こんにちはヒヨコ

アメリカでスポーツ栄養士やってます、ヌワニーです。

 

 

愛する大阪を離れ、早くも14年が経ちました。。。

ほんまあっという間ですポーン

 

 

 Photo by Nao Iizuka 

 

思い返せば、「スポーツ栄養士になる!」と15歳の時に

スポーツ栄養士の道も分からないまま進路を決断グラサン

 

 

当時スポーツ栄養という分野でお仕事されてる方をあまり知らず、

周りの意見は。。。

 

「スポーツ栄養士の門は狭いよ」とか

「あまり確立された職業じゃないからねぇ~」

など、あまりポジティブなものではなかったのを覚えてますガーン

 

それでもスポーツ栄養士になる雷と決めた私は

英語が話せるようになりたい+スポーツ栄養分野の発達=渡米を決意チョキ

 

この顔で全く英語が喋られへんかったイタイ私。。。ガーン

「まぁ、アメリカ行ったら何とかなるやろう」という勝手な判断。

甘~い!

(勝手に使って怒られそうやなw)

 

ということで、日本での大学受験を視野に入れず、高校卒業後すぐ渡米飛行機

初めてアメリカに発つ時、空港まで高校の同級生や部活の仲間/後輩たちが見送りに来てくれ、胴上げしてくれたのを今でもハッキリ覚えてます桜

いきなりの胴上げに、見送りに来ていたうちの親族はびっくり(笑)

 

18歳、初めてのアメリカ。。。アメリカ
色々あって、「大阪に帰りたい!」と何度か漏らしたこともありましたが、

電話ごしのクミやん(母)に「あかん、もう少し頑張りなさい」と拒否され、帰れず。

 

言語にはホンマ苦戦したなぁえーん

いや、まだ苦戦中か。。。笑

 

あれから14年。。。(わぉ!)花火

色んな方にご指導、サポートいただき、なんとか踏ん張ってますウインク

 

そして何より、「きっとなられへんよ!」と言われていた

スポーツ栄養士になれましたグッ

 

 

スポーツ栄養士志望の若い子達に話す機会もありますが、いつも言うのは

①「本気でなりたかったら、絶対なれるキラキラ

(そのための努力は自分でせなあきませんけど)

②「遠回りしてもいいけど、諦めない!

(最終地点への行き道が、何通りあっていいと思うんです音符

③「門が開く時のために、日々準備!!

(狭い門でも、ノックし続ければいつか開きますよねピンクハート

 

諦めた時がゲームオーバードクロ諦めなければ、勝負は継続中星

(勝手な解釈ですが。。。笑)

 

 

春先は、ふとアメリカに来たばっかの時のことを思い出します照れ

 

 

いつもの職場、何気にふと見上げたら日の丸が
「頑張れ~!」と、応援してくれてるように見えました日本
(これまた勝手な解釈ですが。。。笑)

 

 

晴れ渡るコロラド太陽

 

ここが勝負筋肉