長文です
暇つぶしにでも読んでいただければ、と思います。
先日、何かのきっかけで息子が通う高校から来たメールを何気なく見ていました。
そのメールには某クラブに所属する生徒たちの名前が載っていたのですが、そこに覚えのある名前(仮に「セーラ」としておきます)を見つけました。
セーラは私が昔交流のあった友達、ジャネスの子供の名前です。
苗字がとても珍しいので、すぐに彼女の子だ!と分かりました。
ジャネスと会ったのは、今からもう20年ほど前でした。
そのころ私とダンナは(義理の)両親から借りていた家に住んでいました。
そこはあんまり治安の良い地区ではなかったのですが、周りに住んでいる近所の人たちはとてもフレンドリーな人が多かったです。
週末に近所同士で集まって食事をすることもよくありました。
その近所仲間でちょうどうちの向かいに住んでいたのが、ダグ(ダグラスのニックネームです)という男性でした。
ダグは当時40歳くらいでしたが、若い頃に奥さんと離婚して子供も成人していたので一人で暮らしていました。
とても人懐っこい犬が一緒に住んでいましたが、ダグの子供たちが彼の家を訪れるのをほとんど見たことがありませんでした。
彼は昔、ミリタリーでかなり辛い経験をしたようで重度のPTSDに苦しんでいました。
彼の隣に住んでいる老夫婦の一家が、
「昨日もダグが(彼の)犬にむかってすごい剣幕で怒鳴っていたのが聞こえた。」
とたびたび私たちに話していました。
私のダンナはとてもフレンドリーなので、ダグはダンナに気を許していろんなことを話したかったようです。
そのため私たちも時々彼を夕食に招待していました。
ダグは我が家に来るたびに
「僕もいつか良い伴侶を見つけて、温かい家庭を築きたいなぁ。」
とよく話していたものでした。
そんなとき、ダグがいきなり我が家を訪ねてきました。
「実は紹介したい人がいるんだけど、彼女は"ジャネス''っていうんだ。
最近エクアドルから来て住むところがまだ見つからないので、当分の間、うちに一緒に住むことになったんだ。」
と言いました。(どのようないきさつで出会ったのかは分かりません)
ダグはジャネスを当時「友達」と紹介していましたが、一緒に住むことになった2人がそれ以上の関係になるのはそう時間がかかりませんでした。
ジャネスの本名は実は「ファティマ」というのですが、なぜかダグが彼女の名前をジャネスと勘違いしていたようで(笑)そのままその名前を自分のアメリカン・ネームにしてしまったそうです。
彼女は私より10歳ほど年上でした。
ジャネスはエクアドルでは産婦人科医をしていたそうですが、(エクアドルにいる)自分の息子が難聴で自国ではちゃんとした治療が受けられないため、どうしてもちゃんとした医療制度があるアメリカに来たかったのだそう。
ジャネスは当時周りに家族がいなかったことと、また英語もそれほど話せなかったため、同じく外国人である私と話をしやすかったのか、いろいろと頼ってきてくれるようになりました。
当時私は息子を出産したばかりでしたが、まもなくジャネスもダグの子を身ごもったのです。
それと同時についにダグも決心したのか、二人は結婚することになりました。
最初の2か月くらいは2人とも仲睦まじく暮らしていたようですが、しばらくして、ジャネスが私に深刻な悩みを打ち明けるようになりました。
「ダグが酒に酔うと暴言がひどくなる」
彼はもともと重度のPTSDを患っていたし、彼にこのような一面があることは私もダンナも知っていました。
隣の老夫婦も、夜中にダグが飼い犬に対して怒鳴っていた、とよく愚痴をこぼしていましたし。
私は妊娠しているジャネスの身が心配でしたが、幸いにも暴力はなかったことと、ジャネスもアメリカを去るつもりは無いから、と離婚という選択は無かったようでした。
ジャネスとダグに可愛い女の子が産まれてから、ダグの行動は少し改善したようでした。
でもやはりそれも長く続かずに、またダグはお酒をたくさん飲んで暴言を吐いたりすることが多くなりました。
実は当時ジャネスは働けなかったので、2人はダグのソーシャルセキュリティのお金だけで生活していました。
それは一家がギリギリ生活できるだけの低収入です。
