(『』はキム先生の引用です。引用が多いので長文になりますが)

 

ちょっと目に付く記事を見つけて、思うところがあるので引用方々考えをブログにまとめてみた。

韓国人の精神科医キム先生[i]が言うには。

 

私たちは加齢によって失うものと得るもの、どちらのほうが多い? まずは加齢によって失われていくものを考えてみると。

『若さ、ハリ、黒髪、体力、健康、情熱、性機能、記憶力、(死別に伴って)友人や配偶者、人生に残された時間……。』

では逆に加齢によって増えるものには何?

『年齢、子孫、シワ、腹回りの肉、シミ、頑固さ、小言、激情、悔恨、捨てるべき家具や衣服、孤独感……。』

 

こうしてみると、加齢により増えるもので、ポジティブなものはほとんどない。

私たちが死の存在を認知してもなおこの世で生きていられるのは、『自分たちが死んでも後世の人々をとおして自分たちの人生も続いていくという確信があるから。』、だそうだ。自分が蓄えた知恵は後世に受け継がれるだろうという確信は、個人の人生に一層の責任感を与える。過去から未来へと続く連続した時間の中に自分も属しているという感覚は、重要なものだということなんだろうね。

 

とはいえ現代のように急速に変化する時代では、『過去の知識はすぐに意味を成さなくなる。科学技術の飛躍的な発展が、前世代の知識を使いものにならなくしてしまう。そのせいで年長者の考えは古くさいものとされ、誰からも耳を傾けられなくなる。』 ま、こりゃしゃーないな。

 

このように歴史的な連続感を失ってしまった人々にとって老いることは、若さや美しさ、名声のほか魅力を失って、役立たずに成り下がることを意味する。そのため人類学者マーガレット・ミードは30代以上の人々に対し、よくこう言っていたそうだ。

 

「私たちは皆、若者たちの世界へと移り住んだ移民だ」

 

更にキム先生は言う。

『悲しいことに我々は、年を取れば取るほど新たなスキルを習得し、ついていくのは難しくなる。するとある瞬間にすっかり置いていかれて、ついていくことを諦めるようになる。その結果、いつしか老いることは死よりも恐ろしいものになる(そーいうわけでもないがね)。すると世間から向けられる否定的な視線に抗うエネルギーも楽天性も失ったまま、良い時期はとうに過ぎ去り、もはや悪いことしか待っていないような気がしてくる。それゆえ人は長生きしたがる一方で、老いることを望まない。』

 

『ある日、詩人のロングフェローは熱心なファンからこう言われた。

「おおっ、久しぶりじゃないか! それにしても君は変わらないな。何か秘訣でもあるのかい?」

ロングフェローは庭にある大きな木を指して答えた。

「あの木を見てみろ! もはや老木だというのに、ああやって花を咲かせ実までつけているだろ。それができるのはあの木が毎日多少なりとも成長しているからさ。私だって同じだよ。年を取っても毎日成長しようと思って生きているんだ!」

 

人は生きているかぎり、常に成長のための新たな課題を与えられている。よって人は死ぬまで絶えず鍛えられ、再編成され矯正される。つまり私たちは老いてもなお、成長や発展を遂げられる。人生の各段階が新たな変化の機会を提供してくれるからである。人格も同様だ。70、80、90歳を過ぎても変化し続けていく。その際、老いを捉える姿勢次第では、人生を「惨めで悔いばかり残るもの」ではなく「いつまでも希望と変化がある能動的なもの」にすることもできる。

「私たちの限界を決めているのは、肉体そのものではなく、むしろ頭の中身のほうだ」』

 

『同じ70歳でも、その年齢をどう捉えるかによって若々しく生きることは十分に可能だ。例えば何をするにも年齢を考え、年齢を意識している人は、身体的な状態とは関係なく70歳を「老いて何もできない年齢」と考えているため、受動的で依存的な生活を送ってしまう。反対に同じ70歳でも、年齢を聞いて驚いてしまうほど若々しい人たちは想像以上に多いものだ。彼らは自分の年齢を大して意識していない。ただ一生懸命体を動かし、新しいものを学び、趣味を楽しんで活気ある毎日を送っているだけだ。

