——言葉の前に、私の奥が震えていた

「なんでその人なの?」
よく聞かれる。

でも——その問いに、ちゃんと答えられたことはない。

 

「なんとなく」

 

そう言うしかない。
けれどその“なんとなく”の中には、
理由なんかよりも、もっと確かなものが詰まっている。

 

前の彼は、「俺のどこが好き?」とよく聞いてきた。

初めてそう聞かれたとき、私は「なんとなく」と答えた。
彼はがっかりした顔をした。

 

それからは、彼が喜びそうな言葉を探すようになった。
でも、どれも自分の声じゃなかった。

 

「じゃあ、私のどこが好き?」と尋ねると、
彼は顔、声、話し方、雰囲気……いくつも並べてくれた。

きっと本当に、そう思ってくれていたのだと思う。


それでも私は、なぜか寂しかった。

「〇〇だから好き」
そう言われるたび、
「じゃあ、それがなくなったら?」
胸の奥が、静かにざわめいた。


人を好きになるということは——
説明でも、条件でもない。

 

それはもっと、原初的な震え。
まだ言葉が追いつく前に、
身体の奥がもう知ってしまっているような感覚。

 

目に見えないけれど、
たしかに——存在の底を、揺らしてくる。

 

たとえば、マッチングアプリで出会った人でも、
実際に会った瞬間、なにかが起こることがある。

 

顔を見た途端に笑ってしまって、
理由もなく安心してしまって、

いろいろ確認したかったことなんて、
もうどうでもよくなったりする。

 

そのとき、私の中の何かが「YES」と答えている。
頭で考える前に、すでに決まっている。

 

理性では到底たどり着けない場所。
「好きかどうか」ではなく、
「もう、そこにある」感覚。

 

「この人でいいのかな?」と考えてしまう時点で、
たぶん——違うのだと思う。

本当に惹かれた人には、
そんな問いすら浮かばない。

 

選ぶのではなく、
出会ってしまう。

求めるのではなく、
重なる。

 

「言葉にならない好き」があるということを、
私は信じている。

それは曖昧なんかじゃない。
いちばん深いところで、
身体ごと、知ってしまっていること。

それが——私の「好き」の正体。

思考ではなく、震え。
言葉の前に、すでに起こっていた出来事。

 

大人になってからの私の出会いは、
いつもそうだった。