「キャリー」2013年 | 日本のお姉さん

「キャリー」2013年

クリスチャンの目から観たリメイク映画「キャリー」2013年
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『キャリー』(Carrie)は、2013年のアメリカ合衆国のホラー映画である。
スティーヴン・キングの1974年の同名の小説を原作としており、その3度目の映画化にしてそのリブート作品[3]である。
キャリー・ホワイトをクロエ・グレース・モレッツ、その母親のマーガレット・ホワイトをジュリアン・ムーアが演じる。
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ホラー映画は観ない主義。
ホラー映画は、悪霊(あくれい)の話だから、クリスチャンはそんなものを観る必要は無い。
だから、最初のキャリーも2回目にリメイクされたキャリーも見ていない。
ただ、ストーリーは、知っていた。不思議な力を持つ少女が学校のプロム(卒業パーティ)で 悪いクラスメートらに豚の血をかけられてしまい、一気に力を爆発させて大参事を引き起こすというものだ。

2010年公開の『キック・アス』で演じたキャラクター“ヒット・ガール”が可愛くて大好きになった。
大きくなったクロエを見たいというだけの理由でお友達の家でキャリーを鑑賞することにした。
ひとりでホラー映画は観ない。

まず、キャリーの母親は相当なクレージーである。

教会に行っている様子は無い。
キャリーの母親は、独自に家に礼拝部屋を作って
いろんな偶像とも言えるイコンをたくさん飾り、
独自の宗教を作り上げていて、
勝手に偶像を拝んでいる偶像礼拝者である。
母親は、洋裁店を営んでいるのだが、
客に苦情を言われると、なんと客に怒られながら
カウンターの下で自分の太ももに裁縫道具の目打ちまたは、ステッチリッパーを突き立てて、自分の身に傷を付けてその痛みに恍惚の表情を浮かべて客の苦情から逃れている。

完全にクレージーである。

車には、初代クリスチャンが使っていたイクソスの魚のシールを貼りつけている。
魚のマークは、ローマ時代に迫害を受けていたクリスチャンたちがお互いにクリスチャンだと
認識するときに、使ったマークだ。
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イクトゥス、イクトス、イクソス、(ichthys, ichtus、ギリシャ語: ΙΧΘΥΣ)
は、弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルである。初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いた。

今日ではジーザス・フィッシュ (Jesus Fish) やクリスチャン・フィッシュ
(Christian Fish) とも呼ばれている。
イクトゥスは、ギリシャ語で「魚」という意味だが、同時にΙΗΣΟΥΣ
ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。

古代ローマにおける用法[編集]

隠れシンボルとして次のように用いられたといわれる。まず、一人の人間が明らかにランダムな直線や曲線を砂の上に描き、その線のうち1本を円弧にする (イクトゥスの半分)。もし、もう1人が地面に線
を何本か描き足す中でイクトゥスの形を完成させれば、2人はお互いがキリスト教徒であると確認することができた。

ミラノ勅令以前のキリスト教徒は、迫害や処刑されるおそれがあったため信仰を公にすることができなかった。
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現代に生きるイクトゥス[編集]
現代では主に欧米諸国において、車のバンパー・ステッカー、Tシャツ、バッジ、ネックレスなどのアクセサリーや小物にデザインされたり、個人商店や中小企業のロゴ、パンフレット、宣伝・求人広告などに添付され、キリスト教徒であること・キリスト教理念に基づくビジネスであることを公言している。Wikipedia各国版のユーザーボックスなどでも十字架に次いで多く使用されているキリスト教シンボルである。

元来は2本線で描いた形だけだったが、形の中に十字架、ΙΧΘΥΣやJESUSなどが書かれたバリエーションがうまれている。

アスキーアートでは <>< や <')))>< や <º )))>< と表現される。
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でも、キャリーの母親はクリスチャンかどうか分からない。
完全に聖書を独自に解釈して苦しみを受けることが良いことのように勘違いしている。

そして女の子が大人になって子を産むことを嫌悪している。
だから、娘のキャリーに幼い格好をさせて、大人になったら生理が来ることも教えなかった。
実は、キャリーの母親は、未婚のまま子供を産んでいる人で、それをとても恥じている。