ダグも一家3人の大黒柱という立場から、かなりストレスが溜まっていたんだと思います。
そして2人は些細なことで喧嘩をすることが多くなりました。
私たちはその後、まもなくして別な場所に(と言っても同じ市でしたが)家を購入したので、その近所を離れることになりました。
引っ越した後もジャネスからは頻繁に連絡がきました。
しかし彼女の連絡は、ほとんどが
「Chloe、お願いがあるんだけどOOしてくれない?」
「Chloe、OOが必要なんだけどいいかな?」
と、いつのまにかお願いごとばかりになっていました。
最初はジャネスも困っているのだから、と私も彼女の要望に応えていたのですが、毎回くる連絡が何らかの頼み事ばかりで、逆に言えば頼み事がなければ連絡がこない、ということに私も次第に彼女からの連絡を受けることが苦痛になってしまいました。
当時、私も幼い子供の世話をしながら学校も行っていたので忙しかったこともあり、いつのまにかジャネスから連絡がくると、さりげなく断るようになってしまいました。
ジャネスはそれを感じたのか、いつのまにか連絡は来なくなってしまいました。
その後、風の便りでジャネスとダグが離婚した、ということを聞きました。
そして何年か経ってから、たまたまグローサリー・ストアでばったり再会したダグの隣に住む老夫婦が
「実はね、ダグが急に亡くなったんだよ。アルコール中毒による肝炎と心不全だったらしい。」
と教えてもらいました。
そしてまた月日は経ち、本当に久しぶりにジャネスから連絡がありました。
離婚後、市民権にアプライしてエクアドルに住む母と息子を呼び寄せたということ。
自分の国では産婦人科医であるほど優秀な彼女なのですが、もちろんその医師免許はアメリカでは使用できないためにとりあえずナーシング・アシスタントとして施設で働き始めたこと。
でもアメリカでもやはり医師として働きたいので、
とりあえずP.A.(Physician's Assistant)になるべく、
現在いくつかのメディカル・スクールに申し込みをしているということ。
などなどと、近況を話してくれました。
私が誰かデートしている人はいないの?とからかうと、
「今はやることがありすぎて、それどころではないわね。」
と笑っていました。
そのやりとりを最後に、私もジャネスもお互い忙しいこともあってそのまま連絡は途絶えてしまいました。
今回の息子の高校のメールでジャネスの子どもの名前(セーラ)を見つけるまで、彼女のことはすっかり忘れていました。
私の息子は高校4年生なので、一つ下であるセーラは今年高校3年生になります。
それで本当に久しぶりにフェイスブックでジャネスのページをみてみることに。
彼女はダグと離婚後、素敵なパートナーを見つけたようです。
でも現在の人はBaldでもっと歳を取っていて、ダグとは全然違う感じの人でした。(反対に優しそうな感じな人です)
そして彼女は無事に学校を卒業して、現在はP.A.として働いているようです。
彼女は自分のページに
「大学のローンは家が一軒建つくらいの額」
と書いていましたが、でも今後仕事をしていけばちゃんと返していけるでしょう。
しかも彼女は英語とスペイン語のバイリンガルだし、スペイン語だけを話す患者さんにとってはありがたい存在でもあります。
そしてジャネスの子、セーラの写真もありました。
私が知っているのは小学生の頃のセーラです。
今ではばっちりお化粧をして、当たり前かもしれませんが昔とは全然違っているのにびっくりしました!
でもよく見ると、やっぱり昔の面影も残っていましたけどね!
息子にセーラのことを知っている?と聞いたら
「名前は聞いたことあるけど、あんまり知らない。」
と言っていました。まあ学年も違うので仕方ないかもしれません。
しかし彼女がまたこんなに近い距離(同じ学区)に住んでいることに驚きました。
彼女は私がこの地に住んでいることを知っているのかな?
おそらく私から連絡はしないと思いますが、でも彼女が幸せに暮らしているようで良かったです。
昔のことがあったから、なおさらそう思います。
長くなりましたが、昔のことをいろいろと思い出してしまった今日でした。
良い天気で嬉しいです
ワンコの具合はだんだん良くなってます