頂門の一針   ー歌織被告は「無罪」かー | 日本のお姉さん

頂門の一針   ー歌織被告は「無罪」かー

香織被告は、精神病を演じているのではないかと

思っている日本のお姉さんです。だって、

「弁護士と、心神喪失の状態だったら刑が軽くなるという

話をしたのか?」と質問されたら

「そういう話をしたというよりも、、、」などと言って

うまくはぐらかしたもん。死んだはずの夫の姿を見たとか、

声が聞こえたとか、あるはずのない公園が見えたとか

それぐらいのことは誰でも言えます。

もし、幻覚が見えたり幻聴が聞こえるのが本当なら、

そんな恐い人は一生、施設に隔離しておいてもらいたい。

次の犠牲者が出るかもしれないからだ。花瓶を人の頭の

上に落として、(打ち付けて)血が見えたらさらに

なんども叩きつけて人を殺すような凶暴な人は、一生、

一般人と隔離しておくべきではないか。犯罪者というのは、

どの人も理性や普通の感情が無くなった状態で犯罪を

犯しているのだから、そんな理由で罪が無いとされるなら、

普通の犯罪者も生まれつき理性や感情が働きにくい人だから

かわいそうだということになりませんか。ならない?

カッとして、殺したら犯罪者で、ちょっと幻覚が見えたら

犯罪者ではないなんて、納得できない。幻覚が本当に見えたか

どうかなんて、本人にしか分からないことだし、どうやって

周りの人が判断できるのかな。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~

歌織被告は「無罪」か
━━━━━━━━━━
馬場 伯明

東京都渋谷区の三橋裕輔さんの切断遺体事件で殺人と死体

損壊等の罪に問われた妻の歌織被告(33)の第9回公判が

3/10東京地裁で開かれた。

被告の精神鑑定を行った金吉晴精鑑定人(検察側)と木村一優

鑑定人(弁護側)は、尋問に対し犯行時の責任能力について共に

「心神喪失の状態だった」という鑑定結果を報告した。詐病の疑い

もないという。

裁判所がそう認定すれば刑法39条1項(心神喪失)の規定により

刑事責任を問われず無罪となる。人を殺して無罪とは・・・心が

何かすっきりしない人も多いだろう。

私は刑法についての専門家ではないが、刑法から39条を削除

すべきであると思っている。先にも述べた。(本メルマガ233号

「刑法39条の憂鬱」2005/11/7)

刑法の刑罰を科すには(1)構成要件(刑を定義した条文)に該当する。
(2)違法性がある(「違法性阻却事由:正当防衛や緊急避難等」に該
当しない)。加えて(3)(刑事)責任能力があることが要件である。

だがこの責任能力が曲者だ。近代刑法は「自由な意思を持った

理性的人間」だけを刑罰の対象とし、その他の「人間」に対しては

刑罰を課さない。

法定の罪を犯し違法性があるというだけ(!)でも、つまり「(刑事)
責任能力」がなくても、有罪とし、刑罰を科すべきであると思う。

なぜか。まず、加害と被害という客観的な事実(結果)が重要である。
国は国民から復讐権を剥奪している。国は加害者と被害者等との「結果
価値の等価交換」を冷徹に代行し実行すべきだ。これは国の責務である。

次に、心神喪失の状態であっても、人間としての尊厳を尊重する立場か
ら、人間として遇する刑罰をあえて課さなければならない。放置する
(無罪にする)ことは人間の尊厳を冒涜する行為である。

一方、心神喪失状態の人間が動物(物)と同等であるとするならば

動物と同じ処置になってもよいはずである。赤ちゃんをドラ猫が

食い殺した場合と同じ。ドラ猫は即座に処置(殺害)される

(なお、ドラ猫を殺害の手段に使ったらその責任は飼主)

日本の刑事裁判は世界の刑事裁判と比べ大きく異なる。殺人

事件裁判の傍聴経験がありますか?弁護士は被告の有罪・

無罪を争わず、殆ど端から無罪の獲得を放棄し、39条などに

より情状酌量を裁判官にお願いする。

弁護士は弁護側鑑定人と協力(共謀)し、ひたすら刑罰の軽減を

裁判官に懇願する。39条様々だ。見苦しい風景である。

その結果、日本の起訴刑事事件の有罪率は99.8%。世界に

冠たる(異常)記録である。

この背景には、長期間の逮捕・拘留、代用監獄、取り調べ時に

弁護人の立会いなし、ビデオ等による取り調べの可視化なし

など、日本の犯罪捜査が欧米諸国と比べ被疑者の人権を

軽視している現状がある。

検察の手持ち証拠(取り調べ過程を含む)の被告側(弁護人)

への開示は不十分であり、被告人に有利な証拠は検察側に

独占されたままである。

弁護士には正直戦う武器が手許にないのだ。同情はする。

それでも、諦めと怠惰に陥るのではなく、また39条という

「神頼み」に縋るのではなく、その制度の改正のために戦うべき

である。

ところで、鑑定人は歌織被告に詐病(嘘の精神病を装う)はない

という。「短期精神病性障害」という病気らしい。犯行時に(いわば

都合よく)精神に障害が起こり、その後は正常になったという。

しかし、後講釈のような理由の「病気」なんて・・・、ありか。鑑定書
の報告後、歌織被告は第10回公判(2008/3/12)で調書になかった

ことを新しく供述し始めた。

これが言いたい放題的なノリノリである。

「もうろうとしていたという言葉が私にあてはまるかわからない」
「(犯行直前に)地球上の全部のエネルギーが自分の中から込み

上がって来る感じだった」「携帯ストラップのクリーナーが巨大化

したもの・ずっと会っていなかったおばあちゃんの『幻覚』が

見えた」等(2008/3/12夕刊フジ)

「回復すれば症状は表に出ないので、被告人質問でも特に

変わったところがないように見える。その点では『都合のいい

病気』ともいえる」と日向野(ひがの)春総医師(常楽診療所長)

は指摘する。(2008/3/11産経新聞)『都合のいい病気』とは

言い得て妙である。

この事件では、父親の虐待や夫の暴力による「心的外傷後

ストレス傷害」により、歌織被告は犯行時「自分の行動を

制御する能力を失っていた」と鑑定された。

歌織被告がなぜ心神喪失に陥ったのかについては詳しく研究し

明らかにしなければならないだろう。しかし、被告の有罪・無罪

の決定のために、それは法の根源的な意味において必要・不可欠

なことではないと思う。

また、人間が人間を殺したという事実は変わらない。近代刑法で

は個人の復讐を禁じている。心神喪失で無罪になれば、

被害者・遺族は梯子を外され、癒されず、切歯扼腕の日々が

続くのである。

心神喪失という理屈で歌織被告の犯罪の成立自体が否定される

べきではない。あくまで有罪とし、情状酌量の事情の一つと

すべきである。その根拠である39条を削除する。39条がなくても

十分処理可能である。

「刑法第39条を削除する」という考えは、日本の法曹界において

圧倒的な少数意見である。それでも、私は声を大にしてなお

これを言い続けたい。

なぜならば、被害者等からは血の涙で切望されており、それが

「世間(声なき声)の常識」であり「人間の良識」であると信じる

からである。世界の刑法の趨勢が削除を認める傾向にあるという

のがわずかな救いである。(2008/3/12千葉市在住)