まやの見つけた中国の田舎出身の努力家の男性の記事
まや
今回皆様にご紹介するのは「もうすぐ卒業する学生たちへ」という文章です。
ネットの某BBS(中国語:記事末にURLを紹介)に掲載されると、あっとい
う間にほかのサイトやBBS上に転載されたそう。読みながら、いろいろと感
じさせられる文章ではないかと思います。
お世辞にも上手いとはいえない意訳なうえ、ちょっと(といいますか..かなり)
長めの文ですが、休み休み読んでいただければ幸いです。
「もうすぐ卒業する学生たちへ」
18年間奮闘してきて、やっと君と一緒にコーヒーが飲めた。
ーーーもうすぐ卒業していく学生たちにこの文章を捧げますーーー。
僕の「ホワイトカラー」の友人たち。
もしも僕が、中学校も卒業せずに上海にやって来た出稼ぎ労働者だったとした
ら、君は僕と「スターバックス」に座って一緒にコーヒーを飲めるかい?
いや、ーーーきっとできないだろうねーーー。
僕たちが成長してきた道程を比べたとき、君は気づくんだよ。君にとって容易
[たやす]く手に入れられるような物事のために、僕は巨大な努力をしないとい
けなかったって事に。
この世に生まれてきた時から、僕と君とでは天と地ほどの差があった。
なんでって?
僕は農村の戸籍しか申請できないから。そして君は、都市の戸籍なんだよね。
もしも大人になった後でも、ずっと農村の戸籍のままだとしたら、都会で就職
を見つけることなんてできないし、老後の保険も医療保険も得ることができな
い。
君はきっと僕にこう尋ねるだろうね。
「なんでまた何が何でも都会に来たい(来たかった)んだい? 農村でいいじゃ
ないか。空気は新鮮だし、都会みたいに(人や建物が)ゴミゴミしていないし」
と。
でも、農村は医療条件が整っていないんだよ。
去年のSARSの時、たった一晩で、農村の医療保険体制がこんなにも遅れて
いることに気づかされたし、物質の供給も満足なものではない。 なぜなら、
農民の稼ぐお金が少ないから、ちょっと値段のはる物は買えないから。
ーーーだから、売り手もたくさんの品物を仕入れないんだよ。
旧正月の特別番組≒日本の紅白歌合戦に近い)の演し物に出てくるカラーテレ
ビが買えるような農民なんて、ほんの一握りしかいないよ。絶対多数の農民は
最低限の生活をおくるために必死に頑張っているんだよ。
だから僕は都会に出たかった――――、自分自身の努力によって。
君が、
生まれたと同時に得ることのできた都会の戸籍を手に入れたいと思ったんだ。
大学に入ることが、村から飛び出せる唯一のチャンスだった。
だから必死に勉強した。小学校から中学に上がって、中学から高校に入って、
それから大学入試を受けて、丸木橋の上(?)で必死に戦って、まわりの同級生
たちは一人また一人と落ちこぼれていった。
目の前に広がる道は、進めば進むほど狭くなっていって、「優秀」な僕の心は
喜んでいいのか悲しんでいいのか分からなくなった――――。
激しい競争の中で、僕は気を抜くことができなくなった。学校の勉強や宿題以
外、趣味に没頭する暇もなくて、学校だって個性を伸ばすような授業なんてな
かった。高校に入学した第1日目、校長先生が僕たちに言ったこと、
「この3年間は、ひとつの目標----大学入試----しかありません!!」だから
朝から晩まで、昼も夜もかまわずに勉強した――――。
早朝5:30起床 23:30就寝。
中秋節(旧暦の8月15日)の夜だって、外灯の下で政治(学)を暗記していた。
だけど、君の進学に伴うストレスなんてごくごく僅か、競争も大して激しくな
いし、授業や宿題だって深刻じゃない。たっぷり時間を使って趣味の世界を広
げていいし、教科書以外の本を読んだっていい。
球場に行って、滝のような汗を流していいし、外に出て、青空と白い雲を堪能
してもいい。
