僕が、まだ学生だったころのお話です。時は、クリスマスでした。ある教師が、キリスト教の牧師を呼び、集会を開きました。僕たちは、体育館へ集められました。僕は、たまたま一番端っこに座っていました。紋切り型の集会が終わり、最後に牧師の方が神様を信じてる人は、手を挙げてくださいといいました。誰も挙げません。当然です。思春期ですから。次に、では、目をぶってくださいみな、目をぶります。もう一度ききます、神様を信じてる人は、手を挙げてくださいその言葉が、約5分ぐらい続いたと思います。心なしか、牧師さんの声が大きくなっています。非常にです。僕は、ふと目をあけました。な、な、な、んと手を挙げていないのは、おそらく僕一人。皆手を、あげているみたいです。な、な、な、んと牧師さんは、僕の隣で、神様を信じてる人は、手を挙げてくださいと叫んでいます。気の弱い僕は、最後まで手を挙げることができませんでしたその後、教師に呼ばれて、なぜかこっぴどく説教をされました。反抗的だったみたいです。気の弱い僕は、その後尾崎豊さんの歌詞のように校舎の窓ガラスを壊してまわることができずに。新約聖書、旧約聖書、仏典等を読み漁り後日、件の教師に日本国民には、宗教の自由がある等、論理的にやりかえしました。しかし、その教師は感情的になり、僕のことを問題児扱いしました。その時、僕は、その教師に不信感を抱きました。しかし、今ならわかります。相手の立場というものがあったということが。理論的には、僕は間違っていなかったと思います。しかし、年長者に敬意を払わなかった。昔話です。追伸先日、アメリカにいる友人とスカイプで会話をしました。アメリカでは、何か一宗教を信仰していないと、相手に信用がされないようです。なぜか神様との契約を守れない人と判断されるからみたいです。
