荒野の咆哮、深海のメロディ
月日は百代の過客にして、行き交う年は2010年6月5日、ブログ開設5日目にして初投稿。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。ごきげんよう、Nutcrackです。
…いったいどなたに挨拶しているのですか(^^;)。いえ、まあ、無人の空間でも道場や練習場、リングなどに入るときに一礼する格闘家さんなどもたくさんいらっしゃることですし、それに類するものとして…まずはブログの世界に一礼、ということで。一緒にするな、と格闘家の皆々さまから怒られてしまいそうですけれど。
ただ、そうでもしなければ。「これからこの世界に入りますよ! ヨロシク!」と誰にともなく声を上げ、それをイニシエーションの形にでもしなければ、どうにも落ち着かないと言いますか、居心地の悪さを拭い去れないものですから。というのも、「たぶん自分自身は一生、ブログには縁がないだろうな」と常日頃漠然と思っていました面もあって、ここに言葉を書き連ねることそのものが、そうした自分を裏切る――とまでは過言にしましても、自分にしては「何か大それたこと」を始めたような気分なんです。
ともあれ、「そうかなるほど、自分はこういう風にブログを始めるのか(^^;)」という、妙な客観視もあったりして。多くの方がキッカケとして抱かれるような「ブログやろうかな」「やってみたい!」といいます欲求や衝動ですらなくて、自分にとってのブログ、そしてそのキッカケは、ただあくまで「自分はこういう風に…」という、何か運命的、自動的な複合体を見届けてみようとする一種の探究心なのかもしれないと思っています。それすら衝動の一つと言われれば、そうなのかもしれませんけれど。
去る5月31日、オフラインのお知り合いの方から「ブログを始めました」とメッセージを頂きました。neiro-neroliさんのブログ:
http://ameblo.jp/neiro-neroli
です。透き通る黒の中にきらめかせるような神秘性のあるつくりを"Beautiful Closed Garden"と暗喩しましたけれど、作者さんご本人の感性が伝わるような素敵なページでした。今後、もっときらきらと輝くような空間になってほしいと祈るばかりです。
せっかくだから読者登録もしてみようかな、と申請をしてみましたら。読者登録にはメールアドレスの登録が必要、という、確かに頷けるお話でしたので、はいはいそうですかと登録を続けていましたんですね。その途上で現れた一行の文言、「アメーバブログのサービスを受けるには登録が必要…」のような部分に、「ん?」と手が止まったのを、初めての番号に電話をかけるときのわずかな逡巡にも似た感覚とともに記憶しています。
あれー? コレはアレかなー? 読者登録をすると「ブログスペースももれなく付いてきちゃいますよ」的なオチかなー?(^^;) や、ブログ始めるつもりないのに…
冷静になって――いえ、そのとき冷静でなかったわけでもない(つもり)ですけれど――考えてみましたら、「後に退く」ことも十分にできたはずで。FAQやマニュアルを見返すこともできましたし、問い合わせることもできましたし、最悪、読者登録自体を取りやめることだってできた。
でも、なぜでしょう、そうしなかったんですね。実もフタもバケツもなく言ってしまいましたら、「ああ、それはそれでもいいかな、ひとつ流れに身を委ねてみようかな」という、諦観に近いギャンブル心だったのかもしれません。大げさを覚悟でそれを昇華させるとしましたら、「もし自分がそれをキッカケにしてブログスペースを持つことになったとしたら、それが自然の、妥当な流れなんだ」という納得ずくの「未必の故意」に近い何かだったのかもしれません。うわあ、そこまで大風呂敷を広げるか(^^;)。
ともかくも、それで現在に至るわけです。ラ・フォンテーヌの言った「人は、運命を避けようと通った道で、しばしば運命に出会う」に見事にはまってしまったようにも、意図してはまってみましたようにも思える、不思議な感覚の中にいます。運命に導かれたような劇的な人生をお送りになった方々に、お前と一緒にするな、怒られてしまいそうですけれど。格闘家に怒られたり、運命者に怒られたり、のっけから大丈夫なのか我がブログよ(笑)。
