今日の礼拝のメッセージ | 日本のお姉さん

今日の礼拝のメッセージ

今日の礼拝のメッセージは、

先週に引き続き、創世記1章からのメッセージだった。

創世記では神さまという言葉は複数形が使われているそうだ。

初めに神が天と地とを創造された。という

言葉が聖書の一番初めに書かれているのだが、

この創造されたという言葉は、単数で

書かれているそうだ。

神さまは、父、子、聖霊の三位一体の存在で、

仕事は、ひとつであるということで、

神さまは、複数だが、動詞は単数。文法の間違いではなくて

わざとそのように書かれているそうだ。


人間には理解できないことだが、、父、子、聖霊の3位で

ひとつの神さまというわけ。


その神さまが一緒に、世界を創造されたと、聖書には書いてある。


神さまの下には、霊的な存在である天使たちがいて、

彼らも神さまによる創造物なのだけど、

彼らのトップが神さまと同じように「あがめられようと」考えて

神さまに逆らった。そこで、天使ではなく、

悪魔という存在に変わった。悪魔に従った元天使たちは、

聖書では悪霊(あくれい)と呼ばれる。

悪魔と悪霊(あくれい)は、神さまの立場になって

人間から礼拝されることを熱望している。

神さまになりたかったのだから、崇拝されたいわけ。

人間は、神さまに愛される存在として創造されたが、

その人間をたぶらかして、自分を拝ませることが

悪魔と悪霊(あくれい)の願いで、

神さまを悲しませるのが目的。

大勢の人間が死後に天国に行かずに自分たちと同じ場所に

最終的に行くことが悪魔と悪霊の目標。

人間は生まれつき、心に罪をもっているので、

死後に罪を裁かれるのが定まっている。

つまり、どの人も天国に行けずに罪の結果、

死後に永遠の罰を受ける場所に行く。

はっきり言うと地獄に行って、悪魔と悪霊と同じように

永遠に苦しみを受ける。

そこで、神さまが愛するために創造された人間が全員

地獄に行くと神さまが悲しむ。悪魔と悪霊の勝利となる。

でも、神さまは人間のために、

天国へ行く方法を用意してくださった。

罪がある人間は当然、死後に捌きを受けなければ

ならないのだが、罪の無い人がひとり存在して、

その完璧な人が

人類の罪の身代わりに、神さまによって

裁かれ苦しみを受けて死んだので、

罪がある人類の裁きは神さまの側からは

終了した。


罪を犯した政治家のために、秘書が身代わりに

裁かれて刑務所に入るようなことだと言えば

わかりやすいでしょうか?

本当は罪を犯したのは政治家なのに、

罪の無い秘書が裁かれる。

ただし、秘書の場合は、政治家が罪を犯していることを

分かっていてお手伝いしているわけなので

秘書にも罪があると思う。

罪をかぶる代わりにきっと一生面倒をみてもらえる。

そういう計算が働いていると思う。


神さまは罪の無い完璧な人間を用意した。

それは、男と女の通常の生殖活動から出てきたのではない

別の方法で生まれたいのちで、

最初の人間が、罪を犯したときに、神さまが

予告してくれた救い主のことだ。

その人は、普通の人間ではありえない。

罪が無い人間など存在しないし、天使が人間の身代わりに

地獄の苦しみを自主的に受けることも

ありえない。

つまり、人間を創造した、もうひとりの神だった。

父、子、聖霊の3位の神さまの内、子である存在の神さまが

人間の子として特殊な方法で、予言の民族の予言の家系の

女性を使って人となってくださった。

それが、救い主、イエス・キリスト(人類とともにおられる

神さまである救い主の意味)だった。


イエス・キリストは、予言どおりの人生を歩まれ、

予言どおりに木に掛けられ、

予言どおりに三日目によみがえり、大勢の人々が

見守る中を天に上がられた。

聖書を読むと、イエス・キリストが空を上がっていくのを

大勢の人々が見ていると、途中で主の栄光の雲が

イエス・キリストの姿を隠したとある。

そして、天の使いが出てきて、空をポカンと見上げている

人々に向かって、「何を観ているのですか?世の終わりに、

あなた方が今日、観たのと同じような状態で、

救い主は再び来られます。」と、言ったと書いてある。


そんなバカなと思うようなことの連続だが、それから

弟子たちは、ローマ政府の恐ろしい迫害にも負けずに

どんどん、イエス・キリストの福音を世界中に伝えだした。


ローマ時代のクリスチャンに対する迫害はすさまじいものが

あったそうだ。クリスチャンは、コロセウムで見世物にされ

イエス・キリストを信じるのをやめなければ、殺すと

脅されたが、みんな賛美歌を歌いながら火に焼かれたり

ライオンに食われたりして死んでいったそうだ。


以前、立ち読みで、世界の拷問の歴史という本をちらっと

読んだが、クリスチャンの女性に対する迫害は

おぞましすぎて、読みながら気持ちが悪くなって

胸が詰まって変になってきてしまった。

結局、その本を買うのはやめた。ブログにはとうてい

書けないほどのエグさだった。


クリスチャンたちは、地下にもぐって、カタコンベという

地下の町を作って、こっそり神さまを礼拝し続けたそうだ。

今でもイタリアに行くと、その跡があるそうだ。

イタリアには、行ったことがないが、

クリスチャンたちは、命を狙われながらずっとイエス・キリストの

福音を伝え続けたので、大勢がクリスチャンに

なっていったそうだ。ローマ時代の終わりに

ローマ皇帝がクリスチャンに対する迫害をやめるまで

大変な時代があったらしい。


その福音とは、神さまが人類の罪の身代わりを立てて

罪の罰を受けさせてくださったので、誰でもそれを

信じるだけで罪が赦されて、死後に捌きを受けず、

天国に行ける身分になれるという知らせです。


悪魔と手下の悪霊(あくれい)の奴隷になって

悪魔を礼拝し、いろいろな神さまではない偶像を拝み

まじないやうらないに支配されて

積極的に神さまを無視して悪魔に従い

死後に地獄に行くしかなかった人類に、

神さまは死と裁きに勝利する道を用意してくださったのです。


ただ、これは、プレゼントなので、

受け取る意志が必要です。

バレンタインのチョコでも、受けとらねば

もらえません。