新年初日は友達夫妻のおうちへディナーに呼ばれて行ってきました
シーフードがいっぱい入ったスープ
他にもいろいろと美味しい御飯を作ってもらっていましたが、写真を撮るのをすっかり忘れてしまいました
食べるのとお話に夢中だったからです
新年早々、美味しいものをいただいて幸せな気分になりました
2020年にピッタリなザ・アメリカンなチョコレート・ケーキも少しだけ(ここ、ポイントです、笑)いただきました
さて1月1日は私たちの家族にとって忘れられない日でもあります。
この日はダンナのお母さん(私にとって義母)が亡くなった日でもあるからです。
今年でもう10年経ちます。月日が過ぎるのは本当に早いです。
義母はとても穏やかな人で、私は一度も彼女が機嫌が悪かったり、怒っているのを見たことがありませんでした。
そしていつも自分のことより、他の人のことを心配している人でした。
彼女に関するエピソードはたくさんあるのですが、とても「Selfless」な人でした。
彼女が亡くなる2年前のこと。
突然稀な病気にかかってしまい、それから辛い闘病生活が始まりました。
体調が悪くなって入院することが何度もありました。
そして彼女が亡くなる日の前夜(大晦日)、容態がまた悪くなってしまいました。
義父は妻(義母)をすぐ病院に連れて行こうとしましたが、その時に限って義母は
「(病院には)もう行きたくない。年越しは(おうち)で一緒にしたい。」と拒みました。
それで義父は義母の気持ちを尊重して、病院へは行かずにそのまま家にとどまって様子を見ることにしました。
義母はその後安心したのか、容態も落ち着いて気持ち良さそうに自分のでベッドで眠りにつきました。
義父にはいつものように「ありがとう。I love you.」と言ったそうです。
義父ももちろん一緒のベッドで寝たのですが、その日の夜、隣に寝ていた義母はそのまま静かに息を引き取りました。
ダンナが後ほど(亡くなった)自分のお母さんの姿を見たとき、まるで眠っているような平和な顔をしていた、と言っていました。
そして彼女が最期におうちで愛する夫(義父)のそばで息を引き取れたのは良かったのかもしれない、と言いました。
もし義母があの時病院に運ばれていたら、きっとまた点滴のためのIVを始めたり(義母の手はとても細くて、以前のIVの後が痣となって残っていて本当に痛々しかった)、そして次回はもっとInvasiveなprocedureをしなければいけなかったかもしれません。
だからせめて最後だけでも痛くて辛い思いをしなくて良かった、とダンナが言いました。
義母は本当に優しい人で多くの人が慕っていたのです
それで彼女のお葬式に参列したほとんどの人が涙を流していて、彼女の人柄がそのまま表れているようでした
でも一番辛い思いをしていたのは、子どもであるダンナと義妹はもちろんのことですが、特に義父は本当にかわいそうで周りにいる私たちも見ていて辛くなるほどでした
義父と義母は高校生で出会ったHigh school sweetheartsでした。
お互い初めて恋に落ちて、そのまま結婚したのです。
そして40年以上も一緒にいました。
普通そんなに長く結婚生活を送っていると、すれ違いとか起こってきそうなものですが、彼らの場合は何をするにも、どこへ行くにもいつも一緒で(私には絶対できないことです)まさに本当の「Lovebirds」でした
だから義母が亡くなってからというもの、義父の悲しみはものすごく深かった。
義母が亡くなって何か月も経ってから、義父はようやく彼女の遺品の整理を始めました。
義父が彼女が生前使っていたタンスやキャビネットを覗いてみると―義母はきっと自分が亡くなった後のことを心配していたのでしょうー
彼女は夫宛に短いメッセージを書いた手紙を家の何か所かに残していました
手紙一つ一つ、すごく時間をかけて丁寧に書いてあるのがよく分かって、ああ、お義母さんらしいなぁ!と思いました。
義母は生前「(自分の)位牌をグリーンピーターズという湖のほとりに撒いてほしい」、と遺言を残していました。
この湖は義父とよくフィッシングやピクニックに出かけた思い出の多い場所でした。
彼女は「墓を立てると代々世話する子供や孫たちが大変だし、それに自分はいつも(子供たちの)心の中に生きているのだから(私の墓は)必要ない。」、とよく話していました。
(アメリカだと火葬の場合、位牌は灰だけになります。日本のようにお骨は残しません。)
それで義母の位牌は何年も経ってから、本人の希望通りにその場所に撒かれました
いつもは顔写真は載せないのですが、義母と義父の写真はダンナから承諾を得たのでここに載せます。
(でもそのうちこの写真は削除するつもりです)
とってもかわいいカップルです
義母は私にもとても優しかったです。
私は子宝に恵まれずに長い治療を通してようやく息子を授かることができました。
ベビーシャワーのとき、義母がフラワーショップで内緒で私のためにコサージュをオーダーメイドで作ってくれて「おめでとう!今日はあなたの日よ。」と言って胸につけてくれたり、逆にいろいろと気遣ってくれました。
今でも彼女からもらったたくさんのカードや手書きのレシピカードを持っていますが、それを見るたびにやっぱり複雑な気持ちになります。
でもそれよりも自分のお母さんを亡くしたダンナのころを考えると、、、本当に辛いだろう、と思います
両親ほど自分のことを考えて愛してくれる人たちはいませんからね、、、
お義母さん、ありがとう。R.I.P.