ただもう一つ、こじつけるように理由を探してみるとしましたら。
ブログを始めるつもりはない。でも、知らずに(知らないつもりで)そうなってしまう未来があるかもしれない。どうしよう――そういう感覚でこういう機会に出会うことは、きっともう二度とない。結果ブログスペースを持ってしまったら、その時点で「ブログスペースを持たない私」は消滅してしまうわけですし(笑)、読者登録やすべてをキャンセルして外野にいることを頑なに押し通しましたら、これからまたこういう機会があったとしても、すげなく撥ねつけてしまうでしょうし。後者でいることに気が引けた、ということかもしれません。この一期一会を、いちばん「幸せな」形で幕引かせるなら…やっぱり、私が折れるしかなかったんですね。
私がブログを始めるつもりがなかった理由はいくつかありまして、それはまた記事を別にして追々この場に著していこうと思いますけれど。いや誰も訊いてないよ、というツッコミは重々わかっていますよ、ええ(^^;)。
理由をあえて、かいつまんで一つだけ挙げるとしますと、「大して新しいことができたり、自由が利くわけじゃない」と思っていた――あるいは、そう錯覚していた――ことなのかなあと思います。それが本当に真実なのか、本当に錯覚なのかは、私自身を実験台にしたこの「実験プラント」で明らかにしてくつもりですけれど(笑)。
手始めのことで言いましたら、デザインのこと。多くの方々のブログを拝見するにつけ、それらは大体のところ「似通って」いますよね。使われている画像素材などの違いはあるかもしれませんけれど、根本のデザインは押さえられている、と申しましょうか…何から何までが拝見していて驚かされる趣向にあふれている、それにそこに書かれている文章も惹きつけられる、そういうブログさんとの出会いのチャンスがなかったんですね。もちろん、それは単に私の知見が狭いだけという可能性が高いでしょうし、「ブログとはそもそもそういうもんです、キミの目の付け所がおかしいだけです」といわれてしまえば、それでオシマイなのですけれど。例えて考えてみましたら、家のようなのかもしれません。だいたいの同一性と、細かな独自性、といいます意味で。地面から30度傾きつつも安全性や機能が完全に保証されている、そういう家がほとんど発想されてこなかったように。
なので、私はブログのつくりはお仕着せのもので決まりきっている、と思っていました。確かに完全にゼロベースからブログシステムを構築できますだけの知識や技術、実力がありましたら違うのでしょうけれど、私はもちろんそこまでできないですし(^^;)。ところが、そうでもないのですね。これはアメーバブログさんのサービス上のことなのかもしれないですけれど、CSSでかなりの部分のデザインに自由が利く、がんばればどうにかなる、という気配はつかむことができました。と、申し上げてはみましたけれど、今この見てくれが他の方々のブログと比べて決してスタイリッシュだとは思っていないですし(^^;)、思案投首、格闘の跡が残ればいいなあくらいの気持ちでいます。
デザインは、なるほど何とかなることが分かってきた、自分の望む「内装」にすることができる…それなら、「インテリア」も配置してみよう、と情がわいてきちゃったんですね(笑)。記事でにぎわせてみよう、と。
だからと言って、これを誰かにお見せしようですとか、そんなつもりは全くないです。先ほどの「いや誰も訊いてないよ」にも通じでいるのですけれど、このブログは「自分が話すのを聞きたい」という、ある意味でジャック・デリダがたどり着いてしまいました形而上学の哀しさみたいなものですから。
ここにこだまする声は、自分だけが聴いていればいい。誰もいない草原で思いの丈を叫ぶように、深海みたいな真っ暗闇で、独り音楽を奏でるように。それなら、わざわざ書く必要もないんじゃない? これまでならそうして、自分の中に「声」を押し殺していました。このブログスペースを持つような機会がありませんでしたら、これからもそうしていたでしょう。ただ、やっぱり「この一期一会を、いちばん幸せな形で幕引かせるなら」。
