これがベートーヴェンだ!
 これが音楽の快楽だ!

 「苦悩を克服して歓喜へ」

 という、ベートーヴェンのテーマを表しているのが、この楽章だ。

 この曲は、第3楽章と第4楽章が切れ目なく演奏される・・・というより第3楽章は第4楽章への「繋ぎ」であり、この部分は「天才的な楽章間の橋渡し」と称される。

 <(略)ハ長調で高らかに鳴るこの冒頭は、開放的で非常にバランスがとれた楽器の使い方になるわけである。

 木管楽器、金管楽器、弦楽器の3つのグループが、同じ旋律線と和音を独立して保持している。

 それが、同時に鳴るわけだ。

 この楽章に来て、はじめて重心が中央に来た感じがする。

 これが短調から長調へ、というように解説される内容に関わっている。

 別に曲の前半で短調が、後半で長調になるくらいは、結構多くの曲がやっていることなのだ。

 しかし管弦楽法を駆使し、楽章毎の重心をどこに持ってくるかまで綿密に計算されているのが「運命」なのである。

 ブラームスの交響曲第1番も「短調(第1楽章)から長調(第4楽章)へ」などと解説されることもあるようであるが「運命」はそんなものとは全く次元が違うのである>

 <この交響曲は、最終楽章に重心がある。

 第1楽章の冒頭が有名すぎるので「えっ、そんな」という意見もあるだろうが、この最終楽章はクセモノで、ソナタ形式であるばかりか、古今東西どこにもないような規模の高速なコーダを持ち、楽器はトロンボーンやコントラファゴット、ピッコロを追加しているし、先行する第3楽章にお膳立てまでさせて、おまけに楽章の冒頭から延々、f(フォルテ)またはffで強烈に演奏しまくるという、比類無き音楽なのである>

 それにしても、バーンスタイン(指揮)の楽しそうな事よ プププッ(^m^)

※バーンスタイン指揮/バイエルン放送交響楽団


 <「英雄」、「合唱」の第1楽章を見よ。

 大河のような流れ、15分になんなんとする構成。

 にもかかわらず、全く破綻することのない、まとまり。

 非常にたくさんの要素が含まれているにもかかわらず、15分という時間の長さを長いと感じさせない、その構成力。

 これが、ベートーヴェンの本来の姿なのだ。

 また、最終楽章が変奏曲である、というのも理由だ。

 ソナタ形式と変奏、どちらもベートーヴェンの即興演奏における、重要な手段なのであった。

 これは、最後のピアノソナタがソナタ形式と変奏曲による2楽章であることに、象徴的に現れている>
 
 <第3楽章・・・静かに始まるとはいえ、このスケルツォも重厚である。
 
 速度がゆったりめに感じられるのは、冒頭から低音弦がうごめくように書かれているからである。

 「運命」以外のスケルツォ楽章を見れば、どれもがこの楽章より重心が上にあることがわかる。

 冒頭の低音のうごめきの後に現れるホルンの響きも、重々しい行進曲と言えないこともない。

 トリオの部分も、低音弦から始まる。

 そして低音のティンパニで楽章が終わり、第4楽章に続くのである。

 あくまでも低音部にこだわっている、不思議なスケルツォである。
 
 そして、音楽は低域で力を溜め込む>

 ベルリオーズが、この楽章のトリオの部分を「象のダンス」と表現したのは、さすがだ。

※バーンスタイン指揮/バイエルン放送交響楽団
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 <ついに来たのだ。

 第2、4、8番などと名前無し交響曲を扱ってきて、意識的に避けてきたわけであるが、いずれは書かねばならなかったこの曲。

 そう、そこらじゅうで書き尽くされた感がある、この曲なのだ。

 だから、ありきたりのことを書いても、どうしようもないのである。
 
 さて、この曲はベートーヴェンの代名詞のように持ち上げられてはいるが、ベートーヴェンの驚嘆すべき作曲技法の中では、ほんの1例にしかすぎないことは知っておかねばなるまい。

 ベートーヴェン本来の姿は、交響曲では「英雄」、「合唱」に最もよく現れているのである。

 もっと言うと、まず非常に豊かなソナタ形式の展開技法である>

 <第2楽章・・・ 第1楽章で管楽器の使い方が地味だったので、管楽器の活躍ということでは、こちらが目立つことになる。

 実際、木管楽器主体で数小節を任せられることが多い。

 またフルート、オーボエ、クラリネットで、なだらかに上下する部分が非常に目立つだろう。

 ここは楽器による戯れと言ってもよいだろう。

 第1楽章には無かった動きである。

 また、あちこちに軽い書き方もある。

 しかも、長めの旋律が十分にあるにもかかわらず重厚な印象があるのは、弦楽器が相変わらず密度の濃い使い方をされているからであろう。
 
 通常は、明るくなりそうな第2楽章がこうなってしまったのも、最終楽章への布石なのだ>

*画像はクラウディオ・アバド/ベルリン・フィル


 やはり『第5』は、名曲中の名曲だ。

 カラヤンは、演奏によって好きなような好きでないような、微妙なところだが、この『第5』は、かなりよいと思う。

 全体として、もう少し音の切れ目の余韻を楽しみたいところだが、ベートーヴェン、特にこの『第5』となると、このくらいの疾風怒濤といったテンポのよい演奏の方が、いかにもベートーヴェンらしい気がする。

 この曲に関しては、抑制を利かせた格調高さ以上に、血の滾るような情熱的な演奏が好ましい。

 今回は第一楽章だけだが、以下はWikipediaによる解説である。

 <「ダダダダーン」という、有名な動機に始まる。

  これはこの後、何度も用いられる重要な動機である。

  この「ダダダダーン」という音は最後の最後まで出てきており、打楽器の音はこの音で殆ど構成されている。

 ここは演奏家の解釈が、非常に分かれる部分である。

 ゆっくりと強調しながら情熱的に演奏する指揮者もいれば、Allegro con brio(早く活発に)という言葉に従って、あっさりと理性的に演奏する指揮者もいる。

 往年の大指揮者には前者の立場が多く、この演奏スタイルがいわゆる「ダダダダーン」のイメージを形成したと考えられる。

 しかし近年では、後者がより好まれる傾向にある。

 ハインリヒ・シェンカーによると、この8音は全体でひとつの属和音のような機能を果たしており、最後のD音に最も重点があるとされている。

 この動機を基にした主題を第1主題として、古典的なソナタ形式のスタイルの音楽が展開される。

 第2主題は、ソナタ形式の通例に従い、第1主題とは対照的な穏やかな主題が採用されている。

 ただし第2主題提示の直前に、ホルンが第2主題の旋律の骨格を運命の動機のリズムで提示する。

 第1主題部から第2主題部へのスムーズな連結が図られ、第1主題と第2主題のふたつの主題を統制する役割を果たしている。

 この楽章は、動機の展開技法に優れたベートーヴェンの、最も緊密に構成され作品のひとつとなっている>