先のブログで多少誤解を生んでしまったかもしれないので、不快に思われた方すみません。
死生観は人それぞれの哲学や宗教観とかそういったものまで絡んでくるので、取り扱うのは非常にナーバスな題材だと思います。
サツキとメイ云々みたいな話?
このような感覚を持たれた方もいるようです。
残念ながらジブリ全く見ない私はトトロを見た事もないので実は全くピンときていません。
舞台「幕が上がる」を見てふと頭をよぎった解釈の一つであって、自分の中でも他にも色々な解釈があります。
ですのでもう少し好き勝手書きます 笑
なぜ、中西さんが存在しないかも?と私が考えるに至ったか。
一番の要因は中西さんがカンパネルラと重なったからだと思います。
舞台ではカンパネルラの演技と中西さんの演技の境目が私には小さく見えていました。
それはひょっとしたら中西さんがカンパネルラという役柄に入り込んでいたのかもしれません。
だからこそ強く感情移入をした中西さんは自分の経験とも重なり稽古でセリフがでなくなってしまった。
俳優はその役に入り込む事で人格が憑依することがあります。
白い巨塔で財前五郎役を演じた故・田宮二郎。
彼は現実と役柄の境界が不明瞭となり、航空機にて急病人が出て乗務員が医師を捜すと、たまたま同乗していた田宮が「医師の財前だが」と名乗り出たという逸話を思い出します。
もちろんそこまでとは言いませんが、俳優はその役を演じている時にその役に少なからず影響を受けるという話はあると思います
もしそうだとしたら、カンパネルラを演じる事でカンパネルラという役柄に影響を強く受けた中西さん、そしてその中西さんを演じた有安杏果は恐ろしく高度な演技をしていた事になります。
そして、ちょっと高度すぎて素人の私は富士ヶ丘高校演劇部そのものが銀河鉄道で中西さんはカンパネルラなのかも?という飛躍した解釈に至ったのかも。
あのラストシーンはもっとシンプルに自分に折り合いをつけた中西さんが稽古のラストシーンに間に合ったと捉えるのが自然なのかもしれません。
分からないです。やっぱり舞台「幕が上がる」は難しい 笑