キャリーが大人の女性になることを嫌悪するのは、自分を嫌悪しているからだ。
キャリーにいろんな罰を与えて苦しめるのは、自分を罰したいからだ。
ようするに、若いころに好きな男といっしょに寝ていて、何もしないからと言われて安心していたら、
いつのまにか男と女の関係になってしまってキャリーを産むことになってしまったということなのだ。
しかも、その時、キャリーの母親は、好きな男と結婚前にそういうことをしてしまったことが嫌じゃなくて喜びを感じたのだが、それで自分を恥じているのだった。

映画の中で母親がそうぶつぶつつぶやいていた。

完全に、神様が与えてくれた喜びを悪だと勘違いしている。
結婚前にやってしまったのは、間違いだが、そのこと自体は神様の祝福だし
その欲望が無いと人類が滅びる。
罪とは、的外れなことをすることだ。聖書に書いてある「罪」という言葉が「的外れ」と言う意味なのだそうだ。

どういうことか知らないが、キャリーの母親は一人で自宅でキャリーを産んで
一人でキャリーを育てている。

キャリーの母親は自分を罰することが生きがいなようで、キャリーにも無理なことを言って束縛しようとする。
キャリーは、そんな母親に「神様は、喜ぶことは悪だとは言っていないわ。聖書にはそんなことは書いていないわ。」などまっとうなことを言っているが母親は聞く耳を持たない。
クレージーだから他人の言うことを聞くわけがない。母親にとってはキャリーは、快楽を求めてしまった恥ずかしい自分への罰であって、キャリーを育てることは苦行だと思っているのだ。

キャリーは、学校のシャワールームで生理を迎えてしまうが、生理とは何かを全く教えてもらっていなかったため
死んでしまうと思って必死にクラスメートに助けを求めてしまう。
クラスメートはそんなキャリーを気味悪がって生理用品をどんどん投げつける。
キャリーは、シャワールームの床に倒れて水と血と生理用品にまみれてホラー映画の一場面のような姿になってしまう。
そんな気味の悪い姿を悪いクラスメートの女の子がスマホで撮影し、ネットにアップしてしまう。

キャリーは、みんなの笑いものになってしまう。
リメイクだから今の時代に即したものになっているわけだ。
とにかく、キャリーは学校では苛められ、家では母親に支配され逃げ場所が無い。そんな時、ひょんなことからキャリーは、自分には手を使わずに物を動かす力があるということを発見して部屋で練習しだす。キャリーは今の子らしくネットでいろいろ検索して、それは超能力であって悪霊の力ではないと思うようになる。でも、母親にとっては、キャリーの奇妙な力は悪霊にとりつかれたからだとしか思えない。
クリスチャンとしては、そんな力は悪霊にとりつかれたからだとしか言えないのだが、映画では、超能力と言うことになっていて「あっけらかん」としている。
それで、キャリーが後半、すごい力を出して暴れても全然怖くないし、逆にかわいそうな被害者だとしか見えない。
この辺で怖さが半減どころか1割ぐらいに減ってしまっている。キャリーがかわいそうでかわいそうで、どうしようもない映画になってしまっている。
キャリーの母親も結局誰にも救われずに死んでしまうし、社会から見捨てられていた変人がそのまま死んでしまった感じで、どうにも救われない気持ちになった。間違って聖書を誤解して自分なりの宗教にしてしまっていたのに、誰も気が付かず、そのまま滅んでしまったという感じ。
プロムに行きたがるキャリーを無理やり止めたので、キャリーの怒りをかって酷い目に会う母親の姿もみっともなくかわいそう過ぎる。母親役の人の演技が上手いからよけいみじめったらしい。
ただ、プロムに学年一ポピュラーなハンサムガイに誘われて、キャリーがだんだん幸せそうな顔になっていく様子が痛々しくも可愛くてキュンとなってしまった。
「キャリー」は、ホラー映画じゃない。全然怖くなかった。キャリーは超能力で暴れただけだから。
つまりホラー映画としては失敗しているのではないかと思う。
クリスチャンとしては、哀れな母親に目が行ってしまった。
神様は罪を赦してくださる方なのに、自分の罪が裁かれたからキャリーを産んで苦労することになってしまったと考えているところが大間違いなのであった。

イエス・キリストが人類の罪を赦すために人となって来てくださった神様のひとり子で、十字架にかかって人類の罪の身代りとなって死んで三日目によみがえってくださったことと、
そのことを信じるだけで罪が赦されて、罪が無い神様の子供の身分となって死後も天国に行けるようにして下さるという肝心な福音が全く分かっていない。