 

健康に年を取りたいのなら、自分の身体年齢にあまり固執しないことだ。70歳になろうが80歳になろうが、年齢とは関係なく「昨日より今日、今日より明日と少しずつ成長する自分」を念頭に置いて生きるのである。』

 

また、キム先生は自分の生活を組み立てるとき、自分で実行し行動して決めることが重要だと言っている。つまり、朝起きて、奥さんに朝食を作ってもらうのではなく、自ら食べるものは自ら準備する。この行為が60歳以降の生活の質を決めるといってよい。人生の舵を自ら切っているという感覚、すなわち自らの人生の主導権を握り、それを行使しているという感覚は、人間にとって大変重要な人生の原動力になるようだ。

 

『自分の人生を自分で決めて選択していれば、幸せになれるだけでなく健康にまでなれる。だからどんなに老いて体が弱っても、人生の舵はできるかぎり自分で切ったほうがいい。自ら選択し決定することが増えるほど、人生の幸福感や達成感、自尊感情は高まるからだ。』

 

実はここまで読んでみてわかったことがある。キム先生は、まだ64歳だが、42歳の時にパーキンソン病になったんだという。 『…体が少しずつ固まりつつある。前へ進むには、ひとまず両足でまっすぐ立つことが必要なのに、病気のせいでそれさえおぼつかない状態だ。1歩足を踏み出したはいいが、次の1歩を出す前にバランスを崩して倒れてしまうことも多い。最後に両足で颯爽と走ったのは、いつのことだろう。また腕や指も思うように動かないため、時が経つにつれできないことが1つ2つと増えてきた。最近は他に方法がないのでヘルパーの手もかなり借りている。人に頼らざるを得ない身の上は決して愉快ではないけれど、そうするしかないのが現実だ…。』

 

とのこと。キム先生も、相当なハンデを抱えていらっしゃるが、それをハンデと思っていないのが立派だ。

パラリンピックで頑張っているアスリートたちも同じで、ハンデを抱えながら物凄い身体機能を実現している。だから僕らはそのプレーを見て素直に感動する。

 

実は僕も同じような大病を経験したことがある。60歳、定年後半年で脳梗塞が起こり、左半身マヒ状態となり、今でも後遺症で実生活は不便の連続。歩く時には左足を引きずっているし左手はうまく使えないのだ。以前の自分からはとても想像できない。当初は精神的に相当ダメージを受けて、初台リハビリ病院を抜け出し、もう死んでもいいかと思ったこともあった。もう友人たちに会うのも嫌だと思ってて、友人との交流は一切立った時期があった。65歳の去年、今度は急性心不全を起こし、近所の自衛隊病院の付属の三宿病院に担ぎ込まれた。処置されているとき心停止を起こしてしまったがAEDやら心肺蘇生で生き返らせて貰った。主治医によると心臓リハビリの結果、通常人の場合60くらいのパフォーマンスだが、僕の場合58残っていて、心筋細胞の壊死が殆どなく心臓のバイパス手術は不要ということになり、ステント治療だけで立ち直った。人間って簡単には死ねねーなということを、現代の医療水準で自ら証明したようなもんだ。生き残ったのはラッキー人生である。普通脳梗塞やら心筋梗塞を起こしたら死ぬよね。でも現代医療技術で時間に間に合えば、生きれるのだ。だから深刻になる必要はない。「ステント治療であと20年は大丈夫ですよ。ステント治療は、バイパス手術と同等の効果があり、はるかにリスクが低いのです。」、と言われたもんね。退院後、僕は以前よりも、積極的に人とかかわるようになった。不幸を背負っているような顔している友人たちには、こう言っている。「俺を見ろ、俺なんか不幸のどん底で、不幸と書いたTシャツ着て歩いているようなもんだぜ。お前何が不幸なんだよ?」