決めてみました。やらないよりはまし、やってみようじゃないか、と。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。ごきげんよう、Nutcrackです。
…いったいどなたに挨拶しているのですか(^^;)。いえ、まあ、無人の空間でも道場や練習場、リングなどに入るときに一礼する格闘家さんなどもたくさんいらっしゃることですし、それに類するものとして…まずはブログの世界に一礼、ということで。一緒にするな、と格闘家の皆々さまから怒られてしまいそうですけれど。
ただ、そうでもしなければ。「これからこの世界に入りますよ! ヨロシク!」と誰にともなく声を上げ、それをイニシエーションの形にでもしなければ、どうにも落ち着かないと言いますか、居心地の悪さを拭い去れないものですから。というのも、「たぶん自分自身は一生、ブログには縁がないだろうな」と常日頃漠然と思っていました面もあって、ここに言葉を書き連ねることそのものが、そうした自分を裏切る――とまでは過言にしましても、自分にしては「何か大それたこと」を始めたような気分なんです。
ともあれ、「そうかなるほど、自分はこういう風にブログを始めるのか(^^;)」という、妙な客観視もあったりして。多くの方がキッカケとして抱かれるような「ブログやろうかな」「やってみたい!」といいます欲求や衝動ですらなくて、自分にとってのブログ、そしてそのキッカケは、ただあくまで「自分はこういう風に…」という、何か運命的、自動的な複合体を見届けてみようとする一種の探究心なのかもしれないと思っています。それすら衝動の一つと言われれば、そうなのかもしれませんけれど。
去る5月31日、オフラインのお知り合いの方から「ブログを始めました」とメッセージを頂きました。neiro-neroliさんのブログ:
http://ameblo.jp/neiro-neroli
です。透き通る黒の中にきらめかせるような神秘性のあるつくりを"Beautiful Closed Garden"と暗喩しましたけれど、作者さんご本人の感性が伝わるような素敵なページでした。今後、もっときらきらと輝くような空間になってほしいと祈るばかりです。
せっかくだから読者登録もしてみようかな、と申請をしてみましたら。読者登録にはメールアドレスの登録が必要、という、確かに頷けるお話でしたので、はいはいそうですかと登録を続けていましたんですね。その途上で現れた一行の文言、「アメーバブログのサービスを受けるには登録が必要…」のような部分に、「ん?」と手が止まったのを、初めての番号に電話をかけるときのわずかな逡巡にも似た感覚とともに記憶しています。
あれー? コレはアレかなー? 読者登録をすると「ブログスペースももれなく付いてきちゃいますよ」的なオチかなー?(^^;) や、ブログ始めるつもりないのに…
冷静になって――いえ、そのとき冷静でなかったわけでもない(つもり)ですけれど――考えてみましたら、「後に退く」ことも十分にできたはずで。FAQやマニュアルを見返すこともできましたし、問い合わせることもできましたし、最悪、読者登録自体を取りやめることだってできた。
でも、なぜでしょう、そうしなかったんですね。実もフタもバケツもなく言ってしまいましたら、「ああ、それはそれでもいいかな、ひとつ流れに身を委ねてみようかな」という、諦観に近いギャンブル心だったのかもしれません。大げさを覚悟でそれを昇華させるとしましたら、「もし自分がそれをキッカケにしてブログスペースを持つことになったとしたら、それが自然の、妥当な流れなんだ」という納得ずくの「未必の故意」に近い何かだったのかもしれません。うわあ、そこまで大風呂敷を広げるか(^^;)。
ともかくも、それで現在に至るわけです。ラ・フォンテーヌの言った「人は、運命を避けようと通った道で、しばしば運命に出会う」に見事にはまってしまったようにも、意図してはまってみましたようにも思える、不思議な感覚の中にいます。運命に導かれたような劇的な人生をお送りになった方々に、お前と一緒にするな、怒られてしまいそうですけれど。格闘家に怒られたり、運命者に怒られたり、のっけから大丈夫なのか我がブログよ(笑)。
