ニジェールの悲劇 | 日本のお姉さん

ニジェールの悲劇

南ニジェールの遊牧民が、ロバやラクダに乗って、あるいは歩いて


移動をする時期になった。

ツアレグ族が、牛と山羊をつれて北の牧場に向かう。

道端には、腹に砂をいっぱい詰めた、ほっそりとした角を持つ


コブのある黒いボロロ牛の屍骸が、太陽の下で腐っている。


移動で疲れ、牧草がないため、多くの群れが死んでしまったのだ。


三週間前雨季が来て、サハラ砂漠の農牧地区は、再び緑になった。


牧場を青々とした若草が覆いはじめている。



しかし遊牧民の、悲劇はすでに起きてしまった。


「雨が降ったと聞いて、遊牧民は早く来すぎたんですよ。


群れは疲れ、小さい草を食べすぎ、雌牛は砂をあまりに呑みすぎ


たので、消化機能が壊れてしまったんです。」 と、国境なき獣医は言う。

「多くの遊牧民が乾燥地帯を通過しようとして、家畜を失った。」と、


もとツアレグの教師も深刻な顔で言う。

南ニジェールの各村には、食料が無く、深刻な状況に陥っている。

ダコロを抜けると枯れた森が、異常気象を思い起こさせる。


マイラフィアの村長アリ・ブベは、「全てを失った者が、首を切ろうとしたんだ。


頭がおかしくなった者もいる。棒で木々を叩きながら、進むんだ!と、


牛を追うように、叫んでいた。」 と、語った。

彼自身も7頭の雌牛を失い、子牛が一頭残るのみだ。


穀物倉庫は空で、草の一種タバデで飢えをしのいでいる。

背が高く、ゆったりとしたターバンを巻いている500,000人のフラニ族が、


ここでキャンプを張って、ござの上か、粗末な小屋で寝ている。

彼らにとって家畜は、定住の牧畜業者同様、貯金箱だ。そのミルクで生き、


必要なときは売る。

「遊牧民は、まだ値段が高いときに売ってしまう者もいるが、


あまりにながく家畜を維持して、死なせてしまう。」

青いチュニックと黒いターバンのフラニ族の一人は言う。


「50頭の雌牛を持っていたんだが、家族を養うために20頭売った。


他は死んでしまった。2頭の雌牛と、子牛が2頭残っているだけだ。


この先?神さまに任せるだけだ。」と、語った。

待たれるのは援助を約束しているONGの到着だ。


(まぐまぐの無料メルマガ「今日のアフリカ」より抜粋。)


http://www.paleologos.com/bororo.htm ←音が出ます!ご注意ください。

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ツアレグ族は、「青の人」と呼ばれている。青い染料で染めた布の服を

来た、砂漠の遊牧民族だ。すらりとした細身の美しい人々だ。

以前、ツアレグ族を写した写真展を観たことがある。

族長の男の人が、お年だけれど野性的な感じの渋いハンサムで、

ツアレグ族が好きになった。カメラマンは有名な人だ。

サハラが好きで、砂漠の写真集も出している。

砂漠の中に点在する洞窟の中の、昔の人が描いた壁画も写真に残している。

昔は、カバがいた草原だったのだが、砂漠は年々面積を広げ、

全てを飲み込んでいる。

ツアレグ族や、フラニ族が、災難にあって苦しんでいる。

飢饉(ききん)で、穀物が無いのだ。わたしの好きな遊牧民族が苦しんでいる。

何か出来ることは無いのかなと思う。


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(2005・8・7)

カダフィー大佐は、日曜日の夜シトル(リビアの中心)で、北ニジェールのツアレグ族高官の代表団を迎えた。代表団は尊敬と感謝と敬意を大佐に伝えた。

代表団は、ツアレグ族の現状に喜びと誇りを持っていると伝え、カダフィー大佐の世界的な人類のための活動を賞賛した。

代表団の一人ユセフ・バコ氏は短い演説で、この対策は、この地域の社会的、文化的、経済的発展の問題を解く常に変化する活動の最初となるのもので北ニジェールの和平と安全を実現するために尽力をするように勧めた。

ユセフ・バコ氏はまた、国を襲った飢餓に苦しむニジェールの人達の求めに対して、貧困から抜け出し、苦痛を和らげるために取ったリビアの迅速で寛大な措置に感謝した。

ニジェールのツアレグ族の多くの武装グループを再結成したニジェール北部のアイール開放戦線の司令官モハメド・アグ・ブラが、リビアの南ウバイで7月15日、暴力をやめて話し合いに応じるように求めていたリビアのリーダーの呼びかけで武器を置いたことが思い出される。

武器の返却は、リビア、ニジェール、マリのツアレグ族の高官とカダフィー大佐の前で行われた。

(まぐまぐの無料メルマガ「今日のアフリカ」より抜粋。)