地方中小都市での

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カンボジアの大臣秘書に就任しました先日の記事に書きました、私が秘書になった内閣官房副長官(大臣)の事につきまして、少々補足説明させて頂きます

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友人の一人が自殺した事実は、前日のバイトでくたくたになって眠りこけていた時に、夢の中で鳴ったと勘違いして受けた電話で知らされた。彼の父親からだった。短めにその事を告げられ、冷静な受け答えを私はしていた。心のどこかで、、やっぱりなと思った。最後に彼と会ったのは、その日前位だったと記憶している。後の祭りだが、その時の表情は、どう考えても暗かった。助けられたかもな。普通に、そう考えた。言葉をかけてあげれば良かったと。いまだに忘れない年前の事。あの時から、心の温度は変わっていない。当時、経済学部の学生だった私は、超就職氷河期、世界金融大不況突入の生々しい現状を、金融論の教授の講義から、すでに宣告されており、絶望のトンネルをくぐりはじめていた時だった。自殺した友達も、時々一緒に講義に出席していた。友達が少なかった私にとっては、話しかけやすくて、ありがたい存在だった。大学の校風が、垢ぬけていて、きらきらしてる人が多く、私は正直、気後れした学生だったから、おとなしくて、ちょっと面白くて、優しい感じがしたその友達は、ウマが合うほうだったと思う。勝手に自分ではそう思っている。どう抗っても、太刀打ちできるはずもない絶望の時代が始まっていた。年の入学時は、まだぎりぎりでキャンパスも、街も日本も、浮かれモードが残っていた。いま、こんなに、こんなに沈んでいる。あのころ想像していた通りに、私は日本は世界は、救いようがなく沈んでいる。才で終わりにした彼の、デスマスクは苦しそうで、怖かったけれど、年経って、私は今、うらやましいと感じている。あれが、もし私だったら、忘れずにいてくれる人がいて、いまでも才のままだった。逆だったら良かったのにっておもっている。