哲学対話とは?
私が今、気になっているのは「哲学対話」です。参加したことはないのですが、近いうちにぜひ参加してみたいと思っています。
実は、“哲学”とついているので、ソクラテスやプラトン等、歴史上の哲学者の著作を読んで、険しい表情で難しい話を延々とし、互いの主張を論破し合うというイメージを持っていました。でも、梶谷真司(2018)『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』幻冬舎 を読んで、そんなイメージとは全く違うことに驚きました。
哲学対話というのは、本書で詳しく説明するが、5人から20人くらいで輪になって座り、一つのテーマについて、自由に話をしながら、いっしょに考えていくというものだ。(p.2)
ということは、私が普段、友だちとお茶を飲みながら話すのも哲学対話だね!と思ったんですが、次の文を読んでびっくりしました。
日常生活の中で、私たちが何を言ってもいい場というのは、まったくと言っていいほど存在しない。(p.40)
たしかに会議の時に意見を求められた場合に、たとえ自分の意見とは全く違っていても、上司の意見に同意してしまったりすることがあります。友だちとの会話でも、4、5人集まって話していると、その場の雰囲気に流されてしまうことが多いです。“自由に話す”といっても、そこには“自由がない”。なんとも矛盾しているのです。
そこで出番となるのが、「哲学対話」です。自由に話すための“ルール”に従って、みんなで自由に話し、考えます。梶谷式では8つのルールがあります。
①何を言ってもいい。
②人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
④お互いに問いかけるようにする。
⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
⑥話がまとまらなくてもいい。
⑦意見が変わってもいい。
⑧分からなくなってもいい。
ぱっと読むと、「え、これだけ守ればいいの?簡単だ!」となると思います。しかし、もう一度読んでみてください。①から難しいと思いませんか?
私たちは普段、「何を言ってもいい」という状況がない、つまり、いつも相手や場の空気を読んで発言をしています。もちろん脳内や誰もいない場所での独り言では何も気にせず「XXX」と言っているかもしれません。それを10人~20人の人がいる場で言う、これはなかなか難しいことなのではないでしょうか。また④や⑤は、どうでしょう?自分の言いたいことを言いっぱなしで、相手の話に耳を傾けているふりをしていませんか(すみません、家の中での私です)。⑤も、ちょっとした知識を100に広げて、あたかも自分が経験したことのように語る人に出会ったことがあります。
この8つのルールは、一見簡単そうなのに、いざ実践しようとするとかなり難しいルールなのです。
それでも、私がやってみたいと思うのは、限界を感じているからです。毎日の仕事や生活でも、いろんなことに挑戦したり、工夫をしたりすることはできます。そして、いろんな形で知りたいことを知ることもできるし、一流の専門家の話を生で聞く機会もあります。
そんな経験の中で思ったこと(私の問い)を自由に話せる場があれば、他者との対話から、さらに新しい視点で考えることができて、もっと毎日の仕事や生活が充実するのではないでしょうか。
梶谷(2018)には、次のように書いてあります。
一人だけで頑張っても、途中で力尽きるだけだろう。しかし、共に考える「対話」としての哲学には、それが可能なのである。しかもそこでは、一人で勝手に自由になるのではなく、他の人といっしょに自由になることができるのだ。(p.13)
私も、できたら他の人といっしょに自由になってみたいです。
まずは、同じ業界の人たちと、そして、日本語を学んでいる人とも、共に考えてみたいです。
「哲学対話」に興味があると言う方は、いっしょに参加したり、場を作ってみませんか。
<引用文献>
梶谷真司(2018)
『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』幻冬舎
<参考>
- 詳しくは梶谷(2018)を読んでほしいのですが、そんな時間はないよという方は、こちらのページを見てみてください。
NHK 解説委員室
「『考える力』を育てる『哲学対話』」(視点・論点)2020年3月31日(火)
- 梶谷真司氏がセンター長を務める東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)では、誰でも参加できるイベントが多数開催されています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。