4/20 朝、パディバーバが、94才9ヶ月と言う天寿を全うしました。最後の数年は、1人で生活すること罷りならんと言う事で遂にドクターストップがかかり、ルミエス松ヶ丘の医療系老人ホームで迎えた最期の朝でした。朝四時に見回った時は生きていたが、起床時間にスタッフがいつもの様にお着替えを手伝いに行った時、既に眠る様に亡くなっていたと言う。パディジージのときは、ちょうど20年前、周りを驚愕させて勝手に逝ってしまった感があったが、パディバーバは、静かに1人で旅立った。今年の桜が終わって愈々青葉の季節になろうかと言うときでした。


昨日はお通夜、稍曇の少し気温の低いお天気でした。式場で甥っ子の幼い大姪の桃華ちやん、大甥のみなとくんと初顔合わせ。暫くモジモジするもすぐに慣れ、何故かジージが急に2人出来たのが嬉しく、「ジージご本読んで〜。」とか言って甘えてくる。なんとも愛らしい。祖父祖母の葬儀は孫祭りとは良く言ったもので、なんだか楽しいお通夜でした。ぼくは立場上長男なので=喪主と言う事だったが、法主さんは32才、うちの次女より二つ年上だ。ぼくの人生の半分程度の法主さんで、それでも築地本願寺で数年修行後、ここ山科大津の比叡山山麓にある普門寺の住職さんだと言う初顔合わせの人。優しげで真面目な好青年、考え方も柔軟だ。いっぺんに気に入った。そうか、オレが爺さんなんだなと気付く。


パディバーバーの死化粧はとても綺麗だった。ホントに寝ている様で、「おーい、早く起きろよー。」と言うものの、勿論返事なんかあるわけじゃ無い。あったら怖いなとか思いながらお湯灌と納棺の儀式を黙って観ていました。でもとても気持ちよさげに寝たままシャワーして貰っている様だ。

人生の荒波を渡り切って、たどり着いた所なんだよな。

じゃあまた明日、と言って、みんなと別れ弟と2人だけになったので、琵琶湖プリンスへ飛び込んで、バフェ料理をかき込んで空腹を満たし、弟の車で大津駅へ。奴は浜大津に滞在。僕は瀬田の駅前のAPAホテルへ戻る。


明けで木曜日、どんより曇りが昼前から本格的な雨になる。かなり気温も低い。ヒートテックシャツを2枚にした。東京から長女とカミさんがこちらへ向かって来る。朝ゆっくりシャワーを浴びて、昨日駅前で買ったクリームパンとコーヒー牛乳で簡単な朝飯。式は2時から。時間あるので仕事の打ち合わせなどの連絡で時間潰す。

昼前になったので外のコンビニへカップ麺とコールスローサラダ買いに出たが、寒さで震える。雨足も段々強くなって来た。


さて愈々式が始まる。ホテルから徒歩数分での所。傘を借りて式場へ。

既にスタッフの方々がいろいろ手配してくれていて、パディバーバーの好きな曲、ベートーヴェンのの田園が静かに流れている。いい感じ。

パディバーバーの最後に相応しい。この曲を聴くと、ウイーン駐在員時代にベートーヴェンガングと言う散歩道のそばに借りていたアパートのことを思い出す。「アンタ、いいとこに住んでるんやな〜。」とパディバーバに言われたことを思い出した。連休の頃になると毎年アスパラガスを買いに、農家さんの所まで車で買いに行ってオーストリアの初夏の味を楽しんだものだ。そう言うことを思い出す。


やがて法主さん登場、厳かにしめやかに始まる。身内だけの儀式なので、挨拶も何もない。喪主からお焼香が始まる。あっという間におわる。引き続き、初七日の儀式。この辺は関東式のやり方が踏襲される。これも終わる。あとは最期のお別れ儀式。生花を山ほど入れてあげます。短歌の手帳、思い出の品などを入れて上げた。最近は釘打ち儀式無し、これもいい。釘打ちのあの音、嫌いなのだ。


霊柩車へ移動して皆んなで移動。この頃大雨。気温も低い。心はなぜか乱れない。落ち着いている。

さて最期のお別れ、棺を竈門に入れて合掌。 


ここまで付き合ってくれた法主様とはお別れ。約1時間20分の待ち時間。甥っ子のところの幼子たちと一緒に遊ぶ。幼子たちは、更に2人ジージとバーバが増えたことを素直に喜んでいる。寒かったのでカフェでぜんざいやら、バタートーストなどを皆んなでめいめいに頼んで小腹を満たす。こうしているうちに待ち時間終了。最後のお仕事として皆んなで炉から出て来て骨になったパディバーバーの骨を拾ってあげる。悲しみはあまり無く、コレがバーバの体に入っていたのかー、と言う驚きを持って、ホネを拾う。大腿骨の手術後にはセラミックの部品がしっかり残る。かなり大きい物だった。

この作業も無事に終わり、合掌。皆で雨の中、忌明けの49日後に再会の約束してめいめいに車に別れて解散した。


寒い日だったが、パディバーバーは、僕らに新しい命の存在と生を渡してくれた。確かに受け取ったぜ。有難う。パディバーバー。久し振りに、パディジージとパディと天国で再会して喋り倒してるんだろうな笑。

僕らは地上でまた楽しくやるから心配ないよ。