もしも、そんなにシンドイ思いまでして大学入試を受けたくないなと思えば、
よっぽど悲惨な成績でもない限り、推薦入学の機会がもらえる。目も当てられ
ないような成績だったとしても、「片付け」られて地元の三流大学には入学で
きる。
けれど、
そんな三流大学でさえも、、僕だったら、入試でかなりの高得点を取らないと
入れないんだよ。だって、定員のほとんどは地元上海の受験生用にとってある
んだから。
僕と君のテスト用紙は同じものでも、合格ラインは同じじゃない。だけど、僕
たちが合格通知を受け取ったとき、、収める学費は同じなんだよね、、。
学費が、毎年6千元≒8万4千円。4年間に2万4千元≒33万6千円。
それに、
寮費1千5百元/年≒2万1千円。
教材費1千元/年≒1万4千円。
生活費(学食しか食べないで)4千元/年≒5万6千円。
を合計すると、
4年間で5万元≒70万円。
2003年、
上海の某大学は「新設の松江校区は環境優良」を理由に、1万元≒14万円に
まで学費を吊り上げた。これはつまり、学費だけで4年間に4万元≒56万円
が必要だってこと。これに其他を合わせると合計6万6千元≒92万4千円。
上海の家庭からすると6万6千元なんて深刻な負担でないかもしれない。だけ
ど、農村家庭にしてみれば、一生分の蓄えみたいなもんなんだよ。
僕の故郷は、東部の海辺に沿った開放省で、農業大省。西部の内陸に位置する
省と比べれば、まだ生活は比較的良いほうだけれど、それでも1年間一生懸命
働いたって、、ちょっとのお金しか残らない。
2人の子供がいる4人家族を例にしてみよう。
日常生活にかかるこまごまとした支出を除くと、毎年貯金できるお金は、最高
3千元≒4万2千円)。だとすると、学費6万6千元というのはイコール22
年分の貯金!
家族のうち、誰一人として病気にかかることはできない..というのが大前提。
もう一人の子供は、どんなに勉強ができたとしても、例外なく大学進学の権利
を剥奪される。なぜなら、家庭が捻出できるお金はこのぐらい(1年3千元)だ
けなんだから――――。
僕はまだラッキーなほうだったんだ。
あちこちからかき集めたお金と、奨学金で借りたお金を足して、やっと1年目
の学費を納めることができた。合格通知を手に握り締め、悶苦していた同級生
を目の当たりにして..本当になんともいえない気持ちだった――――。
教育ビジネスの時代、大学が募集するのは成績優秀の学生だけでなく、お金持
ちの両親――――。
願いがかなって、僕はやっと大学の中で知識という養分を得ることができた。
必死に勉強して奨学金も手にして、休みはアルバイトをして生活費を稼いだ。
1銭だって、両親のお金をもらうのは忍びなかった。ーーーその1銭は全て、
血と汗の染み込んだお金なんだから――――。
大都会の上海にやって来て、、同級生と自分を比べたときーーー自分がダサく
てしょうがないことに気づいたーーー。
ーー絵も描けないし、楽器も演奏できない。ーー台湾・香港の芸能人にも詳し
くないし、ーー武侠小説も読んだことがない、ーーMP3が何かも知らないし
「Walkman」が何なのかも知らない――――。
経営管理クラス(?)で習う「倉庫貯蔵式スーパー」という概念を理解するため
に、「Metro(大型スーパー)」を1日中見て回った。
ーーーこんなに豊富な品揃えの商品を、僕はかつて目にしたことがなかった!
パソコンに触れたことすらなかったから、半年かけて学校のパソコン教室で、
君が中学・高校で学んだパソコン基礎知識と技術を勉強した。
僕の英語は、耳の不自由な人の英語、口の聞けない人の英語。僕の発音は、中
国人も外国人もみんな聞き取れない。でも、これは僕が悪いわけじゃない..。
僕の地元には、外国人の英語教師はいなかったし、先生でさえ、正しい発音で
読めなかったんだ。どうやって、学生に正しい発音を教えられるっていうの?
