Que sera sera☆ ーそれからー

Que sera sera☆ ーそれからー

アラサー会社員が看護師に転身することを決意。
2012年4月に某大学の医学部看護学科に入学しました。
脱OL⇒看護学生生活の日常を記してます。

そして2015年4月、看護師になり大学病院で働き始めました。
焦らず一歩ずつしっかりと成長していきたいです。

Amebaでブログを始めよう!

前回の続き。

ある日突然仕事中に立てなくなった。

 

朝一、日勤始まり前にナースステーションで椅子に座って電子カルテで情報収集をしていた。

この日は月曜日。前週金曜日に夜勤明けで帰り、土日は2日間休みをもらっていたというのに、この時すでに私はすでに疲れていた。朝起きるのもだるく鉛のよう。やっとの思いで食事と身支度をして家を出た。歩くのも身を引きずるように出勤した。自分の体が自分の身体じゃないみたい。頭もふわふわしていて、脳みそが働かない。頼りない感じ。道の真ん中で横になりたい。自分で自分は大丈夫なのか?人の世話をしている場合なのだろうかと不安になる。

 

出勤すると自分の仕事の割り当て表を見る。看護師一人ずつに受け持ち患者名がずらっと書かれた用紙がいつも張り出されているので、それを確認するのだ。見るとその日はまずまず重い負担。手術の人、ケモの人もいたかな?土曜日に緊急入院してストーマ造設した人もいて、確か合計6人くらいの受け持ち。ケモは引き継ぎ後すぐに開始しないと、規定の時間内に終了できない。手術も○時からだからあれとこれもしないと。「今日はやばい。やることいっぱいで定時で帰れないかも。でも残業すると叱られるから必死でやらねば。」と働かない頭でスケジュール組みを考えていた。業務が始まる前からすでにいっぱいいっぱい。

 

そこへ、前夜からの夜勤さんがステーションに戻ってきて、何やら話しあっている声が聞こえる。「○号室の××さん、熱が出てきてて。先生に伝えたら、今から緊急で検査するようにって。」「たいへんやな。けど、もう引き継ぎ時間だから日勤さんに頼もう。」

 

その××さんはストーマ造設したばかり私の担当患者さん。イレウスとかかもしれない。きっと検査だけでは済まず、あれこれやるべきことが増えていく。「そんなにたくさんのこともうできない。無理だ・・・。」と頭をよぎった瞬間、吐気がし、座っていることさえもままならず、マンガみたいだけど本当に意識が遠のき、そのまま臥せってしまった。その時に周りにいた同僚に介抱され、車椅子で休憩室に運ばれた。血圧60!息も苦しい。顔も真っ青だったらしい。ショック体位にされて横になり10分くらいで体が落ち着いてきたが、今度は心の方がわちゃわちゃで、何が何だかわからず頭が混乱状態で号泣していた。

 

こんなことになってしまってはもう勤務もへったくれもない。すべての業務をほかの人に引き継いでもらって、30半ばの大人が休憩室で一人シクシク泣いていた。具体的に何をそんなに泣いているのか訳がわからないが、とにかく申し訳ないという罪悪感と悲しいという気持ちでずーっとぐちゃぐちゃ泣いていた。30分くらいたってやっと落ち着いてきたが、私は心身ともに限界点に来たことを悟った。もしや鬱では?そうなると長引くからまずい。「休みをもらって心療内科に行こう。」そう思って、その日は早退させてもらった。

 

茫然自失で家に帰る。しっかりせねばと思ってもまったくしっかりできず腑抜け状態。心療内科の初診は予約制で数日待つことも多いようだが、幸いその日の夕方診察で見てもらえた。かくかくしかじか、伝えるとなんと適応障害と診断を受ける。まさか自分が本当にメンタル疾患の診断を受けるとは思っておらず、現実感がなくてびっくりするが、真性の鬱病ではないことに少しホッとする。

 

それまでの「自分の健康はタダみたいなもん。多少辛いことやしんどいことがあっても気合いや気持ちで乗りきれる。ちょっと疲れても食べて寝て休めばまた元通りになる。」と思っていた。

 

医師からは「今は仕事は休んでゆっくりしましょう。とりあえず2週間でどうですか?」と言われた。

 

2週間。そんなに休むのか、、。私は数日休みがもらえればと思っていたけど、思いのほか長いと思った。「2週間も休んだら、仕事のあれこれが滞って周りに迷惑をかけて申し訳ない。それにメンタルで休んで先輩に仕事のしわ寄せが生じたら、、戻った時に何を噂されるか。気の弱いめんどくさいやつときっと思われる。親にも心配をかけてしまう。それでも2週間休んで元気になるなら、、。」と周囲への罪悪感と今後の不安・恐怖がよぎった。この期に及んで自分の健康よりも仕事や周囲のことを心配していた。それでもほかに方法もないし、反論の気力も考えも沸かず、流されるように診断書を書いてもらった。あれよあれよと休職期間に入った。

 

これが10か月かけた長い長い療養期間の始まりでした。