に方舟を作れとはっきり命令された。
夢でなどではなく、具体的に縦と横のサイズまで命令されている。
方舟とあるように、どこかに進む舟ではなく、
大雨に耐えれる舟なので箱型をしていたようです。
だから雰囲気としては、映画の舟のような感じだったはず。
ノアの息子たちには、ちゃんと奥さんがいた。
鳥、這うもの、動物たちは、ひとつがいではなく、7つがいずつ
ノアの命令無しに勝手にやってきて方舟に入った。
勝手にやってきて入ったところは、聖書通りでした。
動物だってつがいなのに、人間がつがいではないわけがない。
聖書ではちゃんとノアと息子たちは夫婦そろって方舟に入ったのです。
息子たちに嫁がなかったとか、そんなことはなかったのです。
映画では、ノアはむちゃくちゃ厳格な人になっちゃって、
人類は悪だから我々だけで終わるなんて言ってしまい聖書から外れている。
ノアと独身の息子たちだけ救われても
動物の世話係としての意味しかなくなる。
人間も救うつもりで、神様はノアに方舟を作るように言われたのです。
ノアの時代には、雨は降らなかった。空には雲がかかって、地球全体が
温室のように気候が良くて、しっとり潤っていい感じで
有害な宇宙線も地上に届かないのでみんな長生きだった。
大洪水の後で、空は青くなり、人間の寿命も短くなった。
大洪水の時に、樹木が洪水で流されて土砂に押しつぶされて石炭ができ
動物が押しつぶされて石油になった。
地層ができているのも、地球が水浸しになったからです。
コップに水と泥を入れてかき混ぜるときれいに層ができる。
その時に絶滅した動物も多数ある。
ノアの方舟に入っても急激な変化に耐え切れず絶滅した巨獣もいる。
ノアの方舟に入らせてもらえなかった動物もいたかもしれない。
動物たちは、神様によっておとなしく舟の中にいたのだが
映画では、薬草で眠らせている。でも、40日40夜降り続く雨の中
寝たきりで水も食料も食べずってわけにはいかないから
完全に寝たわけではないと思う。おとなしくしていただけだと思う。
聖書では、上から水が落ちてきたと書いてあるから
地球の周りにたっぷりあった水分が全部落ちたってことで、これは普通の雨ではない。
息もできないような滝のような雨だったに違いない。
世の中の人たちは、空から水が落ちるなど、今までなかったことなので
ノアと家族をさんざんバカにしたに違いない。
ノアと家族は、「方舟にはいりませんか?」と人々に勧めていたはず。
聖書では、神様が方舟のドアを閉めたと書いてある。
ノアが開けたくても一度しまったドアは開かなかったのだ。
映画では、ノアは、大勢の人々が方舟に押し寄せてくるのをしり目に
自らドアを閉めてしまっている。
聖書ではノアは、雨が止んで方舟が止まったアララテ山の上で
神様に祭壇を作って礼拝するのだけど、
そこで神様は虹を見せてくれて
「二度と水で人類を滅ぼさないと言う約束の印です。」と言われた。
映画では、神様はひとこともしゃべらず、聖書通りではなかった。
虹は出てこず、太陽がキラキラキラ~と虹色に変な風に何度も光っただけだった。
あれは、虹とは言わない。
映画のノアはすごい偏屈だった。
奥さん役と息子の嫁役は難しい演技をよくこなしていた。ノアはあんな嫌なヤツじゃないやと思った。
ノアは、明るくて真面目で、前向きな人だ。そうでなければ、方舟なんか作るはずがない。
そして気が抜けて葡萄酒を作って酔っぱらうような人だった。
映画自体は、アベルを殺したカインが出てきたり、ノアのおじいさんが出てきたり、ノアの息子が奥さんになるはずの人を方舟に連れてこれなかったり事件の連続。
滅びなければいけない人類も本当に悪そう。滅びて当然だと思うほどだった。
そして映画ではノアは神様のように人類を消そうとする、許せないぐらい恐い人だった。
つい、ハリソンフォードが恐ろしい父親を演じたモスキート・コーストという映画を思い出した。
ノアは、あの親父ぐらい恐ろしかった。
鳥や這うものや動物が方舟に入っていく様子はCGだけど、いい感じにできあがっていた。
人物の設定はクリスチャンとしては、文句たらたらの映画だったが、そこらへんのホラー映画よりずっと恐ろしい親父は妙に印象に残った。
映画モスキート・コーストも怖かったがノアー約束の舟も相当恐い映画だった。
方舟に入れなかった人々が山のてっぺんにうじゃうじゃいるところなどは地獄絵図だった。
神様は、もう水では人類を裁かないけど、地球の最後には火で裁くと聖書には書いてある。
神様を生きている間に信じなかった人は自分の犯した罪の裁きを死後に地獄で受けて永遠に消えない火の池で苦しむと書いてある。
そんな苦しみに合わせないためにちゃんと救いの道が用意されている。聖書は救い主を送るという預言だらけだ。
人類を救うのは方舟ではない。神様のひとり子がこの世に人間の姿をとって来てくださったことで、聖書の預言は成就している。
罪の無い神様のひとり子が罪のある人間の身代りになるために、聖書の預言の時期に予言の土地に予言の家系できてくださり、大勢の前で十字架にかかり裁かれてくださった。
そして聖書の予言通り3日目によみがえって、500人以上の人々の前に現れて、みんなの見ている前で空に上がっていかれた。(途中で神の栄光の雲が姿を隠したと書いてある)
よみがえられたイエス・キリストは、聖書の預言の救い主はわたしのことですよと弟子たちに教えるために、40日間、あちこちで現れてくださった。
それがあるから、弟子たちはイエス・キリストを神様のひとり子だと信じて世界中に出て行って伝えたわけです。
そして今、日本のような東の果ての小さな島にまで神様の福音は伝わっている。
イエス・キリストが十字架にかかったのは、自分の罪の身代りだったと信じる者は、信じるだけで罪が赦されて永遠のいのちをもらえると神様は約束してくださっています。
ノア―約束の舟は、イエス・キリスト―約束のいのちの「預言」でもあり、「型」なのです。
信じる者は救われます。
死後の裁きの場所である地獄から救われて、神様のおられる場所である天国に行けるのです。