宮崎にこられてお食事するの1年ぶりくらいかなあ
母より10歳ほど(細かくいえば11歳)年下のエム氏。
母が亡くなってからも、年に1、2回お食事したり、
子供たちも一緒に木工をしたり、そばうち体験をしたり
元々は仕事の大切な取引先の関係から、ご自身が直接の関わりを離れられてからも
「友人として」「お友達として」と仰ってくださり
気さくで気楽な関係を続けてくださっています。
子供たちも一緒に木工をしたり、そばうち体験をしたり
元々は仕事の大切な取引先の関係から、ご自身が直接の関わりを離れられてからも
「友人として」「お友達として」と仰ってくださり
気さくで気楽な関係を続けてくださっています。
4月の誕生日で64歳になり、一年早いけど今の嘱託のお仕事を退職して、
昨年亡くなられたご自身のお母様の住んでいた御実家に 片付けをかねて引越しされる予定とのこと。
昨年亡くなられたご自身のお母様の住んでいた御実家に 片付けをかねて引越しされる予定とのこと。
母が亡くなって10年。気が付けばそれでもこうして母を慕い母の残した私たちと繋がって下さる
エム氏の人柄にはリスペクトしたいものが沢山あります。
あの頃、母もエム氏も入っていた酒屋さん主催の「日本酒の会」(笑)のメンバーで、飲んで大口開けて笑っている母の懐かしい写真を持ってきて下さりました。
もの作りが好きで、お酒が好きで、好奇心が旺盛でフットワークの軽いエム氏
いいですね!行きましょう!やってみましょう!見てみましょう!楽しいですね!面白いなあ!美味しいですね!( ◜ᴗ◝)و
いつもそんなイメージの方(笑)
母が元気な頃は、飲んだら楽しそうに
「ボクは○○さん(母のこと)がだいすきなんですよ」(笑)と毎度毎度私に言うんです。
そしてついでに
「だから、かおりさんは2番目です」なんて笑
どうでもいいよォ(笑)
母が病気になった時も
そうして亡くなった時も
「ボクはキミのお母さんがだいすきだったんです」って
泣きそうになったり 思い出しては悔やむ表情をされる
母が病気の頃、母もきつかったんでしょう、電話で心配して見舞いにきたがるエム氏を突き放すような物言いをして最後喧嘩のように?なったらしくそれを大変悔やんでいるのか毎年会う度に言ってらっしゃって。
(母にとっては年の離れた弟のような感じだけれども、プライベートな弱った姿は見せたくなくて突っぱねただけのことだとわかるのですが)
(母にとっては年の離れた弟のような感じだけれども、プライベートな弱った姿は見せたくなくて突っぱねただけのことだとわかるのですが)
※あ、奥様と子供さんいらっしゃる方でご立派に育て上げられた方です。母とは真っ白!真っ白!エム氏の「好き」は人間として「好き」の好き!
考えてみたら、その頃のエム氏は40代の後半から50代の初めくらいなんです。
今の私に近いくらいだったのだなぁと思ったら
不思議な気持ちになりました。
そのころのエム氏の仕事も趣味も色々な大変ささえも楽しんじゃおうとする姿勢というか楽天さというか
なんというかわるい意味じゃなく純粋な遊び人??
今も変わらぬそのスタンスがとても素敵だなぁと思います。
そのフットワークと人懐こさ(目上の方に使う言葉ではないですが、とても欲しいスペック笑)のおかげでこうして母を忍び楽しくお酒を飲み交わせるご縁がつづいていることに
昨夜はとてもとても感謝の念が湧きました。
ありがたいです。
そして、
こんな生意気な小娘をあたたかく見守って下さりありがとうございます。
フットワークの軽さ
とてもとても見習いたい
出来ないことを無理はしないけど
この想いは忘れないでいたいな
そして、エムさんが来月引っ越される実家は
なんと長男が住んでる県なんです!
なんとなんと場所も近いのです!
引越しのお手伝い出来そうです(息子が)ー^^*
ご縁はまだまだ続きますね!( ˊᵕˋ✲)* ☆。.:*・
また母を肴に楽しいお酒を飲みましょう゜
(平成31年4月17日)
❁¨̮ブログにお立ち寄り下さりありがとうございます。