一年近く、放置していました。


えっと、近いうちに何かしらおば。





バイト先で政治家の話になり、
「品行清らかで、やる気のある政治家」
が沢山いれば!
と、同じスタッフが言っていました。

確かに、そんな人ばかりだといいけれど、
「漢の陳平は、賄賂を貰ったけれども、有能な官吏で、彼なしには劉邦だって項羽に勝てなかったかもしれないじゃないですか!」
と言ったら、

「あぁ、三国志」

と言われました。


成る程、そんなものか。




近代以降の手記、随想など、明らかに出版を前提にしたものは、それが一次資料であっても、必ず改竄や嘘の可能性を疑わなければならない。
しかし、マスコミは、あたかもその全てが事実であるかのような報道しか、しない。

石原莞爾や板垣征四郎の満州での一連の軍事行動への関与など。。。


そういった記録は、確かに重要な歴史証言だけれど、それがかかれた時代、書いたときのその人の立場や来歴、思想などを鑑みた上で、さらにその証言を裏付ける多数の証言や記録、そういった物がないかぎり、その可能性のある仮説(たとえ99%そうであろう、となっても、歴史学上は事実である可能性が高い、或いはそれを否定することがほぼ難しい仮説でしかないのだけれど)でしかないと、ちゃんと報道すべきだとおもうのだけれど、なぁ。


また、研究者の思想という問題も。
統計学が顕著だけれど、歴史学でも、自分の結論に優位な史資料のみを用いたり、それを他のものより優先したり、と言うことを行う人も、少なからずいるし。。。



あと、歴史の事象を現在の倫理観で批判していこうというのも、やめてほしい。
あくまて歴史事実は後世に裁けるものではなく、その事実を受け止め、これからどうするかということが、重要では?
法治主義の鉄則、事後裁判の禁止と同じ倫理でいかなければ。


取り敢えず、従軍慰安婦問題は、売春自体を問題にする人がいるけれど、当時売春は合法であったのだから、売春自体と軍の強制があったのかという問題とは、切り離して考えてほしいなぁ。



と、こんなことを書くとガチガチの右翼と勘違いされそうだけれど、先の大戦は欧州に対するアジアの自衛戦争云々や、日本は一切の略奪行為や人権侵害をしていない云々の、大東亜戦争肯定論者(※)ではないのであしからず。



※大東亜戦争という用語を使うのは、歴史用語を意図的に改変すべきではない、という歴史勉強者として、実際に当時使われていた用語を尊重しているためです。
平城京の所謂「外京」も、明治以降の歴史用語であって、当時は左京の一部でしかなかったのだけれども、あたかも当時からそう言っていたかのように思っている人が多いなど、歴史用語に対しては、慎重を期さなければ、歴史が変わってしまうのです。
というか、あの戦争の主な戦地が、シナ大陸やシナ海、東南アジアなのだから、太平洋戦争という用語はどうかと。。。