ーーー基礎ができていなかったから、1年かけて発音を直すしかなかった。
大都会の同級生たちの多芸多才さが、知識の広さが、本当に羨ましかった。
僕はというと、勉強ができるだけ――――。
僕の学生時代には、ただ勉強、試験、進学しかなかった。大学に合格すれば、
君たちの中に入っていける、君たちと一緒に勉強ができる、すべてはこの目標
のため。
都会の学生たちから笑われたって我慢できる。何週間も肉や魚を食べなくたっ
ていいし、週末も、終日図書館と自習室に篭ることだってできる――――。
自習室からの帰り道、学校のダンスホールでペアになって踊っているカップル
たちを羨ましげに眺めることだってできるし、退屈で寂しい夜中は、グラウン
ドを1周、また1周と走ることもできる――――。
卒業を迎えたときに、この大都会でお金を稼いだときに、君たち都会生まれの
同世代と同じように、(戸籍を上海に移して)上海市民になってみせる。。
そして、
父と母は、僕を誇りに思うんだ。自分の息子が大都会上海で働いているって。
ーーーそして、とうとう僕は大学を卒業した。
上海で仕事を見つけるのは難しかったけれど、出身地ではさらに就職の機会は
少なかった。
ラッキーなことに、毎月2千元の給料がもらえる新卒の仕事がみつかった。
「2千元あれば十分やっていけるだろう」と、君はそう思うかもしれない。
でも、
僕は部屋の家賃を支払わなくちゃいけないし、水道代・電気代・電話代、それ
に、あと奨学金の返済がある。それから、家にお金を送って妹や弟たちを学校
に通わせたい。ーーー残ったお金は食事代に消えていく。
やっぱり僕は、君と(スタバで)コーヒーを飲むことはできない。
今の僕は、上海で碩士号を取得し、年収7~8万元≒100万~110万円)
の仕事に就いている。ーーー18年間奮闘してきて、やっと君と一緒に座って
コーヒーが飲めるようになった――――。
今ではすっかりこの国際大都市の中に溶け込んで、周りの「ホワイトカラー」
の友人たちと何の差もなくなった。
だけど僕は、どうやったって、必死に奮闘してきた、あの苦しく辛い年月を忘
れられない。かつての、(進学を諦めた)同級生と、彼らが永遠に叶うことのな
かった宿願が忘れられない――――。
だから、
こうして第一人称で、最も典型的な中小都市と、農村の子供たちの奮闘の道の
りを描写したんだ。
同じように運命と戦っている学生たちを見るたびに、ある種の重い重い責任感
のようなものがこみ上げてくる。
この文章を書いたのは、ーーー思い通りにならないからと、全てを周りのせい
にするためなんかじゃない。この世の「公平」とは相対的なものだ。これは、
恐ろしいことでもなんでもないけれど、不公平・不平等に対し見て見ぬふりを
決め込むことは何よりも恐ろしいことだ。
上海で大学院に通っていたとき、「Vinda (トイレットペーパー製造の大手)」
の経営ケースについて皆でディベートしていた時のこと、
当時すでに3年の職務経験があり、現在はある中外合資会社でボスをしている
かつての同級生がある案を出した。
「Vinda は、9億いる農民市場に向けた高級ティッシュを開発するべきだ」
彼女の大胆な提案に驚いた僕は、、こう尋ねた、、。
「もしかして、農民たちが食後、顔についた(飛び散った)油をどうやって綺麗
にしてるのか知ってるの?」
訝しげに僕を見つめる彼女に向かって、手の甲で口の両端をゴシゴシと2回拭
いて見せた・・・。
ちっとも上品でない僕の動作を見る彼女の目は、蔑み、見下していた―――。
マクロ経済学のクラスで、ある同級生が、リストラされた人たちと、学校に通
わず働きに出ている農村の子供たちを大いに批判して..こう言った。
「彼らのうち、80%は努力が足りないんだよ!若いときに専門知識を身に付
けなかったんだから。今になってリストラされたって身から出たサビだよ。
働きながら学校に通えばいいじゃないか。夏休みや冬休みに数千元稼げるっ
ていうじゃないか。学費の心配をする必要なんかあるの?」
彼は、貧困地区の農村のことを、あまりにも分かっていないんだよ。
僕は70年代半ばに生まれた。
僕と同年代の若者たちは、だんだん社会の中心的役割を果たし始めている。
僕たちのとる行動は、社会と経済の発展に影響するようになってきている。
ーーーこの文章を、恵まれた環境の中で育ってきた若い人たちと、ずっと昔に
苦労して、今ではすっかり忘れてしまった人たちにおくりますーーー。
世の中の、底辺にいる人々に注目して、世の中をもっと公平にするために、僕
たちはできる限りのことをしなくてはならないし、「社会的責任感」というこ
とを、頭の中に留めておかなくてはいけないのだ――――。
―― 原文はこのサイト ▼ から採録しました。(中国語)
http://news.xinhuanet.com/school/2005-01/25/content_2505007.htm
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まやさんに聞かずに勝手に掲載。すまん。
あまりにもこの中国人の男性の言葉がすばらしいので、
みんなに読んでもらいたくなりました。
反日を叫んで、日本と戦争したがっている中国人なんか、
決して中国を愛してなんかない。
本当に中国を愛する彼のような人間が
中国にたくさんいるという事実があるのです。
日本にはどれぐらい日本を愛する人がいるのだろう。
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