子どもの頃から、私は人より少しうまくできることも多くて、評価されることも多かった。
だから、その裏にある違和感に、長い間気づかずにいた。
みんなが「当たり前」にできることが、私にとっては本当に大きな壁だった。
努力と根性でなんとか乗り越えようとしていたけど、それでもできないことは確かに存在している。
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たとえば、
時間やお金の管理、約束を守ること、タスクの優先順位をつけてこなすこと。
約束の時間が近づくと、落ち着かず、
「間に合わないかもしれない」
「何か忘れているかもしれない」という不安が押し寄せる。
逆算して準備したつもりでも、思いがけないところで工程が抜けて、
ギリギリになって焦ったり、その約束の時間に間に合うことがゴールになって、その後の本番の前に疲労感に襲われる。
前日の夜は緊張で眠れないこともよくある。
「明日はちゃんと起きられるのか」
「またうっかり忘れたらどうしよう」と自分にプレッシャーをかけ続ける。
失敗が重なるたびに、自信を失い、
「私は本当に社会に適応できているのか?」という自己疑念が膨らんでいった。
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40代で「ADHD」という名前を知り、
できなさには理由があると分かったとき、私は初めて「自己理解」という扉を開けた。
それまでは、「できない自分」を否定し、
根性と努力こそが美徳だと信じ込んで、自分を追い詰めていたのだけど。
「自己肯定感」の低さは、
できる自分を演じることでしか自分を保てない不安定さの裏返しだったのかもしれない。
その不安が他者にも向かい、
「私はこんなに苦しんで、どうにか頑張ってやれたことなのに、この人はなぜできないの?なぜやらないの?」と、無意識のうちに人を裁いてしまうこともあった。
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けれど、ADHDという名前がついたことで、私の世界は少しずつ変わった。
「私は私でいいんだ」と思える瞬間が増えた。
苦しさも、もがきも、できなかったことも、全部そのままの私として認めることができるようになれた。
「できない私も私」。
不完全さや弱さも、自分の一部だと受け入れられるようになったとき、
ようやく本当の意味で、他者にも優しくなれた気がする。
他者を見る私は、明らかに寛容になった。
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「ありのままの自分を受け入れること」は、どんな自己啓発本よりも難しい問い。
けれど、その問いに少しずつ「YES」と答えられるようになった今、
私はようやく、世の中の小さな優しさや、自分自身の温かさに気づけるようになった。
できないことがある私も、
できることがある私も、
どちらも愛おしい——そう思える今に、生きやすさを感じれるようになった。
