過去の恋人について聞かれて胸がざわついたことはありませんか?
「まだ好きなんだね」と言われて戸惑うのは、未練ではなく“過去の恋を忘れられない心理”によるものかもしれません。
心に刻まれた記憶によって”ざわつく”のはどうしてなのかを考えました。

 

 

過去を聞かれて「まだ好きなんだね」と言われたとき

「まだ好きなんだね」と言われて、私は言葉を失いました。
そのとき目が泳いだのを、自分でもわかっています。

相手が過去の彼について聞きたがる。
私は迷いながらも話す。
でも、忘れていることも多いし、思い出すのは楽しいわけじゃない。

それでも、聞きたがる彼には当たり障りなく話した。

そのあとで投げかけられた言葉——
「まだ好きなんだね」。

図星です。
けれど、それは「いまも愛している」という意味ではなくて、
ただ、心の奥に解けない糸のような感覚が残っているだけなんだけど。

言い訳したくなる衝動

その瞬間、私は言い訳をしそうになりました。
「違うよ、もう終わったことだから」と。
でも、その言葉はきっと醜い言い訳にしかならないと思い、堪えました。

それにーー不安もありました。
「相手の気持ちが冷めてしまったかもしれない」と。
過去を引きずっているわけではないけれど、そんなふうに見られたら、いまの関係が揺らいでしまう、と。

「ある意味」好きの正体

私はもう、その人を好きではないんです。
その人との一緒の未来を思い描くこともないんです。
でも、あの関係が私の人生に刻んだ痕跡は消えないからーー

心理学では、強い感情を伴った出来事は「情動記憶」として脳に刻まれると言われます。
楽しいことも、苦しいことも、そのときの匂いや音、風景と結びついて残りますよね。
だから、ふと思い出すだけで胸がざわついてしまうのです。

それは未練というよりも、印。
大切な学びをくれた人の記憶が、私の中に痕跡として残っている状態。

私の一部で愛おしい過去の私の記憶。
だから「ある意味、まだ好き」と言われたら、否定できないのかもしれません。

忘れられない記憶は未練じゃない

思い出すたびに心がざわつくーー
それは「過去に戻りたい」という未練ではなく、
自分を形づくる記憶の一部にアクセスするために必要なエネルギーの動き。

人は、過去をもって生きる存在ーー
つまり、過去の関係や記憶は消すべきものではなく、
そのまま背負いながら、いまを生きるための素材になるということなんだと理解することにしました。

過去の誰かを完全に消すことはできない。
だからこそ、いまの相手に誠実であることは、
揺れる自分をそのまま受け止めることであり、言い訳する必要もないよと、自分にそっと言い聞かせます。
だって、それは“過去の恋”としてだけでなく、
いまの私を形作る“思い出のスタンプ”のようなものだから。