2024年5月7日

癌と宣告された日

両親を見送ったあと

旦那とわんわん泣いた。

旦那わたしより泣いてた。

結婚どうしよう
もう子供産めない

そういうわたしに

結婚はするよ、絶対
子どもよりもわたしが大事、と

迷うことなく、しっかりと言ってくれた旦那。


類内膜がんのこと
自分のステージとグレードのこと
5年生存率のこと
妊孕性温存治療のこと

2人でいっぱい調べたけど
調べる度に絶望を味わった。


両親が帰ってから寝るまで
ずっと泣いてて

こんなんじゃ寝られないと思ってたけど
泣き疲れてか
いつの間にか眠ってた。


2024年5月8日

癌と宣告されて翌日、

昨日早退したし、会社には行こう、
会社に行ったら、仕事に追われて
忘れられるかもしれないから、

と思ったけど

気持ちが沈みすぎて
会社に行けなかった。

上司に体調不良って嘘ついて
1日さぼった。

ずっとスマホで
癌のこと調べるけど

わたしの類内膜がんIB期G3は
妊孕性温存治療(黄体ホルモン療法)の
対象外らしく

本当に子どもを産むことは
諦めないといけない。

また1人で泣いた。


旦那のお母さまが
わたしを心配して家に来てくれた。

病気平癒のお守りと
お菓子とお昼ごはんをもってきてくれて

子ども産めなくてごめんなさい、と
謝ったら

そんなこと気にしてないよ、と
一緒に泣いてくれた。



2024年5月10日

癌と宣告されてから3日。


転院先の病院へ。

わたしの両親は県外に住んでることもあり、

今回は旦那が仕事を休んでくれて

旦那のご両親も仕事を休んでくれて

4人で病院へ行った。


その日は診察と採血のみで、

前の病院の病理検査のサンプルを再確認します、と

子宮の状態(癌の進行度)を再確認するために
造形MRIを、
癌が他の場所に転移していないか確認するために
PET-CTを来週撮ります。と

予約をしてもらった。


転院先の先生からも

子どもはまず無理です、

病理検査とMRIなどの結果から
癌のステージを再確認して
手術の方針を決めます、

と言われました。


ここで、この3日間で調べた
代理出産についても聞いており、
それについてはまた別の記事で書きます。


もちろんいい方向に変わる気配もなく

現実をただ受け入れなきゃいけない

でもまだそんな気持ちになれない、

そんなわたしに対して先生は
冷静に、はっきりと

若いし、辛い決断だろうけど
生きるために
しっかり考えてください。

と言ってくれました。


わたしは戦わなきゃいけない、
癌と、
子宮を取ること、子どもを産めなくなることと、
将来の普通ではなくなった自分と。


正直、もう死んでしまいたい、と
このときは思ってました。



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