ただもう一つ、こじつけるように理由を探してみるとしましたら。
ブログを始めるつもりはない。でも、知らずに(知らないつもりで)そうなってしまう未来があるかもしれない。どうしよう――そういう感覚でこういう機会に出会うことは、きっともう二度とない。結果ブログスペースを持ってしまったら、その時点で「ブログスペースを持たない私」は消滅してしまうわけですし(笑)、読者登録やすべてをキャンセルして外野にいることを頑なに押し通しましたら、これからまたこういう機会があったとしても、すげなく撥ねつけてしまうでしょうし。後者でいることに気が引けた、ということかもしれません。この一期一会を、いちばん「幸せな」形で幕引かせるなら…やっぱり、私が折れるしかなかったんですね。
私がブログを始めるつもりがなかった理由はいくつかありまして、それはまた記事を別にして追々この場に著していこうと思いますけれど。いや誰も訊いてないよ、というツッコミは重々わかっていますよ、ええ(^^;)。
理由をあえて、かいつまんで一つだけ挙げるとしますと、「大して新しいことができたり、自由が利くわけじゃない」と思っていた――あるいは、そう錯覚していた――ことなのかなあと思います。それが本当に真実なのか、本当に錯覚なのかは、私自身を実験台にしたこの「実験プラント」で明らかにしてくつもりですけれど(笑)。
手始めのことで言いましたら、デザインのこと。多くの方々のブログを拝見するにつけ、それらは大体のところ「似通って」いますよね。使われている画像素材などの違いはあるかもしれませんけれど、根本のデザインは押さえられている、と申しましょうか…何から何までが拝見していて驚かされる趣向にあふれている、それにそこに書かれている文章も惹きつけられる、そういうブログさんとの出会いのチャンスがなかったんですね。もちろん、それは単に私の知見が狭いだけという可能性が高いでしょうし、「ブログとはそもそもそういうもんです、キミの目の付け所がおかしいだけです」といわれてしまえば、それでオシマイなのですけれど。例えて考えてみましたら、家のようなのかもしれません。だいたいの同一性と、細かな独自性、といいます意味で。地面から30度傾きつつも安全性や機能が完全に保証されている、そういう家がほとんど発想されてこなかったように。
なので、私はブログのつくりはお仕着せのもので決まりきっている、と思っていました。確かに完全にゼロベースからブログシステムを構築できますだけの知識や技術、実力がありましたら違うのでしょうけれど、私はもちろんそこまでできないですし(^^;)。ところが、そうでもないのですね。これはアメーバブログさんのサービス上のことなのかもしれないですけれど、CSSでかなりの部分のデザインに自由が利く、がんばればどうにかなる、という気配はつかむことができました。と、申し上げてはみましたけれど、今この見てくれが他の方々のブログと比べて決してスタイリッシュだとは思っていないですし(^^;)、思案投首、格闘の跡が残ればいいなあくらいの気持ちでいます。
デザインは、なるほど何とかなることが分かってきた、自分の望む「内装」にすることができる…それなら、「インテリア」も配置してみよう、と情がわいてきちゃったんですね(笑)。記事でにぎわせてみよう、と。
だからと言って、これを誰かにお見せしようですとか、そんなつもりは全くないです。先ほどの「いや誰も訊いてないよ」にも通じでいるのですけれど、このブログは「自分が話すのを聞きたい」という、ある意味でジャック・デリダがたどり着いてしまいました形而上学の哀しさみたいなものですから。
ここにこだまする声は、自分だけが聴いていればいい。誰もいない草原で思いの丈を叫ぶように、深海みたいな真っ暗闇で、独り音楽を奏でるように。それなら、わざわざ書く必要もないんじゃない? これまでならそうして、自分の中に「声」を押し殺していました。このブログスペースを持つような機会がありませんでしたら、これからもそうしていたでしょう。ただ、やっぱり「この一期一会を、いちばん幸せな形で幕引かせるなら」。
決めてみました。やらないよりはまし、やってみようじゃないか、と。