そうか、先生、後20年程度は大丈夫なんだな。20年しかないと思うか、20年も生きられると思うかは、もう心の持ち方である。

 

退院後、やりかけていたボランティアワークの続きを再開。以前から取り組んでいた、「ばらになったのぞみちゃん」の小冊子を1000部発行印刷、知人やキリスト教関係者、学校関係者に配りまわった。2024年4月には、目黒区教育長関根さん、秘書の田渕さん、前・目黒区区議会議員の磯野さんのおかげで、目黒区内の公立小中学校の道徳教育の教材として、「戦争や平和を考える」テーマで、使っていただけることになった。仕事以外で、やり切ったと思えるボランティア活動である。またこれで、著者の故・渡辺さんとの約束も果たせたと思っている。

 

更にキム先生は言う。『・・・そういう状況になればなるほど、この瞬間に何をしようか慎重に考えて決めるようになるものだ。今日は誰と会おうか、90歳の母とはお昼に何を食べようか、髪を染めようか、どの映画を見ようか、どんな本を読み、友達にはどんなメールを送ろうか、悩み抜いて決めるようになる。体調が悪くてベッドから起きられない時は、体調が良くなったら何をしようか考える。そうすると自分はまだたくさんのことを決めて選ぶことができるのだとわかり、それができて本当によかったと思えるようになる。 この世はまだ私の知らないことだらけで、学べることであふれているというのもうれしい。 せっかく今日も目覚めて起きられたのだから、楽しく過ごしてステキな思い出をいっぱい作らなきゃ!それが私の1日の過ごし方であり、老いに向き合う姿勢である。』

 

これがキム先生の思いであり、日常だそうだ。大いに共感。

命が今日も続いていること。それだけで、やったー、ラッキー!、と思えること。そういう中で、今日はどう生きるかを考える。感動を求めて映画を見る、ビデオを鑑賞する、本を読む、友人たちとランチする、家族と今日あったことを話す…。そういう日を送る、明日起こることは明日考えればいい、今日のことは今日だけで済ませる。僕の場合、ボケ防止のため、毎日デイトレードをやっていて相当複雑なポートフォリオを組んでいるが、結果よりも考えるプロセスが楽しいのだ。配当の有無やCapital Gain/Lossで一喜一憂しない。この会社はどんなことをやっているのか、どういう未来を創ろうとしているのか。そこにあるのは“共感と共鳴“である。共感できる場合、投資してみる。もちろん株式投資なので、期待が外れることはあるがそういう時は損切りする。そしてまた別の銘柄を探す。

又、5月から某会社の経営管理のアドバイザー業務を引き受けるようになった。英文契約書の翻訳やら解釈やら、いろいろやること多い。これとは別に、今月友人と共同で”米国ビジネスビザセミナー”を開催、複雑怪奇な米国ビザ取得のノウハウを若い人たちに伝授した。

単に世間の期待値に応えているだけだが、自分の知見が役立っているのだなと実感できる瞬間だ。こういうのって年齢や金銭価値に関係ない。


[i] キム・ヘナム(Kim Hye-Nam)精神分析医

1959年ソウル出身。高麗大学校医科大学を卒業し、国立精神病院(現国立精神健康センター)において12年にわたり精神分析の専門家として勤務。ソウル大学校医科大学招聘教授として教鞭を執り、キム・ヘナム神経精神科医院の院長として患者を診た。五人兄妹の三番目として生まれ、常に両親の愛情に飢えていた経験を持つ。愛情を独占していたのは仲のよかったすぐ上の姉で、羨望と嫉妬の感情を抱きながら育ったが、高三の時、この姉が突然の死を迎え、衝撃を受ける。医科大学に入学したのは、このときの体験がもとになっている。42歳でパーキンソン病を患う。