舞台「幕が上がる」千秋楽の前に 続き | ももクロちゃん参戦記録

ももクロちゃん参戦記録

 アイドルグループ ももいろクローバーZを応援しています

舞台「幕が上がる」5月5日に観劇してきました。

LoGirlで夏菜子が当初あまり理解できていなかったと言っていましたが、まだきっとその時期だったのかもしれません。
でも僕なりにあの時点でこの舞台について感じたことを千秋楽を前に残しておきたいと思います。

正直なところ、僕は文学的素養は全く無い。
本も基本読まないし、舞台観劇なんかはした事も無い。
ど素人。

でもきっと舞台の解釈なんてものは十人十色でいいんだと思う。

平田オリザ氏が同じシーンを見て半分が笑っていて半分の人が泣いているような本が理想だって言っていたことを思い出します。

だから好き勝手書いていきたいと思います。

さて、この幕が上がるは3つのメディアで発表されました。

小説「幕が上がる」
映画「幕が上がる」
舞台「幕が上がる」

この3つは全く違うテーマを持っていました。

小説は高校演劇の教本のような作品だったと思います。
そこに高校生ならではの苦悩や葛藤を重ねて青春群像劇とする事でこのテーマを読みやすくした作品だったのではないでしょうか。

映画は青春映画でありアイドル映画であった思います。
小説のメインテーマはほとんど描かれていません。
むしろ小説では手段として使われた青春群像劇の部分にフォーカスを当て喜安氏の脚本で圧倒的な感動青春映画として描かれ、そして本広監督がももクロの物語を見事にオーバーラップさせる演出でアイドル映画として昇華させたマス向けの作品だったと思います。

そして、舞台。
劇中劇である銀河鉄道の夜にフォーカスを当てた作品でした。
小説では銀河鉄道の夜の脚本を書くさおりの葛藤や、ラストシーンで自らの脚本を演じる部員たちを舞台袖で見守りそこで辿り着いた彼女なりの自分の戯曲に対する解釈については描かれていましたが、映画ではそもそも殆ど描かれていない部分です。
また小説においてのさおりの解釈はとても高校生らしい等身大の解釈であって、銀河鉄道の夜においてのテーマともいえる「死」と「生」についての解釈とは全く別のものです。

舞台では「死」と「生」によりも深く踏み込んた脚本になっており、その解釈を考えさせられる構成になっていたと思います。

正直なところ、ももクロがこの脚本で演じる事に観劇後大きな違和感を感じました。
アイドルももいろクローバーZは、東北の地でライブをしても、女川町へお友達として遊びに行っても決して震災の事について直接的には触れてきませんでした。
彼女たちはその地で笑顔で元気にパフォーマンスを届けその一瞬だけでも全ての嫌な事や辛い事を忘れさせてくれる存在だったからです。
それが彼女たちのアインデンティティだと信じています。
そして、自分自身それに救われてきました。

だからこそ、この脚本をももクロが演じる事に大きな違和感を感じたんだと思います。

裏を返すともちろんこれはフィクションであり、アイドルももいろクローバーZを封印して、女優ももいろクローバーZとしての初めての挑戦だったのではないでしょうか?
そして、富士ヶ丘高校演劇部を演じる事でももクロは初めて真正面でこの「死」と「生」について対峙する事になったんだと思います。

自分自身大事な人を失い、そこで救ってくれたのは友達であり、そしてももいろクローバーZでした。
彼女たちを見ているとどんな辛い事や苦しい事でもその瞬間は忘れさせてくれました。
ももクロのライブがいつの間にか生き甲斐になり、それを楽しみにする事で日々の生活でも救われていたし、今でもそうだと思います。

でも、結局人は必ず大きな別れにぶつかり打ちひしがれる日がやってきます。
いつ突然そんな事があるかは誰にもわかりません。
だからこそそこに目を背けずそれを直視する事でもう一歩先へ進まないといけないのかもしれません。

先のブログでカンパネルラのお父さんはきっと後を追って死ぬだろうという解釈をされた方がいて、自分も同じ解釈をしたと書きました。
その方がブログで「でもきっと死ねない」って新しい記事で更新されていました。

その解釈に救われた気がします。

一方で人はそんなに簡単に死ねないですから。

自分の死生観は生きている限り何か遣り残した事があってまだそれを達成できていない。
そして「死」というの生まれてきた使命を果たしから死が訪れると解釈しています。

生まれてきて意味無い人なんていないし、赤ちゃんで死んじゃった子もそれ自体に大きなメッセージがあって必ず生きていた意味がある。
そして決して意味の無い「死」なんてない。

だから「死」はその場では悲しい事だけれどもその人が現世での使命を達成した結果だと。
そう思うことで生きていく人間が「死」を受け入れるという側面もあります。

でも結局は生きていく人間が一番ですから。

カンパネルラは最後笑顔で手を振ります。
彼は彼の使命を全うしたから、笑顔で手を振ります。

だからハッピーエンドなんです。

なんであのラストか。
銀河鉄道の夜を虚実入り乱れながら部長として見ているさおり。
そして銀河鉄道のラストシーンのあとさおりと演者が抱き合います。

ハッピーエンドだからです。
全てが。

きっとそういう事なのかな。

わからないです。銀河鉄道の夜、舞台幕が上がるは難しいです 笑



今日はついに千秋楽、彼女たちが辿り着いたところ見届けます。